第27話
「やあ、ユキちゃん。今日も綺麗だね」
やや高めの声を聞いたユキは、あからさまに顔をしかめる。
「ダダ……」
20代半ばと思われるダダの外見は、他の住人と大きく違っていた。肩まで伸ばした黒髪に赤を基調とした柄物の長袖シャツ、黒く細い長ズボンに白いエナメル革の靴を履いている。青白く面長の顔には良く整えられて先がピンと尖った口髭を生やしていた。170センチ程の身長で、やせ形の、如何にも非力そうな青年だった。
こういう格好をした若い男達を、私は数年前の東京でしばしば見かけた。硬派を嫌う大学生の中には流行を追い、芸術や映画、文学を嗜む者達が少なからずおり、彼らは周囲とは違う服装をしていた。ヨーロッパで戦争が勃発すると共にそういう連中は徐々に少なくなり、日本がアメリカと戦争を始めると、完全に一掃されてしまったが、まさにダダの姿は彼らを彷彿とさせた。
「何の用や?私は忙しいねん。エイジに邑を案内しとるんや」
ユキは歩きながら素っ気ない口調でダダに言う。青年は私を見て笑顔を浮かべた。
「君が新入り君か。はじめまして。俺はダダって言うんだ。当たり前だが本名じゃない。ここの長が勝手につけたんだ。だけど俺は結構気に入ってるよ。ダダイストみたいでカッコいいじゃないか」
ダダイストが何のことか、当時小学生の私には全然わからなかったが、懐かしいものを見る思いをしながら挨拶を返す。
「エイジです。よろしくお願いします」
「お行儀が良いね。気に入ったよ。その話し方からして、もしかすると君は東京生まれなのかい?」
「はい。ついこの間、こっちに疎開してきました。色々あって、この邑に来たんです」
私の言葉に、ダダは大袈裟な程に顔を明るくして、大声を上げた。
「やっぱりそうか!俺も長い間、東京に住んでいたんだ。やっぱり東京は良いよね。どうやら君とは気が合いそうだ」
「ダダ、挨拶が済んだなら他に行ってや。エイジを住人達に紹介してんねん。あんたが一緒やと、この子が霞んでしまう」
迷惑そうにユキが彼を遠ざけようとするが、ダダは気にしていない。彼女に愛想笑いを向けて話しかけた。
「ユキちゃん、今日もモデルをやって欲しいんだよ。お願い!」
「またかいな!昨日あんなに付き合うてやったやないか。あれで充分やろ」
「頼むよユキちゃん。今の俺は絶好調なんだ。筆が乗っているんだよ。絵っていうのは勢いの波があるんだ。工場で毎日、同じ数の物を作るのとは訳が違う。やれる時にやらなきゃ完成しないんだ」
両手を会わせて拝むダダに向かって、ユキは首を横に降る。
「私、何時間もじっとしとるの苦手やねん。大体、他の人の絵はすぐに描けるのに、なんで私の絵は何ヵ月もかかるんや?」
「それだけ良い絵を描いているってことだよ。他の連中のは只の似顔絵だ。だけど君の絵は芸術なんだ。俺の力作なんだよ」
「駄目や。今日はエイジに邑の案内をするって決めたんや。他の日にしいや」
「邑の案内って言ったね。だったら俺の案内をしてくれよ。俺だってここの住人だよ?」
「あんたは、ほんまに屁理屈ばっかりやな!」
頑なな態度を続けるユキを見て、ダダは私に矛先を変えた。
「エイジ君、君はどうだい?ユキちゃんの絵を見たいと思わないかい?」
「僕は……」
「エイジ、相手にしたらあかん。アントラにも言われたやろ」
「見たいかも……」
ユキは呆気に取られた顔をした。ダダが両手で握りこぶしを作り、勝ち誇ったように言い放つ。
「エイジ君もこう言っている!何も俺はユキちゃんの予定を邪魔している訳じゃない!彼が俺の事を案内して欲しいと思っているんだ!」
ユキは立ち止まって私をじっと見た。
「エイジ、ほんまに私の絵を見たいんか?」
「うん。どんな絵なのか興味がある」
彼女は数秒間、無言で考える仕草をしていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「しゃあないな。あんたがそう言うなら、見せたるわ」
「よし!決まった!今から道具を持ってくるから、ユキちゃんはいつもと同じように自分のお社で待っていてくれ!」
そう言い残してダダは全速力で走り去って行った。それを見送る私に、溜め息を吐きながらユキが声をかける。
「予定変更や。私のお社に行くで。着いてきいや」
暫く歩くと道は2つに別れた。1つは昨日、私も使った邑の中心部へ至る道、もう1つは直角に別れて、別の方向へ伸びている。ユキはそちらの道を進む。私も彼女に続くが、先程のユキとダダの言葉に引っ掛かるものを感じていた。
お社?
私はこの事をユキに尋ねようとしたが、憮然とした感じで先を進む彼女に、これは実際に見た方が早いと判断した。
程なくして私達はユキのお社に着くのだが、そこで私は驚くべきダダの才能を目の当たりにする。
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