第零章 昔話
第1話 牢獄
「初めまして」
「死ね」
「私は、リーデル王国大賢者が一人、フラン・マラガーといいます」
「死ね」
「ボキャブラリーが終わっていますね」
男は笑顔のまま頭を抱えた。
後輩から預かってしまった少女。
アリス・レズポンド、西部地方出身の16歳だと自身で名乗った。
しかし、二つの意味でとても16歳だとは思えない、
16より上に見るなら、悪の全てを知ったような瞳。
下に見るなら、明らかに小さな体と肉付きの微塵もない胸部。
唯一、荒んではいるが、赤い目だけが、他に似合わず傷を受けていなかった。
念のためで入れている、王宮の地下牢獄。
至る所で醜いうめき声が聞こえるような場の一室に、その少女はいた。
ここに入れるために服も変えたのかと看守に聞けば、変えていないという。
まるでそこらで拾ってきたかのような、粗末な布だけを身につけ、恐らく金色であろう髪も汚れきっている。
「このままコミュニケーションを望んでも時間の無駄なだけですね」
フランは早々に見切りをつけると、後ろに立たせていた女を呼んだ。
「彼女の世話を頼みます。諸々」
「クソ主人様に代わって、承知しました」
「はい。よろしくお願いしますよ」
恐らくお付きの者であろうに、主人にこれ以上ない暴言を吐き散らしてから、女は少女に歩み寄った。
荒んだ赤い瞳はじっと女を見上げた。
「精霊・・・」
「はい。ワタクシはフラン様の契約精霊です。名をジュライナーヴ。水と風の混合上位精霊にあたります。どうぞ、ジュナとお呼び下さい」
女は、膝を折って一礼した。
少女は精霊だと認識したが、おそらくは人間に擬態しているのだろう。
それも限りなく近く。
パッと見なら、あの男にメイドとして仕える人間の女といったところだろう。
「混合上位精霊・・・」
「ご存じですか?」
少女が小さく反応すると、精霊は笑顔で返してきた。
「・・・別に」
渋りながら正直に答えると、精霊は表情を綻ばせた。
「博識でいらっしゃるのですね」
―――混合精霊
水、火、風、氷、地、光の六種類の魔法の内、本来一種類のみを司る精霊が、何らかのバグで複数の種類を宿す精霊へと変化した姿を指す。
非常に珍しく、二種類以上の魔法を操れることによりその強さは軍を抜いており、また性格も高貴な者が多い。
その上位精霊と来れば、存在すら神話上の話だと片付けられるほど。
「馬鹿言うな」
「流石です」
精霊は変わらず笑顔を浮かべ続けた。
(精霊如きが、同情するなよ)
少女は、荒んだ目を更に鋭いそれに変えながら精霊を睨んだ。
「後輩殿からお話は聞いています。王宮魔法使いへと成られたのです。サポートいたします」
「いらない」
「いりますよ」
少女の目つきは一層悪くなっていった。
―――王宮魔法使い
リーデル王国の最高峰の魔法使い達をいう。
魔法、出自、勉学の三方面全てに優れた、エリート中のエリートのみに開かれる進路。
五人の大賢者と二十人前後の賢者から成る。
(からかってんのか)
少女は鼻で笑った。
魔法が他の羽虫に劣るとは思っていないが、それだけだ。
勉学は勿論、出自なんて自分の最大の落ち度だ。
「クソが」
昨日、住処に王都の役人だという男が来た。
少女を訪ね、王宮魔法使いになれと言ってきた。
―――リーデル王国
世界が魔法に蹂躙されて早二百年。
未だに魔法界のトップを走り続けるこの王国。
王都を中心に、東部・西部・南部・北部の四つに分かれた、広大な土地と、優秀な魔法使いがリーデルのアピールポイント。
しかし、その本質は「才能主義社会」だ。
国民全員が魔法を使えるわけではなく、一定の魔力を持っている者に魔法使いという名が与えられる。
そこからは、魔法学校に通うなり、師弟関係を築くなり、魔法を極める方法はいくつかある。
が、それでも上に上がれるのは才能のある者だけ。そんな国だ。
「いいご身分の連中には一生分からない。ほんと、ばっかみたい」
少女は男と精霊と、目を合わせようとしない。
そう、リーデルは才能社会なのだ。
それであっても、身分の差は完全には埋まらない。
どうせ貴族出身やらなんやらのお偉いさんに、何が分かるというのだ。
厳密に言うなら、身分の差とは、世間での立ち位置の問題ではない。
こちらの気の持ちようの問題だ。
貴族にほいほいと同情されて何が嬉しい。
少女は貧困の出だった。
西部地方は基本的に砂漠地帯のため荒野になっており、それ故か貧困層の土地だ。
その西部地方でも
あと一歩、治安維持が利かなければ、きっと金の概念もなくなるような場所になっていた。
加えて、親のいない家で育った少女に残ったものは、荒んだ瞳と歪んだ精神だけ。
食事も満足に取れていなかったのだろう。普通を知らないから分からないが。
自らの昔を思い出すと、少女の喉に酸味を帯びた異物がこみ上げた。
「ほんっっと、ばっかみた――
身につけていた薄い布をぎゅっと握りしめながら必死に絞り出した言葉を放ったところで、少女の声は尽きた。
手に付けられた錠が、地面に当たる音だけが静かに響く。
少女と精霊のやり取りを後ろから見ていた男が口を開く。
「出してやりなさい」
男は静かに看守に命令した。
看守はそれに戸惑い、反論する。
危険です、と一言。
「それだから彼女はここまで来てしまったんだろ」
男はその看守の意見をねじ伏せた。
しかし。
看守も素直には認めない。
看守の意見は正論だ。
これを放ってはいけない。
あの魔力の流れを停止させる錠から解き放てば、これがどうなるか、とても想像出来たものではない。
看守の心は変わらない。
たとえ相手が大賢者であろうとも。
「やはりいけませ――
そこまで聞こえたところで、看守の声も途絶えた。
「急ぎなさい」
「はい」
男は看守の首に手刀を振り下ろした。
精霊にすぐに命令する。
牢の鍵を開け、少女の錠を解く。
「軽い」
少女を抱えたところで、思わず精霊が呟いていた。
体重の話だろう。
深刻な健康状態に、まず間違いはなさそうだ。
そして牢を空にし、男と精霊は姿を消した。
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