第29話 千秋楽と千歳楽 ゴウマンシャ(傲慢者)とシットシャ(嫉妬者)
あれから数日後、彼は総合運動公園に来ている。結と約束していたのだ。かけっこの練習がしたいからと。その彼女はもういない。それでも彼は指切りまでしたので彼女との約束を守る為に来た。結を絶対に忘れないと言う意味も込めてだ。
彼はジャージでウォーミングアップを始める。そして軽くグラウンドを数周走る。走り終えると喉の渇きを
彼は仕方がないので自販機で飲み物を買うことにする。なので財布を取り出す。すると肩を叩かれる。振り向くと財布が彼の手からすり抜けリュックの中に落ちる。
ジャージ姿のチアキが立っているのだ。彼は中腰の姿勢から動くことが出来ない。するとチアキが手に持った水筒を開け注ぐ。そしてコップを彼に差し出す。
「どうぞ、チトセ君」
「…………あっ、はい」
彼は受け取ろうと手を伸ばすが止まってしまう。そして彼は親指と人差し指で飲み口と底を掴む。それは己に課した掟を守る為だ。そして一気に飲み干すと彼女に返す。その際も気を付ける。
「……かっ、変わった持ち方だね?」
そうは言ったが彼女は彼が自分に触れないようにしているのを以前から気付いている。でも聞けない。彼女が望まない返事をもらいたくないからだ。
「私もやってみようかな?」
そう言うと彼女も挑戦する。しかし縦には上手く掴めない。なので彼女はコップの中程を二つの指で掴み飲み始める。
途中で、その手が止まる。その理由は間接キスなのではと思ったからだ。彼が口をつけた箇所から飲んでるか分からないのにだ。自分は彼女は何を考えてるのだろうと一気に飲み干す。
「チトセ君、私と付き合ってくれませんか?」
「えっ!……」
「あぁっ! 言葉足らずだったね。私の体力づくりの練習にですっ」
「あっ……あっ、はい」
彼女がウォーミングアップを始める。その後、二人はグラウンドを走り出す。彼は彼女の後を走る。すると、にわか雨が降り出す。
二人は走りを止めて荷物を持ち施設の
「チトセ君?」
「あっ、はい」
「チトセ君は夢を見ますか?」
「見ますけど……」
「私、ここ最近は同じ夢ばかり見るのっ。聞いてもらえるかな?」
「あっ、はい」
「見たこともない鎧を着けた男の人が私に手を差し伸べてるの。でも私が手を取ろうとすると夢から覚めるんだ」
「あっ………」
もしかしたら自分なのかと思う。そうであったなら嬉しい。しかし、それを打ち消そうとする。そんなことあるずないのだからと。
「それでね。口元を動かし何かを私に言ってるんだけど声は聞こえないの。なんて言ってるんだろうって目覚めていつも考えるんだ」
「キミ……」
思わず彼はそう彼は言ってしまった。
「あぁ、君か。そうかも知れないね」
「……えぇっ」
「あっ! 雨上がったね。でもグラウンドが濡れてるから滑りそう。帰ろっかな? チトセ君はどうする?」
「自分も帰ろうかと、はい」
「じゃあ! 一緒に帰ろうよ?」
「……あっ、はい」
彼女が歩き出す。彼は早歩きで彼女に追いつくと歩調を合わせ彼女の横を歩く。
「チトセ君?」
「さっきの夢の話なんだけど?」
「あっ、はい」
「いちご狩りに行った日のことを覚えてる?」
「あっ、はい」
「その日の夜から見るようになったんだぁ」
「………あっ、そうですか」
「私とミレが気を失ったじゃない?」
「あっ、はい」
「だから気になってミレにも聞いてみたんだ。変わった夢を見ることないって。でもミレは見ないんだって」
「あっ、そうなんですか」
「でね? 私、思ってることがあるんだけど。変に思うかもしれないけど聞いてもらっていい?」
「あっ、はい」
「もしかしたらキズナ君の唇に触れたからじゃないかって」
「えっ……」
「だっ、だよねっ! 普通はそういう反応だよね」
「あっ、すみません」
「でも、そう思った理由があるの」
「あぁ…………」
「実は今日、結ちゃんに誘われたんだ?」
「えっ…………あぁ、友人がユイって名前なんですね?」
「違うよっ! チトセ君。チトセ君といた結ちゃんだよ!!」
「えっ………………何を
「赤いランドセルを背負った星座図鑑を読むのが大好きな結ちゃんだよ!!! 公園のベンチでよく見かけるから知り合い、いや友達になったのっ!」
「んっ?…………」
「私、見えていたの。迷子を保護したあの日からっ」
「………ゆっ、夢と混同なされてるのでは……」
「じゃあ、証拠見せるね」
そう言うと彼女はスマホを取り出し待ち受け画面を見せる。そこには結、チアキとチトセの三人が写っている。彼は体中の血の気が引いていく。
「まだ信じられない?」
「………………」
「これは証拠にはならないかもだけど聞いてね。迷子の件の時、私カメラを起動させたまま歩いてたの。それで画面越しに結ちゃんを見たの。そしたら画面越しでは見えなかったの。聞いてるかな?」
「あっ、はい」
「その時、間違えてカメラの撮影ボタンを押したんだ。そしたら、写ってなかった。おかしいよね?」
「んっ?……」
「聞いてね。で、この間の星座鑑賞の時に結ちゃんが言ったの。正確には書いたの、学習帳にね。私は結ちゃんの声が聞こえないからスマホに文字を打ち込んで会話してたの。結が魔法を使ったら写るよって。そうしたら本当に写ってたの。言ってる意味分かるかな?」
「んっ?…………」
「この三人の写真見えてるよね? チトセ君にも」
「いやぁ…………」
「私、おかしくなっちゃったかな? 親に相談して病院に連れて行ってもらおうかな? 明日」
「…………私も見えます、その写真。すみません」
「だっ、だっ、だよね? ところでチトセ君は一体何者なのかな?」
「見えるモノなんです。それしか言いようが……」
「あっ……そうなんだね。あっ、私も見えるしね。一緒だよね。二人だけの秘密だね」
「……あっ、はい」
彼はチアキには見えないはずの結が見えてしまっていたのだと知ってしまった。彼の淡い期待は
「結ちゃんが心配していたよ。時々、悲しそうな顔をしてるんだって。だからチトセ君がいなくなるんじゃないかって。だから私に結ちゃんが見張ってて欲しいんだってお願いされたよ?」
「…………」
その言葉に彼は返答できない。たった今、彼女が彼に言ったような悲しげな表情を浮かべ横顔が何かを考え込んでいて深刻そうに彼女には見える。これ以上は話し掛けられないと喉まで出かかっていた言葉を呑む。
二人の間には沈黙が続く。そんな中、彼はある事について調べようと決めた。更に沈黙の時間は続いてしまう。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、下を向き歩いていたチトセは靴紐が
チアキはミレから来たメッセージの返信の打ち込みに夢中になっている。終えると今まで隣にいた彼がいないことに気が付く。それで彼女は向き直る。
彼女と彼の直線上には水溜りがある。あれ以来二人には会話のない。彼の雰囲気が重くて、とても話しかけるなんて出来なかったのだ。なので、きっかけになればと彼女は思い立つ。
「チトセ君! 見てて」
そう言うと彼女は助走をつけ水溜りへと向かう。そして跳ぶ。跳び越える事はできたが、まだ地面が濡れていて滑る。そして水溜りの中に尻もちをつく。
それを見た彼は駆け寄る。彼が着く前に彼女は自力で立ち上がった。その彼女はお尻を気にしている。
彼は回り込んで覗き込む。すると下着が透けている。薄手の淡い色のジャージが
一旦、目を背けた彼ではあるが、そうしてる場合でないと戻す。彼はジャージの上着を脱ぐとそれでお尻を隠す。そしてジャージの袖を彼女のお腹辺りに回し縛る。
「チトセ君?」
「あっ! すみません」
「そっ、そうじゃなくて……あっ、ありがとうっ」
「いえ」
その後、二人は歩き出す。チトセは彼女を送り届け帰路につく。
あれから数日後の土曜日、彼は街中を歩いている。しばらくすると強く肩を掴まれる。振り向くとチアキが彼を見つめているのだ。
「チトセ君?」
「あっ、はい」
「チトセ君って『僕の彼女は二人いる』 見てるんだねっ。ミレから聞いたよ」
「あっ、はい」
「今日、最終回だよね?」
「あっ、そういえばそうですね」
「あっ、そうじゃなかったんだ! ごめんねっ、つい会えて嬉しくて。ジャージ返すの忘れてたから返そうと思って声掛けたんだ」
「あぁ……」
「明日、私がチトセ君の所まで持って行こっか? キズナ君の上の階なんだよね? 部屋」
「あのう……」
「何かな?」
「私が取りに行きますよ」
「えっ! でも悪いよ」
「それでお願いします」
「うん、分かった。午前中なら家にいるからっ。あっ! ミレとカコが待ってるから行くね。じゃあね、チトセ君」
彼女は手を振り去っていく。彼は彼女に掛けようとした言葉を無意味だと飲み込んでいた。彼は調べ上げて決意した事を胸に目的の場所に向かう。
目的地へ到着した。彼はノックする。入るように言われる。
「どうしたんだい? チトセ。連絡も入れずに急に訪れるなんて。初めてじゃないかな?」
「そうかもしれません」
「でっ、何用で来たのかな?」
「
「どういう意味だい!」
「私の精魂を
「いきなり何を言い出すんだい! チトセ」
「宜しくお願い致します!」
そう言うと彼は真剣な眼差しでカントクシャを凝視する。その彼の表情には物凄い気迫が感じられる。
「可能だが、それにしても急だね?」
「一日でも長く、いや彼女の誕生日の前日である今日までは彼女の存在を感じていたかったんです。譲魂は前日まで可能だと調べて知っておりました。他の理由としては前もって要請して後悔する自分がいたとしたら嫌だったんです。今の私には
「本気のようだね、チトセ」
「はい! 何かを得る為には何かを失わないといけないんです。ましてや彼女の場合は命が懸かっています。それに釣り合うのは私の精魂を差し出すことです」
「本当にそれでいいのかい? 君の存在は抹消される。彼女の記憶からも消えるんだよ?」
「はい!! それも承知です。対価もなしに18歳からの彼女を見届けたいなんて。しかも、それからずっと彼女の近くに居たいなんて都合が良過ぎます」
「そうか……」
「私は気付かされたんです」
「それは何だい?」
「これまで対峙してきた数々のシンショクシャたちと私は変わらないなと。私が見下していたあのモノたちは鏡に映った私だったんです。でも、私の場合は何の行動にも移さなかった。あのモノたちよりも、たちが悪い。私は傲慢者だったのです」
「そんなことはないよ、チトセ」
「いえ、そうなんです」
「絶対に後悔はしていないんだね?」
「はい! これが私が
「チトセ?」
「何でしょうか?」
「質問いいかい?」
「はい、どうぞ」
「君は彼女に嫉妬したことは無いのかい?」
「それは一度も御座いません!!!」
「そうかぁ…………ないのかぁ」
「はい! 他には質問御座いますか?」
「いや、それだけさ。よし! 了承した。彼女は必ず明日の誕生日を迎える事が出来るよ」
「では、
「チトセの話を聞いて私も決めたよ」
「何をでしょうか?」
「秘密だよ、チトセ」
「申し訳御座いません」
「
「それでは失礼致します、カントクシャ様」
「あぁっ、チトセ」
彼は一礼して事務所を後にする。
帰宅した彼はドラマ『僕の彼女は二人いる』を見た。見終えると思わず笑ってしまった。そういう結末かと。自分と重ねて見ていたのだ。
今、彼はベッドの上で横になり天井を見上げている。そこには絵が貼り付けられている。それは、あの日に結がテーブルの上に残していった絵だ。
そこには結を中心に彼女と手を繋ぐ二人が絵が描かれている。向かって右に男性、左に女性だ。
彼はこの絵を初めて見た時に再び涙した。ホバクシャになって以来、彼に家族はいない。そんな自分を結と母親のなかに家族として入れてくれたんだと。
「結、ごめん。ずっと忘れないつもりだったんだ。でも今日までしか覚えてられないだ。もうすぐ、お兄ちゃんは消えて無くなってしまうからね。ユイは許してくれないか……」
そう言うと彼は絵を見続ける。そんな中、ふと彼は思ってしまった。天井の絵がチアキに見せてもらった三人の写真と
明日の零時をもって、チアキは18歳の瞬間を迎えられないことに終わりを告げる。一方、チトセは彼女の最期を見届け続けることに終わりを告げる。
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