第22話

 話し合いを終えた一行は、一度アビルス教団日本支部のアジトへ移動することにした。


 移動手段は堤下昇の能力――ジャンプである。


「しっかり掴まってろよ!」


 二人が昇の手を握りしめると、昇が能力を発動する。

 すると彼の体がまたたく間に青白く発光。まるで求愛する蛍のように光り輝くこと数秒、映画のシーンが切り替わるように、彼らの見ている景色が切り替わる。


「どこだ……ここ!?」

「異世界だ!? ここ絶対に異世界だよかなくん! あたしたち異世界転移しちゃったんだ」


 千春が異世界だと勘違いするのも無理はない。彼らの前方には広大な草原が広がり、その遥か前方にはノスタルジーな建物がそびえ立っているのだ。


 遠目からでもわかるほど荒廃した建物には、壁や柱などに蔦が絡まっている。その外観はさながらファンタジーゲームのようだった。見方を変えれば中東やアフリカの古代遺跡のようにも見える。少なくともここが日本だとは思えないほど、圧巻の世界が広がっている。


「ここは新潟県佐渡島の佐渡金山にある北沢浮遊選鉱場跡だ。見てわかる通り、いまでは巨大なだけのガラクタ、廃墟さ」

「……なんだ、異世界じゃないのか」


 自慢げに説明する昇の隣で、千春はあからさまにがっかりしていた。


「付いてこいよ」


 前方に頭を振った昇が廃墟に向かって歩き出す。


「ここがアビルス教団日本支部のアジトなのか……?」

「正確にはここはアビルス教団の中でも選ばれた信者、特別な工作員が集う隠れ家のような場所だ。いまはトリック製薬をぶっ潰そうって教徒たちが集まってる」


 要は宗教団体とは名ばかりの秘密結社である。例えるなら一六世紀から一七世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社――フリーメイソン。


 昇は用意されていた角灯を手に、慣れたようすで要塞のような廃墟に足を踏み入れる。そんな友人の後ろ姿を見つめる奏多は、少しだけ寂しさを覚えていた。自分の知らない昇がここには居て、こうして人は大人になるのかなと、何とも言えない気持ちに襲われる。それがノスタルジアなこの場所と相まって、胸にぽっかりと穴が空いたような虚しさが込み上げてくる。


 建物内は六月という事もあり湿度が高く、錆びた鉄の臭いと土の匂い、それにカビ臭さと雨上がりの草花の匂いが混ざり合った、なんとも言えない臭いに包まれている。


 暗く沈んだ奏多とは異なり、千春は大きな胸を揺らしながら興味津々といった相貌で周囲を見渡していた。その瞳は無邪気を絵に描いたような輝きを放っている。


 迷路のような廃墟を進んでいると「止まれ!」ドスの利いた怒声が湿った大気を揺さぶった。


「よせ、俺っちだ!」


 突如暗闇の中から現れたテロリスト風の男の手には、89式小銃が握られている。黒い銃口が二人をねめつける。千春は怯えた様子で奏多の腕にしがみつき、耳元で囁いた。


「あれ、本物かなぁ?」

「たぶんね」


 足がすくんでしまいそうになる自分とは違い、なぜ彼はこんなにも平然としているのだろうと、千春は疑問に思っていた。


「心配ないよ」


 薄く微笑んで頭をなでてくれる彼がとても頼もしく思えた。


 ――Mr.チェイサーに比べたら……。あいつなら目があった瞬間撃ってくるだろうな。


 死線をくぐり抜けた彼にとって、この程度どうということはない。


「トリック製薬をぶっ潰すための情報を入手した。彼らは情報提供者だ」


 昇が銃を下ろすようにいうと、男の鋭い眼光が値踏みするように二人に向けられる。


 数秒、凄まじい緊張がこの場を駆け抜けると、千春の額からは大粒の汗が流れ落ちた。


「いいだろう、通れ」


 奏多にしがみつく千春が、魂まで抜け落ちてしまいそうな溜息を吐き出した。


 二人はこれのどこが宗教団体なのだろうと、改めて武装した男を見て思う。テロリスト、もしくは軍人にしか見えなかった。二人は昇のことが心配になりはじめていた。


「こっちだぜ」


 彼らの気持ちなど露ほども知らず、パンクな少年は肩で風をきるように奥へと向かう。


「大丈夫なのかなぁ?」


 スマホに付けたエイリアンぬいぐるみをぷにぷにしながら、千春は不安そうに尋ねた。


「ノブが大丈夫だって言ってるんだから大丈夫なんだろうけど、用心はした方がいいかもな」

「だよねぇ」


 奥の部屋へ入ると、二人は昇にそこで待つよう言われる。昇が仲間に事情を説明している間、二人は興味深そうに周辺を見渡していた。


 室内と呼ぶにはあまりに殺伐とした空間には、男女が数名集まっていた。テーブルの上にはノートパソコンと通信機材、それに書類らしきものが散乱していた。一部崩壊している壁には巨大なタペストリーが掛けられている。大きな鷲が大空を羽ばたくタペストリーだ。


 鷲は元来、『強さ』『勇気』『遠眼』『不死』などを象徴として使われることが多い。また空の王者や最高神の使者として用いれられることもある。


 アビルス教団――それを象徴するようなタペストリーだった。


 重量感あふれる硬質な音と共に、銀色の髪の女性がハンドガンを机に置いた。奏多にとって悪夢のような黒い銃は、ソ連陸軍が一九三三年に正式採用した軍用自動拳銃トカレフTT-33。


 自分はあの銃に呪われているのではないかと、奏多は苦り切った表情で持ち主を一瞥。


 灰色かかった瞳と雪のように白い肌は、彼女が外国人であることを如実に物語っていた。部屋の隅には【SMIRNOFF】とラベリングされた空瓶が転がっている。ロシア産のウォッカだ。これらの事実から、奏多は流暢な日本語で友人と話し込む女性がロシア人だと推測していた。


「情報提供感謝するわ」


 笑顔で二人の元に歩み寄った女性が手を差し伸べる。握手を求められたことに戸惑う奏多だったが、断る理由もなかったのでそれに応じた。右に倣えと千春も握手を交わす。


「ソフィア・スミノルフよ。あなたの情報によって多くのアービルが救われることになるわ」

「アービル? ……ってなんですか?」


 奏多は聞きなれない言葉に困惑していた。


「アービルとはアビルの申し子である我々、選ばれし能力者を指し示す言葉。すなわち神の加護をその身に宿す者のことよ。わかるかしら?」

「はぁ……」

「良かったわ。昇に聞いたんだけど、あなたたちもアービルなのよね? 神に見放されたノービルスの間抜けたちだったらどうしようかと思ったわよ」


 彼女に悪気はないのだろうが、嘲るように口にするソフィアに、二人はあまり良い印象を受けなかった。



 ちなみに彼女のいうノービルスとはノービルス教団のことだ。


 拮抗する二つの教団に軋轢が生じていることは、ソフィアの発言や態度から見てもわかる通り、もはや一般常識になりつつある。要は二つの教団は非常に険悪だということだ。


 数年前にはウルグアイの首都、モンテビデオ独立広場でアビルス教徒とノービルス教徒が言い争いの末、大規模な争いに発展した。


 このときに多数の死者が出たことにより、両者の溝はさらに深くなったと云われている。


 イギリスはロンドンに本社を置くロイター通信は、近い将来宗教戦争が勃発するのではないかと警鐘を鳴らしている。


「あの、ソフィアさん……その、裏道ミチルは大丈夫なんですよね?」

「ソフィーでいいわよ。彼女の目的は昇から聞いているわ。父親を殺された復讐と、アビルゲートの破壊が目的でいいのよね?」

「そのはずですけど……」

「なら問題ないわ。彼女が裏道宗次郎から託された機密書類を我々に渡してくれるのであれば、彼女はむしろこちら側なのよ。聞くところによると、彼女もアービルだっていうじゃない。はじめから同志とわかっていれば、こんなにややこしい事態にはならなかったのよ」


 ソフィアの説明を聞いた奏多は難しい顔で眉根を寄せた。もしも彼女が機密書類を渡すことを拒んだならどうなるのだろうと、一抹の不安が過ぎる。


 勝ち気な性格の彼女が機密書類を他人に渡すだろうか。あれほど自らの手で復讐することを望んでいた彼女が、大人しく従うとは思えなかった。


「もしも、その……彼女が渡すことを拒んだら?」

「然るべき処置を取るだけのこと。少なくとも情報提供者であり、昇の友人であるあなたたちに危害が及ぶことはないわ。そこは安心してちょうだい」


 それはつまり、最悪裏道ミチルには危害が及ぶ可能性があるということだ。


 話を終えたソフィアが昇にアイコンタクトを送ると、「ここからはプロの出番だぜ! 二人は表で待っていてくれ」二人には退室するように言った。


「ちょっと待ってくれ! 僕も一緒に裏道さんのところに行くんだよな? ノブはそう言ったよな?」

「わかってる、わかってるって! でもな、状況は常に変わるんだぜ。すぐに家まで送るから、ちょっと外で待っていてくれよ。俺っちは二人に危険な目に遭ってほしくねぇんだよ。わかるだろ? なっ、わかるよな?」


 何度も下手なウインクをする親友に、奏多は『?』という顔つきで「……わかったよ」渋々うなずいた。



 昇はソフィアたちと今後について話し合いを行うため部屋の奥へ向かった。

 奏多と千春の二人は、見張りの男によって建物の外まで追い払われてしまう。

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