第12話 触れる指先と甘噛み ボウショクシャ(暴食者)

 立ち上がったチトセは、ゆっくりと後退りするミレの方へと一歩を踏み出す。ミレには彼の体を禍々まがまがしい気が放出してまとっている様に見えている。


 流石の武道有段者で肝のすわわっている彼女でも彼のうちなる怒りに尻込みしそうになっている。大会で強豪と対峙した時の独特の緊張感に包まれているような感覚だ。言い得ぬ恐怖が襲ってきて打ちひしがれている。


「そちらの御方」


「わっ、私の事だっ、だろうかっ……チトセ同学生」


です」


「ぜっ、是認って事かい?」


「えぇっ」


「どっ、どうしたんだい? チッ、チトセ同学生。急に言葉遣いが武士みたいなって。前世はそうだったんじゃないか?」


「そうだった時もありましたかね」


「……じょ、冗談が通じないようだ。生真面目すぎるんじゃないか?」


「存じ上げません」


「じっ、自分の事だぞ? チトセ同学生?」


「あぁ〜、そうで御座いますかぁ」


 そう言うと彼は更にもう一歩を踏み出す。彼の無言の圧力にミレは更に尻込みする。そして彼女は足がもつれ尻餅をつく。彼女は腕を突き出し指を目一杯広げて手を細かく前後に動かす。


「はっ、話せば分かるっ!」


「そう致しましょう」


「えっ…………」


「ちょうど当方もその様に考えていた次第です」


「やっ、やはり分かり合えないかもしれない」


「膝を突き合わせて話し合えばよろしいかと存じます」


「私は練習中に膝を痛めてしまって厳しい」


「あぁ〜、そうで御座いますか。なら立ち上がるお手伝いを致します」


 そう言うとチトセは手を差し伸べる。すると、ミレは尻と両手を巧みに使いながら後退りする。彼女が、ある程度進む。すると彼は一歩進み距離を徐々に詰める。そのやり取りが三回程続く。


「さぁ、私の手をお取り下さい」


 そう言いチトセは再び手を彼女に差し伸べようと水平に伸ばす。そして、徐々に下ろそうとする。すると、彼女との視界がさえぎられる。チアキが二人の間に割って入ってきたのだ。


 チトセの手が彼女の胸に触れそうになる。なので彼は瞬時に勢いよく手首を曲げる。回避したが彼の二の腕が胸に触れそうだ。彼は肘を曲げ回避する。勢いがついていたので彼は一回転した後、腰の後ろにに両腕を引っ込める。


 ここまで彼がしたのには理由がある。彼女にチトセ自身から触れないのが、彼が己に課した最も重い掟なのだ。


 それは彼が人間だったあの時のことに起因する。彼女が矢を受けた時、彼は抱え起こした。その直後、彼女は彼の名前を呼び息を引き取った。


 彼の心の中には自分が彼女を抱え起こしさえしなければ彼女と少しでも長く居られたのではないかという悔恨がある。もしかしたら、彼女は命を落とすことはなかったのでは無いかとすら思った。実際は深手を負っていて運命は変わらなかった。それでも、彼は頭から死ぬまで払拭ふっしょく出来なかった。今でも、完全には頭から離れずにいる。


 ふと彼は我に返る。すると、チアキが両手両足を広げ彼の前で立ちはだかっている。彼女は眼光鋭く彼を睨みつけでいる。勇敢なホバクシャで歴戦の猛者もさであった彼が気圧けおされ後退りしそうになる。それと同時に再び金縛り状態にもなっているのだ。不思議な感覚を彼は覚える。


 よく見ると彼女の下半身は小刻みに震えている。思わず飛び出したものの、彼のただならぬ雰囲気に彼女も気圧されているのだ。


「チッ、チトセ君!?」


「……は………い」


「ミレの事が好きなんですね!」


「……ちっ、違いますよ」


「わっ、悪気は無かったんですっ! とはいえ、ちっ、チトセ君の恋い焦がれていた想い人のミレの名前を言わせようとした事、結果的に知ってしまった事は謝罪します」


 そう言うと彼女は深々と頭を下げる。そうしてもらういわれのない彼は、一歩前に踏み出す。そして、彼女の肩を抱き頭を上げさせようと思う。しかし、すぐに我に返り、一度前に出した両腕を再び腰の辺りに戻す。


 その数秒後に彼女が頭を上げ彼を見る。その眼光はいまだに鋭い。体の震えに対し、その眼差しは対照的である。彼女は心は折れてはいないのだ。


「チトセ君!!!」


 彼女は叫ぶように大声を出した。普段か細い声の彼女だ。人間だった時を通して、チトセは初めて聞いたのである。それに彼は気後れする。なぜだか、その迫力に金縛り状態が解けた。本来なら更に萎縮し硬直してしまいそうなものである。またまた彼は不思議な感覚に陥っていく。


「むっ、無視しないで下さい」

 

「……しっ、してませんよ」


「チトセ君?」


「はい」


「想い人に胸踊らせ、時には逆に胸を痛める。そうやって恋い焦がれるのは素晴らしい事です。そう思いませんか? チトセ君も」


「……あっ、はい」


「でもてすよ? チトセ君!」


「はい……」


「積極的なのは悪い事ではありません。意外なチトセ君の一面に驚いてます。しかしですね、相手を思い遣る気持ちは必要です。今のチトセ君は一方通行の道を逆走してるようなものです。予期せぬ思いのたけをぶつけられてミレが傷つくかもしれないんです。いや! 傷付いてるんです」


「そっ、そんな事ないわ、ミレ」


「違わないわ、ミレ。任せて! あっけらかんとしているように見えて実は繊細なんです。分かりましたか?! チトセ君!」


「それは理解しましたが……あのぅ」


「他に何か言いたい事があるんですか?」


「はい」


「それは何ですか?」


「誤解を解きたいんです」


「分かりました。言って下さい」


「実は……」


 そう言いかけて彼はミレを一瞥いちべつする。危険を察知したミレが物凄い勢いで二人の間に割って入り再びチトセの口を塞ぐ。しかし、恐ろしくて彼の目を見ることは出来ていない。


「私を想う気持ちしかと受け取った。もう充分すぎる程に伝わった。これ以上の言葉は不要だ。口は災いの元だ。その証拠にチアキが完全に引いている」


 そう言うと彼女はチアキへと振り返る。彼の圧に耐えられないので無意識にそうなった。


「そこまでではないわ、ミレ」


「チアキは優しいからね。二人の問題だから今は聞くのに専念してもらえない?」


「……わっ、わかった」


「ありがとう」


「うっ、うん」


 ミレは恐る恐る再び彼の方を向く。顔を見ることは出来ずにうつむいている。


「みっ、みっ、魅力的な私に思いも掛けず出会ったことにより溢れかけていた想いが暴発してしまったのだな。唐突過ぎて私は受け止める事が出来なかったんだ。すっ、すまない、チトセ同学生、いやチ・ト・セ・くぅ〜ん」


 彼女は最後の一言に決してやりたくもない可愛げを見せて許しをっているつもりだが、彼には決してそうでない。君付けな上に、それを伸ばして言われた。おちょくられいるとしか思っていない。それを通り越して彼女に対して無の感情になりつつさえある。


 納得してくれたかと思い、彼の表情から見極める為に顔を上げる。すると冷気が漂い生気を感じさせない眼差しに彼女は背筋が凍り付きそうになる。圧倒されているが、バラされては堪った《たま》ものではない。普段、彼女はチアキに男にうつつを抜かす周りの女生徒たちを小馬鹿にして話しているのだ。背に腹は代えられない。彼女は意を決する。


「あっ! そうだ! 望み通り今度ゆっくりと胸襟を開いて話し合おう。胸につかえた私に対する煮えたぎる想いをブチ撒けてくれ。気が済むのなら罵ってくれても構わない。希望に添えなかった場合、甘んじて私は浴びてやろうじゃないか、罵詈雑言の嵐を。なぁ? チトセ同学生。落ち着いてくれ。頼む」


「どうしたの? ミレ。そんな仕打ちを受ける必要なんてミレには無いはずよ!」


「そっ、それはそうなんだけど……あっ! そうよ? 私へのすべての感情を吐き出した方が断ち切れるはずよ! そう思わない? チアキ」


「それはそうかもだけど……断ち切れなかった場合はどうするの?」


「その時は応相談かな?」


「それってミレがチトセ君の事を好きになる可能性も有るってこと?」


「ないない。限りなくゼロだよ。でも極論だけど嫌悪していた異性を好きになる事はあるんじゃない?」


 ――極論持ち出すなんて、ややこしくなる。やめてくれ〜。それは匂わせと受け取られかねないんです。ゼロと言い切ってくださいよ〜


「ミレってチトセ君の事、嫌悪まではしてないよね?」


「そうだけど?」


「って事はミレの場合は数%から10%台くらいは有るってことだよね?」


 ――ほら〜、勘違いさせてる


「そんな細かく数値を弾き出せないよ。未来の事なんて私にも分からないし」


 ――頼むからめて下さい


「そっかぁ、そうだよね」


「ところでさ、ミレ?」


「なっ、なに?」


「どうして、そんな数値を弾き出したの?」


「そっ、それは……」


「あっ、分かった! 私が毒牙に掛からないようにパーセンテージが気になっていたんだよね? 低ければ低い程、危険が低下するもんね〜っ」


「……あっ、うん」


「ゼロだよ、ゼロ。小数点が千個位付くよ」


「それはゼロじゃないよ」


「うっかりしてた。チアキを安心させようとゼロがいっぱい付けばいいかと思っちゃった。0%で〜す」


 なら始めからそう言えとチトセはいきどおる。そして、ミレに対して完全に無のになりかけていた感情にから彼女から飛んできた火花が静かなる怒りを再燃させる。


「よっ、良かったぁ〜。ミレはチトセ君の事を好きじゃなくて」


「安心し過ぎじゃない? チアキ? もしかして……チトセ同学生の事を」


 ――んっ?


「…………なっ、なに?」


「チアキの心の奥底ではチアキ同学生の事を変質者だと思ってるんでしょ?!」


「……えっ!……ちっ、違うよ!! むしろ……なっ、なんでもない」


「それはチトセ同学生に失礼だよっ。誰が好きこのんで休憩時間中もほぼ机に張り付いてる負のオーラを背負った代表の奴の事なんか好きになるわけないじゃない。キズナ……あっ」


「絆がどうしたの?」


「……あっ、えぇ〜っ。そっ、そうよ! 恋愛って互いの絆をつなぐものじゃない? ねっ、そうよね? チアキ」


「まっ、そうとも言えるかもね」


「へ〜っ、そうなんですね」


「いきなりどうしたの? チトセ君」


 ミレへのやり場のない怒りでチアキの言葉は彼の耳へは入っていない。チアキは恋破れて壊れてしまったのかと心配そうな表情を浮かべている。それにさえ彼は気付かない。


「誰かと繋ぐですかぁ? キズナをね〜、キズナですかぁ〜。合ってると思いますけどね、キズナでぇ」


 そう言ったチトセが不敵な笑みを浮かべている様にミレには見えている。ミレは再び危険を察知する。早急に話題を変えなくてはと焦る。


「とっ、ところでぇ〜っ、利子はどうするのかな〜。チトセ同学生〜ぃ」


「……いっ、いきなり何なんですか? 取ったりしませんよ」


「チトセ同学生〜ぃぃ」


「いっ、いったい、何なんですかっ」


「重要な事なので二度聞かせてもらえないかなぁ〜。取るのか取らないのかどっちなんだい!」


「取りませんって」


「そっちなのかいっ」


 気恥ずかしさのあまりテンションがおかしくなっている。それに気付き彼女は我に返る。そして、声を発せずに口を動かす。


 それに気付いたチトセも我に返る。そして、彼女の口の動きから読み取ることにする。お願いだ言わないでくれと読み取れる。チトセは頷く。それに彼女は胸を撫で下ろす。そして深呼吸する。


「この御恩は倍、いや百倍にして返してやるぞ! 脳が震えるはずだぞっ」


 ――顔面殴打か、上段蹴りを顔面に御見舞するんですね、はいはい


「本当だぞ! とびっきりのモノををお贈りする! 男女の仲の約束だ」


 ――飛び蹴りかぁ。耐えられそうにないな。んっ! 男女の仲? やめて下さいよぉ。更に勘違いされるじゃないですかぁ、はぁ〜っ


「ミレ?」


「何? チアキ?」


「男女の仲って? どっ、どっ、どういう意味なのっ!?」


 ――ほら〜っ


「何って、男と男の約束の男女版だよ? それがどうかしたの? チアキ」


 ――うわ〜っ


「……そっ、それってどういう約束なの?」


「チアキにだけは教えられないわ。約束はチアキ同学生とするものだからねっ。当事者以外に教えてしまうのは非礼にあたるわっ」


 ――お願いだから〜っ、やめてくれ


「…………あっ、そっ、そうねっ」


 そう言ったチアキの顔が見る見るうちに紅潮していく。その事にミレが気づく。心配になった彼女はチアキのひたいに触れる。


「熱はないみたいだけど体調悪くなったの?」


「うぅん、そうじゃないの」


「じゃあ、いきなりどうしたの?」


火照ほてっちゃたみたい。刺激が強すぎて、あっ……」


 ――んっ? 刺激?


「日差しの刺激が強すぎるんだよ」


「そっ、そう、そうなのよっ」


「熱中症かも? 帰ろっか?」


「そっ、それはないよ。でも、お金ないし私は帰ろうかな。借りるのは何だか気が引けるし。ミレはイチゴ狩り楽しんで来てよ」


「私だけ出来るわけないよ」


「私なら大丈夫だよ」


「これどうぞ」


 そう言うとチトセは素早く財布から二千円を取り出し彼女へと差し出す。彼女は戸惑っている。


「かたじけない」


 その声はチアキではない。ミレだ。声を発すると同時に彼女は彼から紙幣を奪い取った。そして、受付の方へと走り出す。


「ちょっと、ミレ。その取り方。あっ、待ってよ〜」


 チアキは彼女の後を追う。乗り気はしないがチトセも後へと続く。追いつくとミレが支払いを済ませようとしている。


「おじさん、これは彼女の分です。えぇ〜、私の分は……」


 そう言いかけて、彼女はチトセにてのひらを見せ先程動揺に手を上下させる。イラッとするがチアキが側にいるので表情に出ないようにつとめる。


 致し方ないので手に持っている財布から紙幣を抜いて渡す。彼女は満面の笑みを浮かべている。それに対して彼は心の中でいらつく。


「ありがとうごさいますぅ、チトセ君」


 もはや君付けに苛つかない。彼は慣れとは怖いものだと思う。外面がいいのか、お調子者なのか考え込む。そうしている間に、ミレは両手で丁寧に受け取る。彼は溜め息が出そうになる。そして彼は自分にだけ態度がデカいのだと結論付ける。


 二人は練乳の入った容器を貰うと腕を組みながらビニールハウスへと向かう。彼は一定の距離を保ち後に続く。


 彼女たちは中に入る。そして二人は苺を摘む。するとミレが苺に練乳を付けチアキの口元へと運ぶ。それをチアキが口にする。笑顔を浮かべながら食べている。次はチアキがミレに食べさせる。二人の食べさせ合いっこが続く。


 彼はチアキの表情に奪われていることにハッとなる。チアキは気付いてない。彼は視線をミレの方へと向ける。それとほぼ同時にチアキが彼を見る。ミレに向けている視線を見て、彼女はチアキがミレの事を本当に想っているのだと再認識する。


 視線を感じるミレが顔を横にしチトセ見る。二人の目が合う。彼は溜め息を付きたい気分だが我慢する。一方の彼女は薄ら笑いを浮かべる。チトセは今度は何をたくらんでいるのかと嫌気が差す。


「チトセ同学生?」


「何でしょうか?」


「食べないのか?」


「お構いなく。お二人は楽しんで下さい」


「苺が嫌いなのか?」


「嫌いじゃないですよ」


「そうだよな。なら、お金を払ってまでイチゴ狩りに来ないものな。六千円が無駄になるぞ」


「…………」


「あっ、私たちが借りた四千円はもちろん返すぞ。変な気起こさないでくれよ」


「変な気って何でしょうか?」


「もう〜っ、分かってるくせにぃ〜」


「あっ、そうですかね?」


 ミレは彼の冷めた目を見て、言い出さないか気が気でなくなる。それで彼の口を塞ごうと考え付く。彼女は苺を一粒摘んでから彼へと走り出す。そして、それを彼の口元まで運ぶ。


「これは何ですか?」


「苺だ」


「そんな見れば分かりますよ」


「練乳は付けるか?」


「なっ、何のマネですか?」


「食べさせようとしてるんだが? 見てわからないか?」


「どうしてです?」


「物欲しそうに私の事を見てだろ?」


「別にそういう理由では」


「ても一度振り上げた拳は下ろせないぞ」


「それ意味違いません?」


「動作としては合ってると思うぞ」


「はぁ……」


「さぁ、食え」


「いらないですよ」


「女性に恥をかかせるのか?」


「そういうつもりは」


「私の事を男性だと思ってるのか?」


「……思ってません」


「今の間は何だ?」


「思いもかけない問いだったので……つい間が」


「それでも傷付いてるぞ。これでも繊細なんだ」


「へぇ〜っ、そうなんですね」


「ヒドイぞ」


「あっ、すみません」


「なら食ってくれるよな?」


「わっ、わっ、分かりましたよ」


「なんか恥ずかしいな」


「なら結構ですよ」


「でないと口を塞げない」


「えっ!」


「なっ、なんでもない。口を開けてくれ」


「分かりましたよ」


「やはり躊躇ためらわれるな」


「無理なさらなくても」


「これは私の恋が実った時の予行演習だ思えば出来ないことはない! そうよっ!! 彼との……」


「彼とは誰でしょうねぇ〜」


「黙れ! とっとと口を開けろ!! 私はやるんだ!!! とっとと済ませるのよ、ミレ!」


 そう自問自答気味に彼女だが苺を持った反対の手で手首を押さえる。やるかやらないか葛藤しているようだ。彼は申し訳なくて、この場を離れようとする。


「チトセ君!」


 声の方向を見ると苺が彼の口を目掛けて迫ってくる。


「口開けて下さい!!」


 その言葉に反応して口を開ける。すると、彼の口中に苺が収まる。目の前にはチアキがいる。その肩から腕が伸びている。視線でその先を追うと彼女の親指と人差し指の先が彼の唇に触れている。


「早く食べて下さい!」


 言われた通り彼は苺を噛む。その際、彼の唇が彼女の2本の指先を甘噛あまがみする。それに驚いたチアキは、さっと指を引く。


「ちょっと! チアキ!! いきなり何してんの?」


 ミレ以上に驚いているのはチアキ本人である。気が動転しているのだ。


「チアキ!!」


 その言葉にハッとなり彼女は指先で唇に触れる。その一本はチアキの唇に触れ甘噛みされた人差し指だ。彼女は無意識でそうした。


 チトセがそれに気付く。そして彼は彼女の唇を見る。しばらく眺めた後、我に返り逸らせる。その際、彼女と目が合う。真っ赤な顔の彼女は唇から指先を離しうつむく。


「一体どうしちゃたのよ? チアキ」


 ミレが両手で俯いたまま彼女の肩を揺さぶっている。チアキは、されるがままである。


「チアキ?!」


「みっ、ミレが起こってたから、私がやってあげようかと……」


「どうしてチアキがする必要あるのよ!」


「私も分からなくて……ごめん、ミレ」


「なんでチアキが謝るのよ! あれは私の役割だものっ」


「やっぱり…………」


「やっぱり何? チアキ」


「うぅん、何でもない」


「とにかくチトセ同学生に不用意に近付いちゃダメよ」


「どうして?」


「どうしてもっ!」


「あっ…………うん」


 ミレが振り返る。そしてチトセを睨みつける。彼女としては目が合っているのだがチトセの反応がなく張り合いがない。それもそのはずチトセは放心しているのだ。その状況のまま時間だけがゆっくりと流れていく。





「君たち」


 その声に我に返り、その方へとチトセは向く。すぐに彼は正体に気付く。チアキたちには見えてないし声も聞こえていない。


「二人とも早くこの場から立ち去って下さい!」


「いきなりどうしたんだ? チトセ同学生」

「どうしたの? チトセ君?」


「いいから早く!!!」


「わっ、わかった」

「わっ、わかりました」


 そう言うと二人は走り出す。


「オマエ、何者だ!!!」


 そう目の前のモノが叫ぶと悪精が方々ほうぼうに飛ぶ。すると、チトセの背後で音がした。彼はチアキの事が気になって仕方ない。しかし、彼は目の前のモノから目を離せない。それで時計のリューズの反対側の上下に二つ付いている下の方のボタンを押してコガレに救援信号を送る。もう一つはキズナ用だ。


「ほぉ〜、立ってられるとはね」


「えぇ、効かないみたいですね。ばくについてもらえませんか?」


「まっ、まさか!? オマエ、ホバクシャか?!」


「ええっ、そうです」


「初遭遇だぜ。ツイてるのか、ツイてないのかわかんねえな。噂には聞いてはいたが」


「なら話が早いですね。神妙に縛については如何いかがです?」


「見逃してくれよ。なぁ? 俺みたいな小者はよ。俺より迷惑掛けてるヤツはくさる程いるだろ」


「迷惑を掛けている自覚はお有りなのですね」


「俺は苦学して、ようやく就職が決まった。これからという時に突然の病で死んじまったんだ! 見逃してくれよ。なぁ?」


「心中お察しします。苦労した貴方が果樹園の人に苦労させるんですか?」


「全部食うわけじゃない。ただ満腹感を得たいだけなんだ」


「シンショクシャ(侵蝕者)である貴方には空腹感や満腹感は無いはずです」


「黙れ! 腹一杯食べているという充実感を俺は味わっているんだ。捕縛者のオマエも一緒だろ!」


「それは違う! 私たち捕縛者の身体は精魂と肉体は一体化している! 人間とは手順が違うだけだ! もう貴方は迷い彷徨さまよっているメイコンシャ(迷魂者)やホウコウシャ(彷徨者)ではないっ! 取り憑くことしか能がない悪清化したタダのシンショクシャだ! 実際には充実感すら得られていない! そう思い込みたいだけだ! 実際には何も肉体的、精神的に欲求を得られてないのに無駄なえつひたってるだけだ! わば何の感情も得られない無意味な自己満足感だけだ! 身体を乗っ取った方には迷惑でしかない!」


「なんだと!!」


「縛についてもらいますよ」


「やれるもんならやってみろ!! ガキが」


「ガキですか? 私の方が……いや何でもありません。お望み通り縛に付かせて見せましょう」


 そう言うとチトセは素早く指で円を描く。それを五回繰り返す。それは光り輝き輪になる。指先をシンショクシャへ向けて払う。すると五つの輪がシンショクシャの元へと飛んでいき両手両足と腰を縛り付ける。そして、その五つの輪から光が伸び相互に繋がる。そして身動きを取れなくする。


浄魂じょうこん!」


 そう一言目を発すると黒紫色の悪魂が清められ限りなく透明色となっていく。


剥魂はくこん!!」


 二言目を発すると宿主やどぬしである人間の身体から清魂が出てきて浮かび上がる。


移魂いこん!!!」


 三言目を発すると物凄い勢いで清魂が尾を引き上空へ打ち上がる。すると、空に門が出現した。それは境界門と言う。それが開き清魂は吸い込まれていく。尾までが入りきると門は閉まり消失した。


 それを確認した彼は後方へと向き直る。彼の視線の先にはチアキが顔に土を被って倒れている。その前にはミレも倒れているが、今の彼の視界には入っていない。彼はチアキの方へと歩き出す。

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