社会という世界で化け物と戦う村人Bの話

凩幽

10月30日

 社会は思ったより怖くなくて、不自然なくらい暖かい空間はまるでショーケースにいれられた宝石みたいだったから、最初は居心地がよかった。


 僕が怯えていたのはおとぎ話の世界で、きっと現実に人を襲う化け物なんて存在していないんだと、深く安堵した。


 なんでも包み込んでくれるような優しい笑顔はとても暖かかったし、そんな人に囲まれて僕はきっと幸せ者なのだと、そう信じて疑っていなかった。




 でもいつの間にかそうやって大事に扱われているのは僕たちを喰らうための下準備だったのだということに、ある日気が付いた。


 春の穏やかな陽気みたいに暖かかったはずの大人の笑顔の裏が見えるようになって、僕が中学生の頃から抱えていた重りが高いところから落とされたみたいにグイっと、僕の体に重くのしかかったのを感じた。


 向けられていた陽だまりみたいに暖かい笑顔は仮面だったと気づくのは遅かったし、いつの間にか自分を守ってくれるガラスケースは粉々になってて、冷たい外気が僕を包んでいく感覚がした。


 宝石を守ってくれていたものがなくなって、誰もが触れるようになってしまっていたからそれを奪い合うように伸びた複数の手が、鋭い爪で僕らを鷲掴みにした。


 誰も僕の色とか輝きとか見てなくて、きっと誰でもよかったんだろうなと心が冷たくなっていくのを感じた。

 

 それなら最初から希望なんて見せないでほしかった。


 ガラスケース越しに見ていたキラキラした社会はどこにもなくて、今いる場所が不快感漂うドロドロした世界だったことに、今更気づいてしまった。


 洗練さえた美しい空気なんてもうとっくに消えて、僕の体にねっとりと付きまとうべちゃっとしたなにかは、どれだけ体をこすっても消えることはなかった。

 



 それからずっと、常に気を張っていないと呼吸すらできなくなってしまうような感覚が僕に付き纏った。


 同じショーケースに入れられていたはずの仲間がどんどん汚れていくのを見て、これは悪い夢だと、そう自分に言い聞かせて僕はみんなが正気であることを心の底から願っていた。


 じんわりと僕らを蝕むこの空気は気が付かないうちに僕らを内側から汚染する。


 だから汚れていくのにきっとみんなは気づいていなくて、そしていつの間にかなにか悪い化け物に取りつかれてしまう。

 


 きっとその化け物の名前が「大人」だ。

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