第48話 トゲアザラシ


 オルカ商会と専売契約を結んで、三節――ライゼル卿の厄介な懸想以外に問題は一切無く、取引がなされていくにつれてティブロン村はその景観を少しずつ変えていきました。


 絹や皮、革を乾かすのにギラついた陽の下は都合が悪い為、吹き曝しの小屋を作り、そこに高級な布地を染めた物を乾かしたり、布を染める為の小屋を新たに建てたり。


 集落の方も家の傷んだ部分を補修したり、潮風で傷んでボロボロになっていた柵を打ち直したり――村人達が自主的に村中の道も整備しはじめた事から、灯台から見下ろした村は<廃れた村>から<ありふれた村>に変わった程度ではありますが、一年前に比べて格段に良くなっていました。


 行商をやめた事でウェサ・クヴァレへ行けなくなった事を残念がる子ども達もいましたが、イチルやヨヨ、ムトが保温魔法を使えるようになった事で関心はそちらに集まり、学びに来る子ども達が減る事はなく。


 教室は手狭になり、文字や数字を刻んだ木板やステラへ送った絵本はすっかり擦り切れていました。

 私が贈った絵本がステラを始め、多くの子ども達に読まれた事を思えば擦り切れた事に対して寂しさより誇らしい気持ちがこみ上げてきます。


 誇らしいと言えば、もう一つ。子ども達に文字や計算を教えて良かったと思う出来事がありました。


 ライゼル卿は私達が行商していた際、私だけではなく他に利用できそうな子どもがいないか調べていたようで。

 サンチェは予想していた通りライゼル卿からオルカ商会で働いてみないかと声をかけられ、イチルもその話術を買われていたようで声がかかり。


 二人とも、ライゼル卿から提示された書類にしっかり目を通した上で誘いを受けました。

 念の為私も契約書を確認しましたが、特におかしい点は見受けられず。

 物事を教えた子ども達がその知識を生かして自分の道を選び取る光景を見て、これまでの努力が報われた想いがしました。


「安心しろよ先生! 皆が作ってくれた商品、変な売られ方してないか俺が見張っとくから!」

「ヨヨ、寂しいかも知れないけど兄ちゃん、出来るだけ会いにくるからな。泣くんじゃないぞ」

「お兄ちゃんこそ、泣いちゃ駄目なの」


 そんな子ども達の涙交じりの、明るい笑顔の別れから時が過ぎて、生温い潮風が冷たさを帯び始めた頃――とある少女の寂しさを紛らわせるように岩場に新たな迷い子が流れ着きました。


 今日も一羽のウミカモメが岩場に立つ彼女の周囲を飛び、彼女は自分の足元にいる青みがかったグレーの生き物に魚をあげていました。


「グァ、グァ!」


 低い声をあげて喜ぶのはトゲアザラシの子どもです。

 全身が針のような鋭い毛に覆われているその子はリュペン達同様フカワニサメに襲われたらしく、血を流してこの海に流れ着いていた所を私と伯父様が治療しました。


「ニア、イチとは仲良くなれそう?」

「うん、イチは優しくていい子だから……でも、大きくなったら私達が食べるお魚いっぱい食べるようになっちゃうんだよね?」


 ――トゲアザラシは臆病な性格だから人を襲う事は滅多にないが、食べる魚の量が物凄くてな……リュペン達のように騒音何かを我慢して共存できる存在ではない――


 トゲアザラシを治療している時の伯父様のぼやきが聞こえていたのか、他の村人から飼えない事を聞いたのか――ニアは寂しそうな表情をした後、すぐに笑顔を作りました。


「イチ……大きくなったら体のトゲも固くなってフカワニサメでも食べられなくなるって皆言ってたから、いっぱい食べて早く大きくなるんだよ?」

「グァ!」

「ニーナ、イチが海に帰る時はサメがいなさそうな安全な道を教えてあげてね」

「クィー」


 イチとニーナと呼ばれた海カモメがニアの言葉に応じるように鳴きました。

 魔獣としっかり意思疎通が出来ているニアはもう立派な魔獣使いと言ってもいいのでは――と思った時、ニアはこちらを振り返って嬉しそうな笑顔を見せてくれました。


「あのね先生……私昨日、師匠から『もう俺から教える事は何もない』って言われたの!」

「おめでとう、一人前として認められたのね」

「ううん、魔獣使いとして一通りの事を学んだだけで、まだ一人前じゃないよ! 『後はしっかり魔獣と向き合って、魔獣から教えてもらうんだ』って……だから、イチとお別れするまでの間に色々学ばなきゃ!」


 お別れする前に色々学びたい――そんな向上心に満ちたニアの笑顔に元気をもらいつつリュカさんのテントの方に目を向けると、テントの傍で村人達と会話しているリュカさんの姿が見えました。


「リュカさん、最近忙しそうね……」

「うん。ニーナは天気とか魚がいる場所を教えてくれるんだよってお父さん達に言ってから、魔獣使いになりたいって人達が増えたんだよ」


 子ども達が授業で知識を身に着け、魔法を覚えている状況は大人達にも刺激になっているようです。


 自分達のその日食べる分の食料を確保した後は布をいかに効率的に染められるか、村の何処を優先的に修繕するべきか、今後の収益をどう活かしていくか――


 そんな話があちらこちらで聞こえる中、村に滞在している旅の魔獣使いが村の子どもを魔獣使いに育てあげたとなれば、自分も、と思う人達が増えるのも自然な流れと言えるでしょう。


「でも、頬に紋様を入れたからって誰でも魔獣使いになれる訳じゃないんだって。魔獣も一匹一匹性格が違うし、相性があるから……だから師匠は色々説明して『上手くいかないかも知れない』って念押しした上で紋様入れるようにしてるの」


 今傍にいる村人達とも丁度その話をしていたのでしょうか? リュカさんはテントの中から桶らしき物を取り出すと、村人達と一緒に座り込みました。


(そう言えば私、行商に出なくなってからリュカさんとあまり話してない……)


 今も変わらず挨拶ついでに軽い会話こそ交わしますが、行商で話していた頃に比べてリュカさんとの接点が減り。


 私のするべき事が増えてリュカさんとゆっくり話す時間が取れなくなってしまった事が主な原因なのですが――子ども達を交えて長々と話していた頃が酷く懐かしく感じます。 


 寂しいような、もどかしいような、少し、辛いような――複雑な気持ちです。


 (でも、リュカさんにあのまま私達を護衛させ続けるよりは……)


 行商を続けていた間、リュカさんは賊に襲われる気配を感じる度に私達を先に歩かせてくれたり、ちょっと待ってて欲しい、と言って。

 自分が賊を追い払う姿を私や子ども達には絶対に見せようとしませんでした。


 だけど――戻って来るリュカさんの肌に傷がついていたり、服に服の色とは違う赤が付いているのを(護衛だから)と平気な顔で見続ける事ができなくて。


「……先生って師匠とアーティ様、どっちが好きなの?」

「えっ……?」


 ニアの声に振り替えると、何かいい物を見つけたようなニアが楽しそうに私を見上げていました。


「この間来たライゼル様もカッコ良かったよね、ってヨヨ達と話してたの。それで……皆先生の事が好きなんじゃないかなぁって」

「あら……どうして?」

「だって先生、すっごく美人だし……ライゼル様も先生と話してる時ずっと笑ってたし」


 確かに、ライゼル卿がティブロン村に来た時、揚げ菓子を配ったりスミフラシを見たりしてる時は楽しそう笑っていましたが――


「ニア、ライゼル様のあれは社交辞令……皆を不快にさせない為の笑顔よ。本当の笑顔とはまた違うわ」

「そ、そうなの……? でも……アーティ様だって去年、先生の事気にかけてたし……帰る時凄く嬉しそうだったよ?」

「アーティ様とは久しぶりに会ったから……私が体が弱い事は知っておられたし、元気になった事を喜んでくれたのだと思うわ」

「ふーん……」

「後ね、リュカさんは一目惚れした好きな人がいるんですって。だからそんな話をしたら私もリュカさんも困ってしまうわ」

「それって」

「それとね、ニア……物凄く美しい女性だからって殿方が皆惚れるなんて事はないの。誰かにとっての美女も、誰かにとっては凡人なのよ」


 男性にしろ女性にしろ、どんな目論見があって近づいて来るのか分からない。

 そこで誰しもが自分の美に引き寄せられているのだと自惚れていたら、痛い目を見る。


 社交界に出る前に読んだ、処世術について書かれた本で印象に残っている一文です。

 これを含めた先人達の知識に助けられながら、私はあの都市で咲き続けられたのです。


 好意を持ってくださる方には一歩踏み込ませない程度の誠意を返し。

 悪意を持つ方には反発する事なく受け流し――


「……でも」

「アーティ様はとても素敵な方よね。でも、ニアはアーティ様よりイチルの方が好きでしょう?」

「そ、それは……」

「ね? カッコいい人を見ていいなって思うのと、好きって気持ちは別物なの」

「うーん……でも……うーん……」


 今いち納得しきれていないらしいニアは悩んだ様子でリュカさんの所に歩いていきました。

 リュカさんにも同じような事を言って彼にも気まずい思いをさせなければいいのですが――


 念を押したい気持ちはありましたが、恋愛話が大好きな女の子をここで引き止めてしまうと私の気持ちに勘づかれてしまう気がして、ニアを追いかける事が出来ませんでした。




「はぁ……」


 諦めて家の中に入るなり、私が出した物ではないため息が耳に入ってきました。


 息の先を見ると伯父様がテーブルに肘をついて項垂れています。

 肘の近くには手紙と、それを包んでいたらしい水色の封書が置かれていました。


 私が入って来た事に気づかない程落胆している様子の伯父様にそっと近づき、封書の差出人を確認します。


 差出人はこの領地の主――アクアオーラ侯爵でした。


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