第21話

「ノブ!」


 ミチルが使っていた部屋の前で立ち止まった昇の視界には、泥棒に荒らされたような部屋が広がっている。その後方にはあちゃーと顔をしかめる奏多の姿があった。


「ねぇ、一体なんなのっ!」


 追いかけてきた千春が奏多の横顔と昇の背中を交互に見やり、「喧嘩したぁ~?」不安そうに小首をかしげた。


 昇は床に落ちていたメモを手に取ると内容を確認。すぐに通帳と印鑑を拾い上げた。


「奏多、これはどういうことだ? ……全部あげるってのはどういうことかって聞いてんだよ! お前はここで裏道と何をしていた!」

「……ノブ」


 はじめて見る友人の顔に、奏多は頭の中が真っ白になっていた。


 胸ぐらを掴み上げる昇に、「ちょっとノブくん! 喧嘩はダメッ!」千春が慌てて二人の間に割って入る。


「何があったか知らないけど、喧嘩だけはぜ~ったいにダメッ! わかった? 二人とも『はい』は?」

「……悪かったよ。その、つい熱くなり過ぎた。悪りぃな、奏多」

「いや、ノブが怒るのは当然だよ」

「美味しいお茶淹れてあげるから、二人とも一度リラックスしよ」


 彼女の言うことを素直に聞き入れた二人は、現在一階の居間で向かい合っている。


「で、二人はどうして喧嘩しちゃったの~?」

「喧嘩じゃねぇよ。ただ、俺っちは奏多が心配なだけだ」

「心配って……?」

「奏多は千春に嘘をついて、裏道をこの家に住まわせたんだよ」

「どういうことぉ~?」


 昇は千春にミチルがトリック製薬の娘だと話した。億万長者の彼女が家賃を払えなくなってしまうことなど、万に一つありえないのだと。


「かなくんはどうしてミチルちゃんの嘘に話を合わせたのぉ?」


 てっきり奏多は怒られるものとばかり思っていたが、千春は冷静だった。幼い頃から自分たちがテンパると、彼女が途端に落ち着き払うことを思い出す。


「あたしやノブくんにも言えないことぉ?」

「いいか奏多、裏道ミチルはひょっとしたら神に仇なす人類の敵かも知れねぇんだ」

「は?」

「詳しくは言えねぇが。俺っちは、そうだな。とある組織に属しているとだけ言っておく」


 ――組織……?


「ちょっと待って! 組織ってなに!? ノブは一体何の話をしてるんだよ!」

「だから、裏道ミチルは邪教徒かも知れねぇって言ってんだよ!」

「ちょっと待ってよ! ノブと裏道さんは付き合ってるんだよね?」

「は? こんなときに何言ってんだよ、お前……」

「…………あ」


 ようやく奏多は気がついた、すべて自分の勘違いだったということに。


「いや、その……ごめん、続けて」


 恥ずかしそうに小さくなる友人を、昇は怪訝な面持ちで見ていた。


「そういえばノブくんてアビルス教徒だっけ?」

「ノブがアビルス教徒!?」


 友人のとんでもない暴露に、今の今まで萎縮していた奏多が驚愕に目を丸くする。


 七年前、世界の1/10が消し飛んだ日、光の膜が世界を覆った。小惑星アビルの光を浴びた一部の人類は進化を遂げ、人類は二種類に分類された。能力者と非能力者に。


 アビルス教徒、そう呼ばれる人たちは前者に当たり、アビルを神と崇めている。


 ノービルス教徒、そう呼ばれる人たちは後者に当たる。信者の大半が能力者をよく思わない。空に揺らめく光のカーテンを悪魔の囁きと誹議することもある。


「なっ、ななななななんで千春が俺っちの秘密を知ってんだよ!?」


 秘密を暴露された事よりも、千春が秘密を知っていた事に驚きが隠せなかった。奏多は親友がアビルス教徒だという事実に、驚きのあまり言葉が出てこない。


 昇がアビルス教徒だということは、高い確率で彼が能力者であるということでもある。


 アビルス教徒の多くは自身に力を与えてくれたアビルを神と崇める者たちで構成されている。彼らは世界を覆う濃緑色の光こそが神だと主張。それは縄文時代の岩石信仰に似ている。


「だってノブくんのお母さんが宗教に入ってから熱心だって言ってたもん。ノブくん近所で有名だよ? 田舎って噂が回るの早いよねぇ~」

「あの糞ババアッ!」

「ノブくん! お母さんのことをそんな風にいうのはダメだよ! ぜ~ったいにダメッ!」

「でも待てっ! 宗教なんて世の中五万とあるだろ? なんで俺っちがアビルス教徒だって分かったんだよ!?」

「えっ、だってノブくん能力者だよね?」


 スッと息を呑み込んだ昇が、石化してしまった。


 奏多はなぜ、親友の自分すら知らなかった昇の秘密を、千春が知っているのかと不思議でならなかった。驚愕に固まる昇の反応を見ても、彼が彼女に打ち明けたとは思えなかった。


「なんで……バレてんだよ。俺っち……訳がわからねぇよ」


 マンドレイクを使用することなく自力で石化を解除した昇は、哀れにもその場に崩れ落ちた。隠し通せていると自負していた分、知られていたことが余程ショックだったのだろう。


「だってノブくん一瞬で遠くに移動するんだもん。瞬間移動ってやつだよねぇ? いいな~、旅行し放題だよねぇ~」

「ど、どどどどどうして俺っちの能力まで知ってんだよっ!?」


 親友がジャンパーだったことにも驚きだが、何よりそれを言い当ててしまった幼馴染の方が驚異だった。まさか自分もバレているのではないかと恐ろしくなり、怖いもの見たさで少女の顔をガン見してしまう。


「……なにぃ〜?」


 きょとんとした顔で小首をかしげる千春にぶるっと身震いした奏多は、なんでもありませんと全力で首を振る。


「お、おい! 俺っちの質問に答えろよ千春!」

「だってあたしも能力者だもん。あたしの能力はねぇ〜ワンダフルノーズっていうんだよ」


 笑顔で爆弾発言をする千春に、二人の少年は息を吸ったまま吐き出すことを忘れて絶句。


「あたしの能力はねぇ、嗅覚が犬以上になるんだぁ〜。どこに居たって、あっ! 今晩はカレーだな〜ってわかっちゃうんだなぁ〜」

「っんなことはどうでもいい! つーかなんでそんなへんてこな能力で俺っちの能力がわかんだよ!」

「えぇ〜変なのかなぁ? 小学校の頃とか教室に居ても今日の給食とか当てられたよ?」

「今月の献立表を見りゃ済む話だろ! そういうのを能力の無駄遣いっていうんだよ! ったく。……って、そんなことはどうでもいい。それより何で俺っちの能力がわかった?」

「中学の頃ね、ノブくんのお母さんに息子がどこに行ったか知らないかって聞かれたの、だから探してあげようと思ったの」

「探すって……てめぇまさか!? 俺っちの匂いを嗅いで追跡したのか!」

「うん、そだよぉ〜。駅の男子トイレからノブくんの匂いがするなぁ〜って思ったら、次の瞬間にはず〜っと遠くに移動しちゃうんだもん。驚いちゃった。それからね、気になったから時々ノブくんの匂いを嗅いでたんだぁ〜。そしたらあっち行ったりこっち行ったり、ノブくんが一瞬で移動するんだもん。お陰でノブくんの匂いを完璧に覚えちゃった、えへへ」


 照れながら頭をかく少女に「プライバシーの侵害だ!」少年が悲鳴に似た声を響かせた。


「二度とその能力を俺っちに使うな! いいなっ! 約束しろ!」

「えへへ、どうしよっかなぁ〜」


 楽しげにフラワーロックのように揺れる少女に、ちょっとした恐怖を覚える奏多は、まさか自分の匂いも嗅がれていたのではないかとソワソワする。


「でノブくん、ミチルちゃんが人類の敵ってどういうことぉ?」

「いや、それは……その、まあ……なんだ、ほら……な」


 突然歯切れが悪くなった昇は、うーんと喉を鳴らしながら天井を見つめる。それからしばし沈思黙考。


「ああーくそっ! ここまで知られてたらもうどうでもいいっ!」


 苛立ったように反骨精神の象徴をぐしゃぐしゃと掻きむしった。


「俺っちが所属するアビルス教団はよ、密かにトリック製薬を調べていたんだ」

「そこってさっき言ってたミチルちゃんのお父さんの会社? 何のために調べていたの?」

「トリック製薬はアビルゲートとかいう訳のわからねぇ装置を開発し、アビルを冒涜しようとしたんだ。そのことを知った教団のお偉い方は当然キレた。アビルに何かして力が消えたらと恐れたんだ。だから装置を見つけ出して破壊する必要があるんだよ」

「ノブくんがミチルちゃんのお父さんの会社を調べていたのぉ?」

「俺っちはジャンパーだからな、ある程度の距離までなら一瞬で飛ぶことができる。諜報員として能力を買われたのさ。成果を上げりゃいずれ幹部に取り立ててもらえるしな」

「ミチルちゃんの事も調べてたの?」

「そりゃ入学した高校に調べてる会社の娘がいたら気になるだろ? それに知ってっかぁ? あいつ元々東京でエスカレーター式のお嬢様学校に行っていたんだぜ。それがなんでこんなど田舎のしょっぼい高校に来るんだよ? だから気になって調べてたんだよ」


 通りで詳しかったわけだと、奏多は内心納得していた。


「それがミチルちゃんと何の関係があるのぉ? そのアビルゲートとかいう装置を作ったのは亡くなったお父さんなんだよねぇ? ミチルちゃんとは関係ないよねぇ?」

「それが調べているうちにそうとも限らねぇってことがわかったんだ。アビルゲートに関する情報を提供してくれたのは元トリック製薬の幹部。そいつが言うには、裏道の父親さんは亡くなる寸前、娘にとあるプロジェクトに関する機密書類ってのを託したらしいんだ。要は裏道ミチルがプロジェクトを引き継いだ可能性があるってわけだ」


 昇の話を聞いていた奏多は、アビルス教団の間違いに気付く。教団のいうプロジェクトとは、おそらく【人類永久計画】のことだ。しかし、彼女はプロジェクトを受け継いでいない。


 裏道ミチルが天道奏多の元にやって来た理由、それはアビルゲートが使用できなくなってしまったからだ。仮に彼女がプロジェクトを受け継いでいたのなら、使用できないというのはおかしい。しかし、それを昇に説明するためには、奏多自身の能力について言及する必要がある。昇たちが探している機密書類にも心当たりがあった。『556』の管理者が言っていた鍵だ。


 そこに隠された何かを巡り、二つの勢力が争っている。


 トリック製薬側は【人類永久計画】を完遂するため、アビルス教団はそれを阻止するため、水面下で争っていた。


「でもそれって変だよねぇ?」

「どこが変なんだよ?」

「だってノブくんのいう通りだったとしたら、どうしてミチルちゃんはこんな田舎に引っ越して来たのぉ? プロジェクトってのを成功させたいなら、東京に残るんじゃないかな?」

「そいつはちげぇな。裏道はプロジェクトに必要な人材を手に入れるため、この街にやって来たのさ。そして、こともあろうに俺っちの親友を脅迫して従えようとした」

「それってかなくん!?」


 昇はひどい勘違いをしていた。しかし、この誤解を解くためには、奏多も正直に自身の能力について話をする以外に方法はない。


「それは違うよ」

「奏多! まだあの女を庇うつもりか!」

「違うんだ、ノブ。彼女は僕をスカウトしに来たわけでもなければ、脅迫しに来たわけでもない。彼女は父親を殺害した犯人を、僕に探してほしくて来たんだよ」

「え……?」

「ミチルちゃんのお父さん殺されちゃったの!? でも、なんでかなくんが探せるの?」


 観念したとうなだれる奏多。


「僕も……その、二人と同じ能力者なんだ」


 幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた彼らだが、互いに言えない秘密を隠しながら生きていた。それもすべてはアビルによって人類が二分してしまった結果である。


 能力者と非能力者はいがみ合い、争い合うことがしばしある。共存するためには時に、真実を隠し、口を閉ざすことも必要なのだ。


 自身の能力について、そしてミチルについても、奏多は隠すことなくすべてを打ち明けた。


「裏道の目的は親父さんを殺害した犯人を殺すことだったってわけか……ある意味納得だ」

「そんなの納得しちゃダメだよ!」

「僕は知らず知らずに裏道さんの復讐に加担していたんだ。だから、なんとか食い止めようと思って……」

「裏道の荷物をひっくり返してたってわけかよ」

「……うん、黙っててごめん」


 奏多は二人に頭を下げた。嘘をつき、心配をかけてしまったことは謝って許されることではないのかもしれない。けれど、不器用な少年は頭を下げる以外に方法を知らなかった。


「かなくん、頭を上げて。かなくんは善意でやったことなんだから、責任を感じることなんてなにもないんだよ」

「千春のいう通りだぜ。黙っていたことに罪悪感を感じてんなら、そりゃ俺っちたちも同じだ。こんな世の中だ、言いたくても言えねぇことくらいあるさ。それが例え親友だったとしてもな。だけどよぉ、それで壊れるほど脆くねぇはずだろ? 俺っちたち幼馴染みの絆は!」

「そうだよ! これからはもう隠し事もないんだから、ここから三人でやり直そうよ! きっとミチルちゃんがその機会を与えてくれたんだよぉ〜」

「ノブ。ちーちゃん……」


 奏多はずっと自分が不幸だと思って生きてきた。生まれてすぐに両親を失い、先月には大好きな祖父を失った。


 けど、違った。


 彼には心から信頼できる親友が二人もいる。それはきっと、この上なく幸せなことなんだと、天道奏多は今更ながらに気がついた。


「そうとわかりゃぁー俺っちたちで裏道ミチルを止めるぜ!」

「うん! 友達に人殺しなんてぜ~ったいにさせないもん!」

「二人とも……手伝ってくれるの?」

「たっりめぇだろ! そもそも俺っちはトリック製薬が所有するアビルゲートってのをぶっ潰すのが目的なんだ。それに、そのなんだ……ミッションかミッシェルか知らねぇが、そいつの思い通りになるってのも気に食わねぇ。それと、一応……裏道の奴はクラスメイトだしな」

「友達が困っていたら手を差し伸べるし、間違った道に進もうとするなら止めてあげるのが友達なんだよ! だから、ぜ〜ったい止めてあげようね」


 立ち上がり照れくさそうに口端を持ち上げる昇と、天真爛漫な笑顔の千春に「ありがとう」頭を下げた奏多も立ち上がる。その顔からは焦りや不安といったものが全部消えていた。


「問題はどうやって裏道さんの居場所を見つけるかなんだよね」


 部屋を調べたが、手掛かりらしい物は何も出てこなかった。そのことを二人に伝えると、


「それなら問題ないよ。ミチルちゃんの匂いならあたし覚えているもん! 地獄の果てまでだって追いかけられるんだから!」


 えっへん、と大きな胸を突きだした千春が、はじめて頼もしく見えた瞬間だった。


「その前に、一度仲間のとこに行ってもいいか? この事を上に報告しねぇと」


 でも……と、奏多は不安そうに眉をひそめた。


「奏多、裏道を助けるためにはそれ相応の権力ってのが必要になるぜ。なんせ相手はトリック製薬の現CEOだ。無策に相手の懐に飛び込めば、ゲームオーバーになるのはこっちだぜ」

「裏道さんの叔父さんて……そんなにヤバい人なのか」

「実の兄を殺すような野郎だからな。金と権力を使えば、一部の警察や政府を買収することも可能だしな。そんな相手を捕まえるとなりゃ、こっちにもそれなりの重鎮が必要になる。幸い俺っちが所属する教団の中には、政界と深い関わりのある人や、警視庁のお偉いさんと繋がりのある大物もいるらしいから、証拠さえ掴むことができれば裏道の叔父を捕まえられるはずだぜ」

「わかった、ノブを信じるよ」

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