第26話
三人は昇のテレポーテーションによって、六本木ヒルズレジデンスC棟――四二階フロアまでやって来ていた。
「きゃっ!?」
「な、なんだっ!?」
「地震かっ!?」
突として襲った大きな揺れに、三人はその場に屈んで身を守ろうと周囲を警戒。あたふたと現状が把握できずに戸惑う二人の隣で、千春は耳の裂けるような大声を響かせた。
「違うよ! これは地震なんかじゃない。爆発したんだよ!」
「「爆発っ!?」」
二人には千春の言っている言葉の意味が理解できなかった。
「千春、爆発ってのはなんのことだ!」
上体を低く保ったまま千春の腕を掴みとった昇は、詳しく説明しろと吠え立てた。
それと同時に――ジリリリリィ! けたたましいベルの音が建物中に鳴り響く。突然の爆音に奏多の視界は一瞬ぐらついた。
「ちーちゃん! なにか知ってるなら答えてくれ!」
「臭いだよ! ミチルちゃんの居る部屋からガソリンの臭いが、それにすごく焦げ臭いの!」
「ガソリンッ!?」
「くそっ! あの女……裏道はいったい何を企んでいやがんだ、奏多!」
頭の中で音が割れる。友人の声がぐにゃぐにゃと歪んでいく。同時に彼女の声や仕草、甘酸っぱいラズベリーの薫りがフラッシュバックする。なつかしくも幻燈画のように、少年の脳裡を去来する。
ファミレスで語ったロミオとジュリエット、『あの話、私嫌いなのよね』
なぜ、彼女は憂鬱そうにロミオとジュリエットを嫌いだと言った。
帰り道、思いがけず抱き合った瞬間聞こえた『助けて』。
『同じ悲劇でもハムレットの方がずっと好きなの』どうして彼女は投げやりな態度でハムレットを好きだと言った。
二つの作品はどちらもウィリアム・シェイクスピアが描いた悲劇である。
しかし、その二つの物語の結末はまるで違う。
毒薬で自ら命を絶ったロミオと、そのあとを追うように胸にナイフを突き立てたジュリエット。その後、二人の死をきっかけに両家は和解へと進んでいく。
一方のハムレットは父を殺した者へ復讐を果たす物語。その過程で次々に登場人物が悲惨な死を遂げていくことで知られている。
裏道ミチルの目的はハムレット同様、父を殺害した犯人への復讐であることは間違いない。
では、彼女が思い描いていた物語、その結末とはなんだったのか。仮に彼女がハムレットに自身の人生を重ねていたとするならば、裏道宗次郎は考えるまでもなくハムレットの亡き父である。その父を殺害したのは叔父のクローディアス。その役柄は彼女の叔父である裏道京太郎が演じていることになる。
ではなぜ、この舞台に天道奏多はキャストとして選ばれてしまったのだ。
それは案内人――天道奏多がシェルパだったからである。
案内人とは言い換えれば語り手。
ハムレットの物語を、真実を語る相手に天道奏多は選ばれてしまったのだ。
つまり、天道奏多の役柄はホレイショー。
彼女の、ハムレットの親友だ。
ホレイショーに事の顛末を語り伝えるよう言い残したハムレットの最期は……。
「ふざけるなぁっ!!」
彼女が視ていた未来を知ってしまった奏多は、興奮が抑えられず怒りで震える。
「かなくん?」
「奏多!?」
彼女ははじめから、叔父である裏道京太郎を道連れに自分も死ぬつもりだったのだ。
あの日、彼女が縁側でいった言葉を奏多は思い出していた。
『私が幸せになれる未来を、天道くんがバッドエンドだと言うのなら、ハッピーエンドとは言えないかもしれないけれど』
あのときの彼女が言った言葉の意味を、奏多はようやく理解していた。
「これのどこがハッピーエンドなんだよ! 僕は何度でも言ってやるぞ、これは糞みたいなバッドエンドだって!」
「落ち着け、奏多!」
「かなくん一体どうしちゃったの!?」
「しっかりしろ!」
額に脂汗を滲ませた昇が奏多の体を揺らす。千春はつま先立ちで崖の先に立っているような、心細いといった不安そうな瞳で奏多を覗き込んでいる。その瞳をまっすぐ見つめ返した奏多は、「大丈夫だよ」精いっぱい強がってみせた。
「奏多、お前には裏道がなにをしようとしてるのか心当たりがあるんだな」
ぎゅっと昇の指先に力が込められる。誤魔化すことなく奏多はうなずいた。
「ミチルちゃんは何をしようとしてるの?」
不思議そうに見つめる、彼女の丸い瞳としばらく目を合わせていて、そこで言うべき言葉を何度も逡巡し、
「彼女は、叔父である裏道京太郎を道ずれに死ぬつもりなんだ」
口元に手を当てながら後ずさる千春の横で、昇はたまらず床を踏み抜いた。
「あの……野郎っ!」
「僕が絶対にそんなことはさせない!」
悔しそうにうめき声を漏らす昇に、奏多は止めてみせると約束する。
「ああ、ここまで来たんだ。意地でも阻止してやらァッ! そんで俺っちの親友をこんな糞みたいなことに巻き込んだことを百億万回謝罪させてやるぜ!」
「あたしだってミチルちゃんに言いたいこと沢山あるよ。言いたいことぜ~んぶ言って、それでねぇ、もう一回友達になるの。ぜ~んぶ最初からやり直すんだから! できるよね?」
奏多は友達思いの親友の背中を軽くたたき、不安げな瞳に揺れる幼馴染の頭をなでた。
「当たり前だろ。そのために僕たちはここまで来たんだ!」
『なにかあったら二人に……いえ、なんでもないわ』
奏多は縁側でミチルが言いかけてやめた言葉を思い出していた。
――可能性……まだ裏道さんが視ていない可能性に連れて行かないと、きっと裏道さんは救えない。僕にできるだろうか、未だ見ぬ未来に裏道さんを導くことが……。
「ぐぅっ……!?」
ドアノブに手を伸ばした奏多の表情が苦痛に歪む。
「奏多!?」
「かなくん!?」
「来るなっ! ここはっ……僕が、開けるから」
内側から熱せられたドアノブは耳を塞ぎたくなるような音を奏で、容赦なく奏多の手のひらを焼いた。
――これは繰り返される可能性に苦しんできた彼女の痛みだ。
『誰も……救えなかったもの』
一体いつから視ていたんだよ。いつから知っていたんだよ。お父さんが誰かに殺される未来を、それを救えずに苦しみもがく自分自身を……。
これは彼女が固く閉ざした扉だ。
――開けてしまえばもう引き返せない。おそらくこの先にまっているのは裏道さんが視た最悪の未来だ。それでも、僕は信じるよ。きっとまだ見ぬ可能性があると……。
だから――
「この僕が、お前が選んだシェルパがっ! 最高の結末に案内してやるよ!!」
奏多は叫んだ。
「うおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
皮膚が爛れて溶けてしまいそうな痛みを押し殺し、彼女の世界の扉を抉じ開ける。
目の前に広がるのは灼熱の業火。熱風は容赦なく少年の口や鼻から侵入を果たし、一気に肺の中まで焼き尽くしていく。生半可な気持ちで近付けばあっという間に消し炭と化す。
それは誰にも気を許さなかった裏道ミチルの心、そのもののようでもあった。
「こんなの、通れないよぉ!」
室内の光景を目の当たりにした千春が絶望に狼狽える。
「確かにこれは、一歩でも足を踏み入れたら丸焼きになるだろうね。でも、問題ないよ」
「問題ないって、無茶だよかなくん! 死んじゃうよぉ!」
「いや、死なないよ。そうだろ、親友!」
背後で部屋の奥に目を凝らす親友に視線を投げた。
にやりと口端を持ち上げた昇は自信に満ちた顔でサムズアップ。
「おうよ! 炎の中にも道はあるんだぜ、千春! 見えてりゃ何の問題もねぇ」
「そっかぁ! ノブくんのジャンプならミチルちゃんがいる部屋まで飛べるんだねぇ!」
「ん……あいつは!?」
奏多は廊下の先に見覚えのある男を発見する。先日アビル内で自分を絞殺しようとした男が、奥の部屋で倒れていた。
――間違いない。ミッシェルが言っていた裏道京太郎の部下、間宮とかいうのがあいつだ。ってことは、あの部屋に裏道さんも居るはずだ。
「ノブ、あそこだ! あの男が倒れている場所に僕を連れていってくれ!」
「よっしゃぁああああ! しっかり裏道のところに送り届けてやるぜぇ!」
掴まれというかけ声とともに、二人は青白い燐光をまとった昇にしがみつく。
刹那、景色がまたたく間に移り変わる。
「――ってあちぃっ!? くそっ、ここも火の海じゃねぇかよ!?」
「ノブくん!? お尻燃えてるよぉ~!」
「マ、マジかよ!? 千春、尻をはたいて火を消してくれ!」
「う、うん」
友人の尻に付いた火を消火する二人をよそ目に、奏多は部屋の隅で震える男を一瞥。それからすぐに視線を移動させた。
部屋の中央には怜俐な口元にわずかな微笑を浮かべた少女が、幽霊のごとく立っていた。
その瞳からは感情の色が抜け落ちている。
十数時間ぶりの再会である。
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