白雨やどりに、好きな色

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白雨やどりに、好きな色

 白い色が嫌いだった。街の色も木々も白に染まって、世界に色というものが失われつつあるから。

 廃墟群を宛もなく彷徨っていると、不意に耳に痛い音がする。音の正体は湿度の上昇とペトリコールの匂いに反応するアラートで、雨が降る前に鳴るものだった。リュックに提げていたアラートの音を切り、辺りを見回して雨宿り出来る場所に当たりを付ける。一階部分がガラスの窓になっている、あの大きな建物ならば雨を凌げるだろうか。今にも雨を降らせそうな黒い雲から逃げるように、小走りで向かった。

 この周辺は元々は住宅地のようで家が連なっていた。けれど中に人は住んでいない。みんなとっくの昔に住みかを捨てるか死んでしまっていたから。

 おそらくここは病院だったのだろう。開きっぱなしの入り口を入るとすぐに受付があって、広間は待合室になっていた。硬いソファのホコリを払い、外を向くように私は座る。風に流された雲が迫ってきている。しばらくするとやっぱり雨が降ってきた。

 空から降るのは白い雨だった。これが結晶を抱いた雪ならいいのに、ベトリとした雨だから気分は落ちる。雨は、今日も街の色を消していく。昔は雨というものは透明だったと聞くが、今となっては信じられない。新しい常識は、古い常識を無いものとしてこの雨のように塗り替えていく。真っ白に。まっさらに。

 この雨の正体は分かっていない。火山の影響か、近隣の国が何かの実験をした結果の雨だとか言われているけれど、今のところは明らかにされていない。

 分かっていることは、強い酸性を示し、人によっては肺を冒すということだ。

 物心付いたときには親はいなくて、同じような子ども達がいるところで育ったけれど、大きくなるにつれて数が減っていった。友達もいなかった。みんな死んでしまった。私だけが生き残っている。

 雨粒が窓に線を引いていく。雨の質感はポスターカラーを水で溶いた感じに近い。水が溜まると不透明な白さだが、窓に付くくらいなら引き伸ばされて濁った色になる。

 雨宿りの間に、この病院を散策しようと思う。もしかしたら使えるものがあるかもしれない。

 白は無を想起させるから、医療機関で採用されなくなったという話を聞いたことがある。この病院もそれに倣ったのか、壁紙がオレンジがかった色をしていて、調度品は木目調だったから晴れた日の屋外のような清々しさがあった。電気は点いていないが、天窓から日が入るから俄に明るい。

 診察室、病室、売店を順に周り、水や缶詰を調達する。小さな図書室にはいくらか本が残っていたから拝借した。

 患者同士の談話室らしき部屋に行くと見慣れない物があった。白い人型アンドロイドだ。忌々しい白い色。大きさはやや小さく、立てば私の胸の高さほどしかないだろう。カーペットに足を伸ばしすようにして、首をもたげている。患者の話し相手用のアンドロイドだろうか。

「……ねぇ君、まだ動いたりしない?」

 返事は無い。暇を潰すには丁度いいから再起動を試してみよう。私は天窓のあるホールへと引きずっていく。確か、この型のロボットは表面に太陽光発電システムが埋め込まれているから、光にさえ当てれば充電出来る。壊れていない限りは、動くはずだ。

 天窓の光の射す場所に、ロボットを寝転ばせる。小腹が減ったので携帯食料をつまんでいると、三十分もしないうちにそいつの目に光が灯った。

「こんにちは。生きてる?」

 膝立ちで側に寄り、呼び掛けると目がくるりと一周して、手を床に付けて器用に立ち上がった。それでやっと私と目線が同じになる。

「自分はロボットですので、『生きている』と言うのは正しくないでしょう。稼働可能です。この光であればあと二時間で充電が完了します」

 再起動は意外にもすんなりいったらしい。同時に胸がどこか熱くなる。会話が成立する相手がいるというのは嬉しいことなのだということを思い出した。

「君は誰?」

「かつては医療に従事するロボットでした。あなたの健康状態はいかがですか? 必要とあらば、心拍と血圧くらいならば腕を握ればすぐに測れます」

「なるほど」

 必要は無いけれど、興味はある。

「測って」

 アンドロイドは私の腕を取り、二の腕辺りを握った。アンドロイドの目の縁がクルクルと光り始める。測定中の光らしい。

「君は暖かいんだね」

「人の皮膚を模した人工皮膚で、人の皮膚と同じ温度に設定してあります」

「生きてるみたいだ」

「生きているわけでは無いので、その言い方は正しいでしょう」

「目はそこにあるの?」

「ええ。基本構造は、人間と同じ位置に似た器官があるように出来ております」

 一分ほどが経ち、回っていた光が止まった。

「測定が終了しました。平常値です」

「健康?」

「健康です」

「本当に?」

「本当です」

 機械が言うのなら確かなのだろう。腕を下ろしアンドロイドと向かい合うように座ると、アンドロイドも同じように腰を下ろした。話をしてみたい、という意図が伝わったらしい。

「この世界のことはどのくらい分かる?」

「白い雨のせいで人が減り、街を捨てたことは分かっています」

「君は患者さんの話し相手だったの?」

「その仕事をメインにしておりました。心細い患者に寄り添うことがわたくしの役立てることです。どんなに暴言を吐かれようとも心が痛むことはありませんし、容態が急変してもすぐに対応できます」

 現役のときは中々にハードな仕事をしていたことが垣間見えた。人ではなく、アンドロイドだからこそ務まる部分もあったのかもしれない。

「メインということは、他にも仕事があったんだ」

「ええ、もう一つの仕事の方が重要であったかもしれません」

「どんな仕事?」

「それは……」

 アンドロイドが言い澱む。いたく人間らしい行為をするじゃないか。

「私は患者じゃないから、教えてよ」

 そう促すと、アンドロイドは納得したように一度首を縦に振った。

「そうですね。いいでしょう。人はロボットに対し『嘘は吐けない』と思っていらっしゃることが多いようです。それを逆手にとり、嘘を言うことが私の仕事でありました」

 嘘を吐けるロボット、ということか。

「末期患者に『治る』と言い、少しでも心安らかに余生を過ごしていただくことが自分の役割です。人たる医者の言うことより、ロボットのことを意外と信じてくれるものなのです。不思議ですね」 

「じゃあ、君のことはあまり信じられないということ?」

「いえ、必要なときにしか嘘は吐きません。基本的には正しいことを言うので信頼してくださって構いません」

「たまには嘘を吐くということか」

「そうですが……人と相対するよりも嘘を吐く頻度は少ないかと思います」

「ああ、そういうこと」

 つまり、人としゃべるよりはどうやら信頼できるらしい。

 雨はまだしばらく止みそうになかったから、このアンドロイドと話して時間を潰すことにした。


 

 外を見ると雨は弱まっていた。けれど、空は暗いままだ。

「君と話していたら、あっという間に時間が過ぎてしまったね。夜がやってくるみたいだ」

「ええ、そうですね。ご飯を食べて就寝なさりますか? 眠るのであれば、五階のベッドを使うといいでしょう。あそこはあまり使われていませんでしたから、綺麗なままなのです」

「それは良い情報を聞いた。案内してくれる?」

「もちろん」

 広めの個室に案内され、ご飯を食べて眠ることにした。久しぶりのベッドだったし、しゃべり疲れたし、今日は楽しかったから、夢も見ずよく眠れた。

 次に目覚めたとき、十分に眠れたようでかなり頭がスッキリとしていた。この朝の空気のようにクリアだ。

 この部屋は窓から街が一望出来た。カーテンの隙間から日の光が入ってきている。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「うん、眠れた」

 アンドロイドは部屋の片隅でスリープモードに入っていたらしい。私が起きたことに気付いて解除したようだ。

 私はベッドを抜け出て、カーテンを開けた。白い雨の纏わりついた街が見えたけれど、今は嫌な気がしない。理由は簡単だった。

「ねぇ、朝日が綺麗だね」

 街が朝日の色になっている。街の向こうから丸い太陽が徐々に姿を顕していた。空は赤く染まり、朝がやってくる。

「ええ、綺麗ですね」

「本当に、綺麗だ」

 綺麗だと思ったときに口に出せば、そうだねと返事が帰ってくる。そんな普通のことが、今はなんて嬉しいんだろうか。

 空からどんなに白い雨が降ろうとも、朝の光は赤く、晴れた日の空は青い。世界は無の白には満ちていない。白が嫌いというならば、それを忌避するだけではなく他の色を愛せば良いのだ。

「誰かと見る朝日はこんなにも綺麗なんだね」

 ――このアンドロイドと一緒ならば、行けるのではないだろうか。目指している土地へ。

 宛がない、というのは半分は嘘だった。行こうとしている場所はある。けれど一人で行くには到底辿り着けないと思っていた。

「私はあの朝日の出ている方へ行きたいんだ」

「東、ですか?」

「そう、東。あちらには首都があって、まだ機能しているらしいんだ。そこに行こうと思っているんだけど……もしも可能なら、君も一緒に来てくれないか?」

 隣を見る。アンドロイドの白い体は、街と同じ色に染まっている。

「こんなわたくしでよろしければ。役に立てる場所がわたくしの居場所です」

 私の好きなオレンジ色に染まったこの人が、首を一度縦に振った。



「首都ならば案内できます。GPSが内蔵されてますし、今も機能していますから」

「想像以上に有能だ」

 準備を整えて、私たちは東へと向かうことにした。アンドロイドの良いところは荷物を二倍運べることだ。ついでに私のことも運んでほしいと言ってみたら、さすがに重量オーバーだと断られてしまった。

 アンドロイドは疲れを知らないから、休むこと無く前へと進む。だから最初は私を置いて先へと行ってしまうことも多かったけれど、日が経つとどのくらいで私が疲れるのかを分かり、適当に休みを挟むようにしてくれた。さすが、病院で働いていただけのことはある。

 そうしていくつもの街を通りすぎ、いくつもの山を越えた。



 アラートが鳴ったからいつものように雨宿りをしていると、建物が崩れた。

 地下に落ちたらしく、入り口は高く、片方が踏み台になれば片方が出られるだろう。

 どちらかが犠牲にならなければ、ここから抜け出ることは出来ない。

「君が生きれば良いんだ。私のことを覚えていてくれればいい。それだけで私は救われる」

 私はアンドロイドを外へ逃がしたかった。そうしたい理由がある。

「いえ、私を置いていけばいいのです。人の役に立ってこその機械ですから、気にせず置いていってくださいませ」

「いいんだ。――私の寿命はあと少しだから、私を犠牲にすればいい。君はあのとき嘘を吐いただろう? 私の身体は正常値を示さない」

「……ええ。あのとき私は嘘を吐きました。しかし、落胆する必要はありません」

 アンドロイドは強い口調で言う。

「あなたは生きられます」

「嘘を吐くアンドロイドのことなんて信じられない」

「本当です。あなたの体はこの白い雨の影響により他の大多数と同じように死ぬわけではありません。症例としては珍しいですが、首都であれば回復の見込みはあるでしょう。あなたはまだ生きられる」

 本当にそうなのだろうか。分からない。分からないけれど、今はそれに賭けるしか無いのだろうか。

「わたくしのことが信じられませんか?」

「信じたい……けれど……」

 そこでふと思い付いたことがあった。

「――分かった、それなら君を犠牲にしよう」

「ありがとうございます。後は朝日の出る方向へと進めば首都に着きますよ。お疲れ様でした」

 アンドロイドは静かに言った。



 あと少しで首都に着くはずだ。私はアンドロイドを犠牲にして生き残り、こうして一人で首都への道を進んでいる。

 いや、正確には一人では無いのだろう。

 リュックの底には君の頭が入っている。人と同じ場所に器官があるというならば、君の記憶は頭にある。だから君の首を切ったのだ。首都に着いたら君を修理しよう。一人だけの友と、また一緒に朝日が見たいから。

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