第14話

 天道奏多と裏道ミチルの両名がホテルの廊下に座り込んでいた頃、非常階段を駆け下りる男はパニックに陥っていた。


「どうして、どうして彼女がここにいるんだ! くそっ、もう時間がない」


 腕時計に視線を落とした男は胸のあたりを掴み、苦しそうに顔を歪めた。


「早く、早く戻らなければ……」


 脂汗を浮かべる男は非常階段を一気に駆け下りると、一階に設置されていた火災報知器のスイッチを乱暴に押した。それからすぐに一階のフロアに設置された黒電話に手を伸ばす。


 急いでどこかに電話をかけている。


 すると次の瞬間、男の姿が忽然と消えた。あとに残されたのは宙に漂う受話器だけだった。




「――はっ!?」

「遅いぞ、間宮!」


 化学薬品の匂いが漂う部屋の奥には、白衣に袖を通した男とブランド物の高級スーツに身を包んだ男の姿があった。

 トリック製薬研究所所長北条旋律と、同じくトリック製薬CEO裏道京太郎である。

 京太郎は機械仕掛けの椅子に座るスーツ姿の男、間宮浩二に怒声を放っていた。


「す、すみません。しかし、予測不能な事態が――」

「言い訳はするなっ! それに説明はしたはずだぞ間宮! アビルに潜るためにはこの貴重なソウルエナジーを一時間に一本打たなければならない。しかし人間の肉体は脆い。連続で使用できるのは三本が限界だと!」


 京太郎は銀のアタッシュケースから拳銃型の注射器を取り出しては、部下の男を目下に怒鳴りつけている。


「ククッ、四本目を打ち込むと、君の身体は途端に痙攣起こし、あっという間に心停止するだろう。そうなれば君は永久にこちらへ戻って来れまい」


 間宮の全身に取り付けられたプラグを外しながら、北条は愉快そうに肩を揺らす。生真面目そうな男は恐怖に生唾を飲み込んでいた。


 それから北条はラウンド型の色付き眼鏡の縁を母指球で持ち上げる独特な仕草を交え、「それで――ククッ、予測不能な事態とはなんだぁ?」男の肩口から不気味に顔を覗かせた。


「み、見たんですっ」


 顔面蒼白の男が声を震わせた。


「何をだ」


 苛立ちを隠せない京太郎が威圧感たっぷりに聞き返す。


「社長の……姪ですよ。裏道ミチルがアビル内に居たんですよ!」


 幽霊でも見たと言わんばかりに絶叫する男に、京太郎の全身からはサッと血の気が引いていく。


「ばっ、馬鹿なことを言うなっ!」

「ククッ……」


 取り乱した様子で髪を掻きむしる京太郎とは違い、北条は必死に笑いを堪えていた。その笑い声が京太郎の神経を逆撫でし、北条は胸ぐらを掴み取られてしまう。


「北条、なにが可笑しい!」

「ククッ、これほど愉快なことはないさ。間宮くんの証言がもしも真実だったとするなら、裏道ミチルはアビルゲートを使わずしてアビルにアクセスしたことになるのだよ」

「それのどこが面白い!」

「考えてみたまえ、それは即ち彼女が既に死亡しているか、或いはシェルパの存在だよ。私は後者だと願うがね……ククッ」


 粘着質な声音が研究室にこだまする。


「シェルパだと……あの女が案内人を見つけ出したというのか」


 後ずさる京太郎の顔がみるみる恐怖に歪んでいく。


「彼女は、君の姪はいまどこにいる……?」

「……わからない。兄が死んで以来行方不明なんだ」

「すぐに部下に探させろ。もしも彼女が本当にシェルパを見つけ出していたとすれば、すべてを知られるのも時間の問題だ。なにせ向こうにはシェルパがついているのだからな」



 北条の説明を聞いた京太郎は血相を変えて研究室を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る