第5話 その男、“ヤニカス”
「いや、対策ってなんだよ! 逃げようぜ!」
和室のとなりには30畳はあろうかという広々としたリビングがあり、サークルメンバーが集まっていると、そのうちのひとり“逃げ腰”がさけんだ。
その発言に“カタブツ”が片眉をあげ、いさめる。
「もちろん逃げる! 逃げるが、中にいる“ふくよかな尻”を見捨てていこうというのか。バスは1台しかない。まず彼女を助けてからにすべきだ」
「あんな状況じゃもうほとんど死ぬの確定だろ、しょうがねぇじゃんおれらのせいじゃないって! 一刻もはやく逃げないと、あのバケモノにおれらみんな殺されちまうよ。こんなときにいい子ぶってもしょうがねぇじゃん!」
「ケヘッ、なんならおれがデス畳をけしかけて、“ふくよかな尻”を
「“ゲス野郎”……! 冗談にも限度というものがあるぞ!」
チロリと長い舌をうごめかせ、ゲスな笑いを浮かべる“ゲス野郎”に、“カタブツ”は青すじを立てて怒鳴った。
“ゲス野郎”は「おーこわ。それが最善手ってモンだと思うけどねぇケヘヘ」とぶつぶつと周囲に聞こえない程度の音量でつぶやいている。
「しかし、『みんな殺されちまう』とはかぎりませんよ」
“わけ知り顔”がメガネをクイッとあげつつ、話に割ってはいった。
「デス畳は、つまり畳ですから、和室にさえ入らなければどうということはありません。もちろん“ふくよかな尻”さんをたすけるときには入る必要がありますが、こちらのリビングにいるあいだはとくに危険性もないのではないでしょうか」
「断定はできないが、ぼくもその可能性を考えてる。とはいえ“ふくよかな尻”が目をさまし、動転してはあぶないから急がなければならんのもたしかだ。“お嬢さま”、すまないが、なにかキミの知ってる話があったら教えてくれないか」
「は、はい……」
ひどくふるえていたが、“可憐”に背なかをさすられ少し落ちついた様子の“お嬢さま”は、ポツリポツリと話しはじめた。
「どこからお話をすればよいものか……。ここは30年ほど前に、祖父が知人から
「大学生で、学友と……漠然とではあるが、今回の状況をなぞるような点もあるな」
“お嬢さま”の独白に、“カタブツ”が腕を組んでううむとうなる。
その声に“お嬢さま”がうなずいたあと、つづけた。
「そのときですが、わたくしどもに伝わっていたのは、屋敷でガス爆発が起きてしまって、ということでしたわ。そこでご息女も亡くなられてしまい、前のもちぬしのお方が、その、ご様子が
とまで言ったあと、“お嬢さま”が「うっ」とうめいた。「被害にあわれたみなさまには、なんとお詫びすればよいのか」とかすれた声でつづけると、“お嬢さま”はその長いまつ毛をふるわせ、大粒の涙をポタポタとおとした。
“カタブツ”は
その
“カタブツ”のうしろに立っていた“玉袋デカ男”もまた、「なるほどそういうことか」と言わんばかりに大げさに何度もうなずいている。
“玉袋デカ男”は、
「ありがとう、“お嬢さま”。負担をかけて申しわけないが、ほかに知っていることはないか? 和室のこととか、当時のこととか、なんでもいい」
「……泣いている場合では、ございませんわね。いまは、情報をすべてみなさまにお伝えすることがわたくしの責任」
“お嬢さま”は
「とはいえ、いまお伝えしたこと以外に思いあたることは……。和室があるということは間取り図を見て把握しておりましたが、なんの変哲もない和室だと思っておりましたし、当時はおろか、当家の者が購入後にここをつかったという記録もなく……」
それをきいて“カタブツ”がううむとうなずいた。
「すると、ほとんど情報はないも同然だな……。ところでだれか、スマホがつながる人はいないか。警察に通報なりをしたいんだが、ぼくのは、ここについたときからどうも電波がない、圏外になってしまってるんだ」
“カタブツ”が言いながら周囲を見渡すが、みな首をふってこたえない。
そとからは、強く風が吹いたのか木々がざわめく音や、なにも知らぬセミの騒ぐ声、大きな鳥が羽ばたくようなバサバサという音のみがひびき、室内の沈黙が
少しの時をおいて、“わけ知り顔”がみなを代弁するように声をあげる。
「私の知るかぎり、ここには到着した当初から電波がつながっておりませんでした。これは、つまり」
メガネをクイッとあげ、レンズをひらめかせる。
「『電波がつながってなさそうだ』ということでしょう」
「情報ゼロの言い直しをするなよ!」
“びびり八段”が絶叫するが、“お嬢さま”が「そんなはずはありませんわ!」と口をさしはさむ。
「合宿のまえに回線も手配したはずですから、電波がまったくだれの端末にもつながらないなんてことがあるはずは……」
「そ、それについて、なんだが……」
息も絶え絶えに、とぎれる寸前の声が、どこかから聞こえた。
みなで周囲をさがすと、床のすみで這うように手をのばす、ミイラと見まがうほどに干からびた男がいるではないか。
「“電波
「みんなご存じのとおり、おれにとって電波は重要な栄養源だ……。だ、だが、ここには、その電波がない……」
「そ、そんなはずは……」
うろたえる“お嬢さま”。
“電波喰らい”はその動揺を制するように手のひらをむけたあと、弱々しく人さし指だけをスッと和室へさしむけた。
「正確には……電波がすべて、あの和室へと吸収されてしまっている」
「まさか、デス畳……っ!」
“カタブツ”の
「おれも、おそらくヤツが原因だろうとにらんでいる……こんな電波吸引力は、これまで見たことがない……これほどのすさまじい吸引力、たとえるなら電波バキュームフェ、いや電波バキュームカーだ……! おれごときの、おばあちゃんの家にあるこわれかけの掃除機程度の吸引力では、とても歯が立たない……」
「いま電波バキュームフェラって言いかけなかった? あと電波吸引力ってなに?」
奥にいた“AVソムリエ”が小声で“わけ知り顔”へ質問するが、“わけ知り顔”は「ふふ」とわけ知り顔で笑ってメガネをクイッとあげた。
得意満面のわりにはなにも答えない。たぶん知らんのであろう。
「いや、しかし、ぼくも詳しくないが、ルーターにつながっている有線かなにかがあるんじゃないか? 直接、それにつないではどうだ?」
「もちろん、有線LANのほうもしゃぶりにしゃぶってみたし、すでにおれの唾液まみれになっているんだが、それはそれとしてスマホやタブレットしかなく、有線で受けられる機器や変換端子をだれももっていないようなんだ……”カタブツ”、おまえはもっているか?」
「たしかに、ぼくももってきていない……すると、助けを呼びようもないわけか……。だれか、“ふくよかな尻”を助ける方策を思いついた人はいないか。デス畳を倒すことができればそれでよし、一瞬のスキをついて助け出すだけでもいいと思うんだが」
“カタブツ”の問いかけに、一同はまたも沈黙でもってこたえた。
しかし、そのあとにポツリと“わけ知り顔”がつぶやく。
「待てよ……? よく考えれば、畳というものはいぐさでできています。植物製ということは、火に弱いのでは……」
「ほほーん。っちゅーことは、ワイの出番とゆーワケやな」
声とともに、ひとりの男の影がまえに出てきた。
“カタブツ”は目を見張り、頼もしそうにその男の名をさけぶ。
「“ヤニカス”……!」
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