第18話 青ペンギン
ジリジリと焼くような陽射しが和らぎ始め、温い風が涼しくなり始めた頃。
「キュイィーーーーーーーーーー!!!」
早朝に突然甲高い声が、響くようになりました。
これが青ペンギンの鳴き声らしいです。
本来、青ペンギンは群れでやって来るそうです。
ですが今はフカワニサメが居着いているので、恐らく群れが襲われ、逃げ延びた一匹がたまたまここに辿り着いたんだろう、と伯父様からぼやくように教えられました。
「キュイッ、キュギュイーーーーーーーーーー!!!」
近くで聞いたら鼓膜が破れそうなほど耳をつんざく鳴き声は、可愛らしさからかけ離れています。
本当に、何事も体験してみないと分からないものですね。
ただ青ペンギンそのものは何処かに隠れているのか、朝に一鳴きするだけで全く姿が見えないのです。
早く見てみたいと思いながら今日の授業の用意をしていると、子ども達が入ってきました。
「師匠、今日も青ペンギン餌付けしようとしてるの」
「毎日魚奪われてんのに懲りないよなぁ」
「魔獣と仲良くなるには、まず気持ちを通わせる事が大事なんだってさ」
魔獣使いがどのように獣を使役し、調教するのか物凄く気になっていたのですが――話を聞いている限り『最初は餌をあげて仲良くなる』という地道な作業なようです。
窓の向こうの岩場を見やると、海に向かって魚を持って立っているリュカさんが見えました。
私は一度も見た事がありませんが、ああして立っていると何処からともなく青ペンギンが現れ、リュカさんから魚を奪っていくそうです。
呆れた様子のゴーカ達と温かく見守るイチル達の様子にホッとしつつ、その中にいつもならいるはずの少女がいない事が気にかかりました。
「あら……今日はニアはお休み?」
「あー……うん。ニア、具合悪いんだってさ。はいこれ、今日の分!」
イチルの言い方に違和感を覚えましたが、それを追求する前に手の平ほどの大きさの貝を押し付けられてしまいました。
この貝は
そのうえ貝殻がお皿代わりにとして使いやすく、村人達の食器として愛用されているようです。
半節ほど前にこの貝を初めてもらった際、いつももらってばかりでお礼も言わないのも悪いと思って『美味しかった』と伝えてもらって以降、この貝をよくもらうようになりました。
(リュカさんが来られてから、もう2節近くになるし……私から一度、話しかけてみようかしら)
ゴーカは初めてこの村に来た時に出会ったポーカさんの息子だったという事もあり、ポーカさんが家に来る際、短い間ですが雑談できるようになりました。
村の大人の男性達が家に入って来た時の体の強張りも、前に比べれば軽くなった気がします。
――私の中で少しずつ、大人の男性に対して耐性がついていると思っていいのでしょう。
<見知らぬ人>から<顔見知り>に代わったから、というだけかも知れませんが、それでもこの村で生活する上で大きな一歩です。
(……色々貰っているお礼も直接言いたいし、ローゾフィアの、魔獣使いの話も、聞いてみたいし)
受け取ってばかりのモヤモヤや未知の土地への好奇心が、私の背中を押します。
(今日の授業を終えて、おばあ様に食料を届けた後……少し離れた場所から、挨拶だけでもしてみようかしら)
そんな事を考えながら授業を終えて灯台を上がると、珍しくおばあ様が階段近くで待っていました。
「今朝、下の方から懐かしい声が聞こえてきたけど……青ペンギンが戻って来たのかい?」
青ペンギンはここ一週間ほど毎朝鳴いているのですが、たまたま今日おばあ様の耳に届いたのでしょう。
高齢の方は高い声が聞き取りづらいと聞いた事があります。
「そうみたい。一匹だけ、フカワニサメから逃げてきたみたいなの」
「……そういう事かい。たまにあいつらの背びれの照り返しが見えるから、おかしいとは思ってたんだ」
おばあ様が残念そうに視線を伏せた後、懐かしむように言葉を続けました。
「昔、領からの支援金があった頃はあいつらが居着く度に近くの都市で討伐依頼を出してたんだけどねぇ……ただでさえ呪われた村からの依頼って事で金を上積みしなきゃいけない上に、海中で戦える奴ってのはかなり限られてくるからねぇ……」
私自身は海で泳いだ事はありませんが、水中で逃げる獲物を仕留めたり何かから逃げたりするのは陸上よりずっと難しい事は容易に想像できます。
フカワニサメ自体は物凄く速いとか恐ろしく強い存在ではないそうなのですが、おばあ様の言う通り、海中での魔物討伐が出来る人間というのは大分限られてくるのでしょう。
泳げるのはもちろん、水中でも自由が利くような魔法やサメを攻撃できる魔法が使える人間でなければなりませんから。
そんな人間を招く分のお金も上乗せしないといけない――結局、フカワニサメが居着いた所で村人達が飢え死にする程魚が取れなくなる訳じゃないので長年放置されているようです。
ただ、先日――伯父様と村の大人達数人がフカワニサメの群れを追い払えないかと教室で話していました。
「子ども達への援助の金を少し回せないのか?」
「回した所でまた居着かれたら無駄になる」
私は隣の部屋で彼らの要望を伯父様が拒絶するのを聞いていました。
「冬によそから果実を仕入れるだけの金があるなら、討伐も頼んでくれよ」
「無理だ。あの子達の口が青に染まったら出稼ぎにいけなくなる。そうしたら全て水の泡だ」
呪われた人間が何を言っても信じてもらえません。
呪われていない人間が外で信頼を積み重ねた上で根気強く『あの村は呪われていない』と言わなくてはいけないのです。
「マデリンちゃんは手足も口の中が青くても良い所に嫁げたんだろ?」
「マデリンは見目が恐ろしく良かった。手と足を隠して口元を隠しても十分価値がある子だったから貴族に嫁げたんだ。顔に一滴でもスミが付いていたら嫁げなかっただろう」
確かにお母様はとても美しい方でした。
私のように知性を武器にしなくとも、マイシャのように社交性を武器にしなくとも。
ただそこで佇んで微笑んでいるだけで多くの殿方を魅了するような、そんな魅力がありました。
お母様には価値があった。伯父様が言っているのは事実です。反論するつもりはありません。
なのに――何故でしょう? 価値がある子、という言い方に心がチクリと痛みました。
「あの子達が村を出て、呪われた村の真実を広めてくれさえすれば少なくとも上乗せする分の金は要らなくなるんだ。私達を気の毒に思う者からの援助があるうちにこの状況を変えないと、この村に未来はない」
普段無気力な伯父様の声は悲壮感に満ちていました。
その悲壮感に圧倒されたのか村の大人達は諦めて帰っていきました。
(……伯父様と村人達の間に漂う微妙な空気、何とか出来ないものでしょうか)
世間を知らない自分達が考えるより多少世間を知っている伯父様が考えて出した結論が正しいのだろうと、彼らも分かっているのでしょう。
だから子ども達がここに来る事を止めたりはしないし、邪魔したりもしない。
ただ、両手離しで賛同する気持ちにもなれない。
(村人達に対してただ耐えて欲しいと言っているだけでは、いずれ不満が爆発してしまいます。何とか、出来ないものでしょうか……)
フカワニサメの討伐、呪われた村の噂の払拭――色々思いを巡らせてみても、いい案が思いつきません。
せめて元手となるものが、まとまったお金があれば――
「テラ……ステラ!」
おばあ様の呼びかけに顔をあげると、おばあ様は重いため息を付いて言葉を重ねました。
「何だい、ボーっとして……体調が悪いのかい?」
「いいえ、大丈夫……少し考え事をしてただけ」
考え事に集中すると周りが見えなくなってしまうのは私の悪い癖です。
気を付けなければ、己を律している私におばあ様はちょっと眉を寄せながら、
「……それで、ステラ。あんたそろそろ良い男は出来たのかい?」
「え?」
唐突な質問に声が出ると、おばあ様は改めて重いため息をつき、
「オズウェルはあんたのお母さんに逃げられてから、頑なに再婚しなかったからね……一人娘のあんたがここまで回復してくれて良かったけど、あんたに子どもが出来ないとあたしゃ安心して死ねないよ」
「おばあ様、軽々しく死ぬとか言わないで……辛いわ」
言いながら、おばあ様が死ぬまでステラを演じるなんて非道な契約をしている身で言う事ではないなとは思いました。
おばあ様はそれ以上言葉を続ける事はありませんでしたが、私も続く言葉が思いつかず。
「じゃあ」と笑みを張り付けて、早々に階段を下りました。
おばあ様の心配は最もです。家の跡継ぎは貴賤関係なく伸し掛かる問題です。
ましてオズウェル伯父様の子どもは
おばあ様は気が気じゃなかったでしょうし、だからこそ伯父様は私にステラの代役を頼んだのでしょう。
伯父様の奥様――伯母様は都市で出会って恋に落ち、ティブロン村にまで来てくれたものの村に馴染めず、ステラを産んだ後村から去ったそうです。
「私の事は受け入れられても、自分が同じようになるのがどうしても嫌だと言ってな。そう訴えた頃にはお腹も大きくなっていたから、ステラだけ引き取らせてもらった」
おばあ様との会話に合わせられるように、と伯父様が言葉少なに語った身の上話は野次馬精神であれこれ聞けるような内容ではありませんでした。
「ふう……」
灯台から出ると、自然とため息がこぼれます。
気分を一新しようと心地よい風が吹く方を見れば、雲一つない赤みがかった空と、陽の光をキラキラと反射させる広大な海が広がります。
その海と
灯台から降りたら話かけるつもりでいたけど、おばあ様の会話でかなり気力が削られてしまいました。
明日に、しようかしら――なんて思っていると、彼の近くに変な物が見えました。
青い、毛玉のようなそれは、海から出て来て、ひょこ、ひょこと彼に近づいています。
(あれが……青ペンギン、でしょうか?)
リュカさんがその青い毛玉に向かって持っていた魚を突き出した、その瞬間――青ペンギンが勢いよくジャンプして、リュカさんに体当たりしました。
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