蘇りのサウダージ ~呪殺魔法からの脱出~
玄行正治
第1話 こうして、俺は間に合わなかった
俺は、間に合わなかった。
広場の中央から鉛色の空へ立ちのぼる黒煙。人の焼ける臭い。
群衆たちはうつろな目を血走らせ、忘我の形相で柱にくくりつけられた生贄が焼け落ちるのを眺めていた。
生贄は、魔女だった。
「なぁにやってんだぁ、てめぇらあ!」
戦場で慣らした俺の怒号は広場の隅々にまで行き渡り、群衆は北風に吹かれた稲穂のように首をすぼめつつ、一斉に俺のほうへ顔を向けた。
「ジルヴァン様だ……」
「魔女騎士ジルヴァンが戻ってきた。戦場は、国境はどうした?」
「こんなに早く、都にお戻りになられるなんて」
広場の衛兵が、火刑の柱の前に壁を作り、槍を構えた。
「そうかい、それがお前らの答えか。それがお前らのやり方かあ! クレーマー!」
「こ、殺せ!」
異端審問官の一言で、空気が変わった。
「やつを殺せっ。魔女ビオラゥンは火刑の浄火によって煉獄に落ちた。このうえは魔女の弟子にも後を追わせて、この都ポルトゥスを真の聖都にするのだ!」
恐怖でこわばった金切り声に、衛兵の槍が整然と前に出た。
次の瞬間、槍の穂先が石畳に落ちた。次は柄の半ば、柄の根元。カラカラと音を立てる。
俺は歩調を変えずに進み、兵士の間を抜けて、まっすぐ広場の中央へ進む。
背後で、すれ違った兵士たちが手首、肘、肩、胴、そして首と順番に石畳の上に落として酸鼻きわまる絨毯を広げていった。
群衆たちは固唾をのみ、潮が引くように後ずさった。
「ま、待て、ジルヴァン将軍……私は――」
弁解をまたず、衛兵長を袈裟懸けに斬り伏せた。
執政長が悲鳴をあげながら、剣を抜く。
「あ、悪魔め!」
「はっ、悪魔の片棒担ぎが、人を悪魔呼ばわりするんじゃあねえや」
執政長の上顎を刎ねた。
「ひぃ、ひぃいい。お助けっ、お助けください!」
異端審問官は腰を抜かし、四つん這いで逃げた。
俺は逃げる尻に剣先を突っこんで、半ばまで押し込む。
「ほら、神を呼べよ。助けてもらうなら今だろ。しっかり祈って神をここへ呼びつけてみろっ」
「た、助けて……っ」
「助けて? まさか俺に言ってんじゃねえだろうな。たった今、てめぇが魔女を殺したことも忘れて、魔女の弟子に命乞いするのか?」
俺は人の顔にまず現れぬであろう、
「弱者をいじめたヤツは、いじめられた側の気持ちを理解できない。それは強者だからじゃねえ。無恥か、無神経だからだ。あんたは神の庇護があって、法に守られて強者だったか、それとも無神経な愚か者のどっちだ。クレーマー!」
剣を抜くと、糞にまみれた剣先で異端審問官の胸を切り開き、取り出した心臓を刺し貫いて石畳に落とし、踏み潰した。
「ちっ。気分なんざ、ちっとも晴れねぇや」
剣をその場に捨て、ダガーを抜き、師のそばへ歩み寄る。
薪が爆ぜてくすぶる音さえ、今の俺を恐れるうわごとに聞こえた。
間に合わなかった。
全部、町ぐるみの陰謀だった。
知ったのは国境で、俺が信頼をおいていた副官が異端審問官から家族を人質に取られ、口止めを強要された中での告白だった。俺は伝令用の馬で、都へひた走った。
「師匠……ごめん。また遅れちまったよ」
煙で
上腕や手の平からジュウジュウと皮が焼ける音がしても、俺は抱きしめるのをやめなかった。
「へへ、駄目だよなあ。俺、いつも肝心な時にトロくてさ。師匠にふさわしい魔女の騎士になろうって頑張って強くなったのに守れ……守れ、なかったよぉ。師匠、ごめんな、ごめんなあ」
炭となった唇へ、自分の唇を重ねた。
そこからボロボロと壊れ、俺の腕の中から足元へ崩れ去った。
焼け
涙が出ない。
愛が、死んだ。
世界が色褪せていく。
心が息をするのをやめた。
「……っ?」
かつて最愛の師だった黒山に、何か赤いものが覗いていた。
余熱にかまわず掴みだす。
それは、心臓だった。
もはや脈打っていない。けれど
この時の俺は、もうとっくに狂ってしまっていたのだろう。
心臓をかじった。
味なんてしない。強靭な弾力と、嚥下するごとに渇きを仮初めに癒すような安堵を貪った。
食べている途中から、全身の毛が伸びてきた。
俺は獣だ。獣になる。
それでも咀嚼を止められなかった。
心臓が手許からなくなった時、俺は人であったことを忘れかけていた。
何者であったかぼんやりとして、おぼつない。
そして、眠る。
一千年。
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