第八羽、寒さに負けん
ミカン。
「まあ、弐臣が怒るよは、一旦、忘れて、ほら、空を見ろ」
「うん?」
私は、どうしたの、空なんてさ、と。
ってッ!
うわっ!
ソコは、オレンジ色に染まっていて神々しいまでの黄金色とも思える絶景が拡がっていた。
だろ? すげぇだろ、夕焼けだ、なんて章二が、にこやかに微笑みながら言った。
「冬の夕焼けはな。夏と違った美しさがあるってもんだ。知らなかったろ。ミカン」
うんっ。
「知らなかった。凄いね。初めてみた」
めちゃ感心して夕焼けを見つめる私。
まあ、章二の口から美しさなんて言葉を聞くとは思わなかったけど素直に感動だ。
高校生という大人ではないが、それでも大人の入り口に差し掛かった私。うん。中学を卒業して高校生になって、責任感というか、大人にならねば感は日に日に増していた。勉強に、部活に奔走して。だからと言ったら言い訳になるけども……。忙しくて空なんか見上げる機会は、めっきり減っていた。改めて考えると、いくらか寂しいがソレが今の私なんだ。無論、冬の空を見上げる機会は寒さも手伝って、ほぼ皆無だったと言ってしまってもいい。でもソレは章二も同じで。それでも、章二は、この夕焼けの美しさを知っていて。ソレは、どうしてなの? と疑問に思う。適当だからこそなのだろうか。
うむっ!
「そだな」
また私の心を読んだのか何も言わないのに応えてくれる。
「別に特別な事なんて、何にもねぇよ」
そうかな。普通に感性が鋭いだとか、感受性が豊かだとか、そう思っちゃうけど?
ふふふ。
と地蔵が静かに笑ったのを合図に章二も、また笑い返す。
「単に、綺麗なもの、美しいもの、がソコにあれば見ちまうってだけの話だ。それが人間だろ? でも心なくしたらソレが見えなくなるかもな。忙しい忙しいってさ」
うん。そうだな。ミカン。知ってか?
忙しいって字はな。心を亡くすって書くんだぜ? まあ、本の受け売りだけどな。なんて言いながら、また地蔵と互いを見合わせ笑い合う。
ふふふ。
そだね。
ミカン。
君は少し疲れているんだ。だから君を休ませようと、僕はそう思っただけなんだ。
私の頭の中に流れ込んできた不思議な声。温かくて、懐かしくて、どこかで聞いた事がある声だ。不意をつかれて瞳を潤ませてしまった。なんというか、本当に懐かしくて、でも大切な何かを忘れている自分が不甲斐なく思えてしまったからだ。この冬の夕焼けが、そうさせたと、今は言い訳しておく。ハズいからね。てへ。そして、私と章二、地蔵の三人は、しばし、佇み、美しい夕焼けを見つめ続けた。ほほう。と……。
言うまでもなく、いまだに重機部隊が発掘作業を推し進め山が揺れ続けているのが雰囲気ぶち壊しだったけどね。まあ、でも、この揺れに順応しているから気にならないっちゃ気にならないけども。でも、本当に綺麗な夕焼けだね。めっちゃ。
はふぅ。
美しさに見とれて、つかの間の休息。自然が創り出した作品を充分に堪能した後。章二の阿呆が、また笑いながら言う。
「まあ、それは良いとして、弐臣が怒るよ、の件だな。弐臣ってのはな。弐心〔ふたごころ〕を持つ家臣の事を言うんだ。謀臣とも言うな。まあ、適当に調べてくれ」とスマホを見せてくる。調べろって。私は弐臣と弐心の漢字を聞いてから、直ぐ、スマホで、その意味を検索してみる。弐臣が、……ふたごころある家臣。謀叛〔むほん〕のたくらみをもっている家来。また、二君に仕えた臣となる。そして、弐心が、……味方や主君にそむく心。裏切りの心。にしん。それと、ふたりの人に同時に思いを寄せること。浮気心となる。
てかさ。なんで、こんな言葉を知ってんのよ? 章二よ。それこそ普通に疑問だわよ。
とか思ったが章二は答えてくれない。
「なあ、ミカン。それより寒くねぇ?」
「寒い事は寒いよ。でも我慢できないくらいじゃないけど」
うむっ!
兎に角。
私は語り好きが高じて下手の横好きで小説なんかも書く。だから、そこそこの語彙力があると思ってた。そんな私が知らない言葉を、なんで適当魔人の章二が知ってるのよ。もしかして、あんたも小説を書くとか? まあ、聞いた時、無いけど。
「寒っ!」
なんて言いながらも二の腕を両手で掴んで章二は震える。
カカッ。
章二の震えに呼応したのか、一匹の小鳥が森の中から飛び立つ。ジョウビタキだ。まるで、今晩は寒くなるから気を付けてね、と言われたかのよう。
てかさ。
「章二。教えてよ。マジで。なんで弐臣や弐心なんて言葉を知ってんのよ。弐臣や弐心なんて普通に生活してたら知る機会なんてないわよ。特に適当なあんたにはさ」
ううん?
と強めの口調で改めて詰め寄ってみた。それくらい教えて欲しいって思ったから。
「寂しいな。やっぱり、どんなキャラなんだよ。俺って。お前の中で。……俺はな。お前が小説を書いてるのを知ってるんだぜ? まあ、それが全てだ。うむっ!」
だなッ!
クソう。
私の専売特許である、うむっを絡ませ誤魔化しやがった。茶化して、うやむやにしやがったぞ。さっき飛び立ったジョウビタキが、旋回してから、再び、元の森へと帰ってくる。ふふふ。と……。そうだな。これだけは言っておくか、と章二が、一人、頷いてから笑いつつ言う。
「まあ、でもミカン。平仮名で検索をかけるのも面白いぜ? お前は、そこそこ語彙力があるって自分で思ってっから平仮名で検索をかける事がないと思うからな」
カチン。なんか頭にきた。うっさい。語彙力皆無な章二に、そんな事を言われる筋合いはない。なんか負けた気にもなるってもんよ。クソう。ただし、そうは思ってみても、そっかとも思う。素直に考えれば。……。そっか。そうだね。ありがと。
「まあ、素直がお前の取り柄だよな。そうだな。素人の俺が思う事だから、あまり気にするな。ミカン。お前には、お前なりの書き方があるから、それを貫けよ?」
うん。でも、さっき、章二が言った事には、確かに一理ある。私が辞書を引く時、大抵が、その言葉自体、つまり漢字で検索をかける。抜けてた。平仮名で検索をかければ調べたい字以外も検索に引っかかるってさ。なるほどね。目から鱗だわよ。でも、本当に負けた感が凄まじいぞ。クソう。と悔しい気持ちで苦笑いをすると夕暮れの空に浮かぶ満月が微笑んだ気がした。ふふふ。と笑いかけられて、私も、なぜだか微笑みたくもなった。
兎に角。弐臣の意味は分かった。でも、じゃ、なんで、弐臣が、じしんがおこるよ、のじしんになって、弐臣が怒るよ、になるの。うむっ。素直に考えれば、弐臣が怒るよ、って裏切りの心を持ったものが怒るとなる。ああッ! そうか。そうだ。謙一だ!
イチイの木の根元で、ぐるぐる巻きにされ、諦めの境地に至った謙一を見つめる。
「ククク。お笑いだ。なんて言ったら許してくれるのか?」
なんて言ってる。まだ反省してなさい。謙一よ。うむっ!
「章二、謙一が怒る、だよね。だよね」
「正解だ」
と真面目な顔してから頬が緩む章二。
うぬぬ。てか、何で、そんなに格好いいの。あんた。本当に章二なの? 目の前にいるの。なんだか優麗なイケメン幽霊な気がして仕方がないわよ。良い感じに格好いい章二になってる。あの近衛七斤衆が現われた時の章二にだ。どこぞの少年漫画なんかでの頭良い系の主人公然とした、その物体。てか、今日の章二は、適当が代名詞の、一年B組、お笑い担当だとは思えない。本当にどうした?
ふふふ。
地蔵が笑い、緩やかに揺れる地面の震動に合わせてなのか首を左右に振っている。上下じゃなくて左右なのだが、赤べこに見える。ふふふ。思わず笑ってしまった。
ミカン。
今日の章二には正直になってもらったよ。章二の魅力に気づいてもらう為にもね。
もちろん、英輝も良い人だ。いや、B組は、みんな、良い人ばっかりだ。もちろん、謙一も。ミカンが団結力のあるクラスだって思うのも納得できるよ。うん。そうだ。君は、この後、埋蔵金を手にするだろう。それは間違いない。さだめなんだ。でも、その埋蔵金をどう使うかソレは君次第だ。ミカン。また、私の頭の中に流れ込んでくる言葉たち。誰なの? 誰の言葉なの? これ?
「どうした? ミカン」
頭の中に流れ込んできた言葉たちにビックリして私は心ここにあらずにもなった。そんな私の異変に気づいたのか、章二が不思議そうに顔をのぞき込んでくる。いや、近いから。近いって。離れろ。阿呆。恥ずかしくて顔を背けた。その視線の先には地蔵が居た。彼は、やっぱり、いまだ黙ったままで、静かに佇みながらも微笑む。
てかさ。
章二よ。
仮にだ。
「じしんがおこるよ、が、弐臣が怒るよ、だとして。それに、何の意味が在るの?」
謙一が怒るよ、は分かるが、今更感が半端ない。
「カカカ」
ミカン。さすが、お前だ。その通りだぜ。意味などない。
「強いて言えば、お前を負けた気にさせたかっただけだぜ。語彙の話な。それだけ」
フハハ。
「でも成長できただろ? 小説を書く為の力がさ」
それは筆力って言うの。そんな事も知らないやつに言われたくない。豚になるぞ。
ぶぅぅ。
「アハハ」
何が嬉しいのか、馬鹿笑いする章二。どうにも気色悪いものを背中に感じたが、まあ、気にしたら負けだ。兎に角。弐臣が怒るよ、には意味がない。そう考えよう。単なる阿呆の戯れ言だと。なにも考えてない適当魔人の言った事なのだから。
「つうか」
なによ?
章二君。
ここから先、もはや私の耳は使用不可能になったぞ。しっかりと設定を換えてな。もちろん、章二に対してオンリーの設定だわよ。全く、何も聞こえませぬわ、といった感じでね。
うむっ!
「寒くねぇ。なんか、めちゃくちゃ寒いんだけど」
まあ、冬の夕暮れだからね。あ、聞こえちゃった。クソッ! 設定をミスったか?
うむっ!
武士の情けで耳は聞こえるように設定し直した。一応だが、答えてやる。ありがたく思え、章二。
「まあ、寒いっちゃ寒いけど我慢できないくらいじゃないと思うよ。それよりも気になった。轟建設の皆さん、夜通し、掘り続けるのかな。章二は、どう思う?」
轟建設の皆さんに夜通しで掘り続けられたら、すわ埋蔵金は横取りされるだろう。
「本当に寒すぎるんだけどな。ま、いっか。うん」
と章二。
「だから章二は、どう思うのよ。轟建設の皆さん」
もちろん大人の本気だから始めの始めから高校生である私らに勝ち目なんてない。けど、どうせだったら勝ちたい。ちょっと前に章二が言ったようにガキでしかない私らが大人の本気を出し抜いたら、それは、それこそ面白いって思うからさ。
でしょ?
うむっ!
「まあ、夜通し、掘るだろうな。でも俺たちが恐いからなんかじゃない。俺たちなんて相手にもしてねぇよ。ヤツらは。それは埋蔵金が在るって確信してるからだ」
だねッ!
「うん。別の大人が嗅ぎつけてこない内にってね」
と、そこまで私が言葉を口にした時、あ! って思った。
そうだ。あんなにも大規模に発掘を推し進め、且つ、夜通しで重機を動かし続けるならば。
「だったらさ。市役所とかに届けてるのかな。あの発掘作業って。だって、鍋敷き山には、琥珀蘭とかイチイとか在るよ。それこそ埋蔵金だよ。どうなんだろう?」
それに夜通しで工事みたいな作業を進めるなら麓の住民から苦情がきやしないか?
「まあ、別に琥珀蘭とかイチイが無くても埋蔵金を掘る為には市への届け出は必須だろうな。そうなれば打つ手は一つ。博打だ。俺の大好きな楽して大もうけだぜ?」
「そだね」
ししし。私も今回の博打には賛成だ。市役所に苦情を入れてやる。チクってやる。轟建設。もしも、届け出がされていない発掘作業だったら、即刻中止なのだわよ。フハハ。と私と章二が顔を見合わせて頷いた瞬間、私らの間に一陣の冬風が駆け抜けた。
「さぶっ」
章二は、あの池から上がった時と同じよう、へっくしょんなんてくしゃみをした。
「いやいや、マジで寒いぞ。どうした? 俺様。背筋がゾゾッて。なんか顔だけは熱いし。むむ。気合いだ。気合い。冬の寒さなんかには負けん。負けんだのだッ!」
章二は、よっぽど寒いのか、そんな独り言を言い始めた。騒がしく。クソがって。
章二よ。どうした。寒い事は寒いけど、それほどまでか?
なんて思った時、地蔵が、申し訳なさそうに、にが笑った。ごめんね、章二って。
お休みの準備が整ったのか、またジョウビタキが一つだけ大きく鳴く。カカッと。
うむっ!
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