第17話 魔力の相性
新しい魔法を覚えるのは、とても大変な事です。
特に安定と調整に関しては試しながら微調整していく必要がある為、魔力もかなり消費します。
メルカトール邸にあった様々な本の中には魔法や魔法言語に関する本があり、物質浮遊魔法もそこに記されていました。
子ども達の前で発動させる事が出来たのは、本を読んだ後何週間もかけて練習したからです。
つまり――数年間、近くの都市で治癒術を学んだだけの伯父様にとって、新たな魔法を覚えるのはかなり難度の高い話なのです。
それでも伯父様は『高熱が出た』と周囲に噓をつき、数日家に籠って何とか覚えてくれました。
そして魔力が底を尽きかけて今にも倒れそうな伯父様と相談した結果、私は伯父様が使える魔法しか使わない、という事を固く約束いたしました。
その後、私も伯父様からスミフラシ以外の生き物――ティブロン村の植物や魚についてみっちり教えられました。
教えられるのは全然苦ではありませんでしたが、ヌルヌルした魚や生きている蟹まで触らされたのは私も相当堪えました。
伯父様は死んでいるスミフラシも持って来ました。
全体的に暗い青色で、水色の斑点がある拳大のプルプルヌルヌルした軟体生物は以前図鑑で見たアメフラシによく似ていて。
危険を感じた時に2つ飛び出た触角からイカやタコのように青いスミを吐き出すそうです。
流石にスミフラシを触れとは言われませんでした。
私に説明した後、伯父様はそれを丁寧に下処理して湯がいて食べていました。
そう。この村の人達の口の中が青いのは、スミフラシを食べるからです。
嚙み切りづらい上に特段美味しい物ではないそうで、今の海産物や果物が問題無く取れる時期に好き好んで食べる人間はいないそうです。
ですが、冬の間、海に潜れず果実も取れないこの村にとって、貴重な栄養源なのだそうです。
スミフラシをさばくキッチンの辺りは青い点々がそこらじゅうにあり、包丁も、まな板も、鍋も皆真っ青です。
一度乾けば再度濡れても色が移ったりしないらしいのですが、乾いたスミフラシは栄養も無くなってしまうそうで。
スミフラシのプルプルした切り身が唇につかないよう、慎重に食べる伯父様の姿を見ていると、世の中にはこんな苦労している人間もいるのだなと――心がキュッと締めつけられました。
私の記憶の中のステラも口の周りに青い斑点はありません。
伯父様のように、食事に物凄く気を使っていたからでしょう。
この村に来てから、自分がどれだけ狭い世界に生きてきたのか思い知らされます。この村も狭いけれど、ウェス・アドニスの中も同じくらい狭かったのだと。
そんな、教え、教えられ――の生活が一節過ぎた頃。
「先生、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
最初の授業を終えた後「本当にステラさんが教えてくれるなら」「魔法使ってみたいから」という理由でゴーカとムトという男の子が二人、授業に加わるようになりました。
二人ともイチル達より少し年上という事で心配していましたが、12歳位の少年達ならちょっと緊張する位で済み、今では自然に接する事が出来ています。
そして――
「はい、先生。今日は村の周辺で見つけてきた花だってよ」
「まあ……嬉しいけれど、リュカさんにそんなに気を使わなくていいって伝えてくれる?」
イチルが持って来てくれたのは、リュカさんが摘んできた数本の花。
淡い青や水色、白色の花はそれぞれ美しさを誇っていて綺麗ですが、私は彼から花を貰う理由がありません。
「師匠には何度も言ってるんだけど……村に住まわせてくれてる礼だから気にすんなって」
あれからリュカさんは私に直接話かけては来ませんが、こうして子ども達に何かを持たせてくるようになりました。
私の傍に魚を落としたあの鷹は彼が従えている魔獣らしく、鷹を操る彼に子ども達の心はすっかり鷲掴みにされたようで、イチル達は彼を師匠と呼んで慕っています。
子ども達が文字や計算を教える私の事も『師匠』と呼びだした時は慌てて『先生』に訂正させました。
「あたし、師匠は先生の事絶対好きだと思う……!」
魚、蟹、鷹の羽、果物、そして今回の花――どうしたものかと思っていると恋愛事に興味深々なニアがとんでもない事を言い出しました。
まさか。美しさを誇ったあの頃ならまだしも、今の私に一目惚れするような殿方がいるとは思えません。
ステラが残した小さな手鏡に映る私は、一時に比べれば大分肉も付いてきましたがそれでもまだ頬はこけ、髪も頬も以前のようなハリも潤いもありません。
仮にこんな私にも惹かれてくれる物好きな方がいたとして、私が誘拐された身だと知れば、誰しもが引いてしまうでしょう。
――コンラッド様のように。
想いを寄せた人の、あの嫌悪の表情を思い出す度にどうしようもない辛さが押し寄せます。
「せ、先生!? どうしたの!?」
「あ……ごめんね、目にゴミが入っちゃったみたい」
「先生……師匠の事、嫌いなの?」
心配そうにヨヨが見上げてきました。
話の流れからして、私がリュカさんに好意を持たれたのが嫌で泣いたと思っても仕方ない状況です。
「そういう訳じゃ……」
「俺もあの人の事、あんまり好きじゃねぇなぁ」
私の言葉に被さるように、先に椅子に座っていた少年――茶髪に緑がかった水色の目を持つゴーカが困ったように声をあげました。
「師匠は良い人だぞ? 鷹に触らせてくれるし、昨日は」
「悪い人じゃねぇんだろうなってのはお前ら見てたら分かるけどさ、けど、何か引っかかるんだよな……」
「あー、分かる。うちはオレより母さんがあの男毛嫌いしててさ……」
「ゴーカもムトも、話した事ない人を嫌うのは良くないわよ!」
話題が恋愛話から逸れたのはいい事ですが、このままではゴーカ達とイチル達の喧嘩になってしまいます。
「話した事ないけど、何だか気に入らない……っていうのはきっと、魔力の相性の問題ね。丁度いい機会だし、今日は魔力と色の相性についてお勉強しましょうか」
文字と計算ばかりでは飽きてしまいますし、いずれ魔法も教える事になるなら魔力がどういうものか早めに教えておいた方がいいでしょう。
子ども達もいつもと趣向が違う授業に興味を持ったのか、目を輝かせていました。
この世界に生きる人達は皆、魔力を持っています。
魔力には色が付いていて、人それぞれ魔力の色が違います。
青一つとっても薄い青に濃い青、暗い青に明るい青、緑がかった青に、紫がかった青――一言では言い表せられない、とても多くの青の魔力が存在します。
そんな魔力の色は目に現れ、強い魔力を持つ者は髪もその色に染まる事もあるそうです。
魔力の色は得意な魔法や性格に大きく影響を及ぼしている、と言われているのですが――
「……特に相性の悪い色の人と対面すると、害虫や怖い魔物に遭遇したかのような嫌悪感が沸き上がるそうなの。ゴーカとムトの魔力は水色だから、朱色の魔力のリュカさんと合わないって感じるのは全然おかしな事じゃないわ」
「へぇ……でも俺、害虫や魔物って程ではないかなぁ」
「そうね、朱色は水色と相性悪いけれど、最も相性が悪いとされているのは青緑だから……ムトのお母さんの目は何色?」
「あ、俺の母さんの目……青緑だわ。だからかー……」
「何だ、理由が分かるとそんなもんか、ってなるな」
ゴーカとムトは自分の中にある嫌悪感の理由が分かって、納得してくれたようです。
「でしょう? 魔力の相性が悪い人に対して嫌悪感を抱くのはごくごく自然な事だから、自分を責めたりする悩んだりする必要はないし、無理に仲良くする必要も無いの。ただ、相手も自分に対して本能的な嫌悪感を抱いている事を忘れちゃ駄目。悪口言ったり意地悪したりはしないようにね」
「……分かった」
ウェス・アドニスでは赤系統や緑系統の魔力を持つ人達も珍しくありませんでしたが、この村にいる人達は青や紫、水色など寒色系の魔力を持つ人達ばかりです。
彼らにしてみれば朱色の魔力を持つリュカさんは外国人に等しい存在なのでしょう。
魔力の相性の事を知るだけで、いらぬ争いが減る。
逆に言えば、相性の事を知らなければ争いが生じてしまう。
いつか村を出るかもしれない子ども達が不要な争いに巻き込まれないように、私も知っている事を教えなくては――その一心でその日の授業を終えました。
「先生、今日は凄く勉強になった。母さんにも相性の事話してみる」
「魔力って色々複雑なんだな……って、あの人、何やってんだ?」
赤く染まりかけた空の下、リュカさんが岩場に座っているのが見えます。
じっと海の方を見ているようです。
「ああ、師匠は青ペンギン来るの待ってんだよ」
「ああ……そう言えばそんな事言ってたな。でも青ペンギンなんて、フカワニサメがいる間は来ねえんじゃねえかなぁ……俺らも見た事ねえし」
フカワニサメ――10年ほど前からティブロン村から少し離れた海域に住み着いたらしい、ペンギンや人を食らう雑食の魚です。
青ペンギンは暑い時期になると遠く離れた島からこちらに来て、寒くなるとまた島の方に帰るらしいのですが――このサメが居着いてからティブロン村の岩場まで来れないそうです。
フカワニサメが住み着いてから岩場の近くにしか潜れなくなったと伯父様は嘆いていました。
そして青ペンギンは鳴き声がうるさくて、岩場が食べカスや排泄物で汚れるだけだからいない方がいいとも言っていました。
ステラの手紙では夢のある生き物だったのに――伯父様に夢を打ち砕かれて微妙な気持ちです。
「それじゃ、先生、さようなら!」
「はい、さようなら。気をつけて帰ってね」
子ども達が帰るのを見送っていると、イチルがリュカさんの所に駆け寄っていきました。
リュカさんは立ち上がってイチルと何か話し、こちらを見てきたので私は一礼した後、建物の中に入りました。
――あたし、師匠は先生の事絶対好きだと思う……!
ニアの言葉が頭をよぎります。
ですが、改めて考えてみたら私とリュカさんは面と向かって話した事が無いのです。
顔もまともに見てない、まともに言葉を交わした事もない人の事を好きになるなんて、ありえません。
赤系統の魔力を持つ人は人懐こく、義理堅く、物怖じしない人が多いと聞きます。
実際、リュカさんは見知らぬ私が尻持ちついたのを心配して駆けつけてくれる程優しい人です。
優しさと義理堅さを好意と誤解して恥をかく――そんな光景をパーティーで何度か見かける度にとてもいたたまれない気持ちになりましたし、私自身、善意を好意と受け取られて困った事もありました。
(……そんな私自身が勘違いして周りを困らせたり、いたたまれない思いをさせるなんてあってはならない事です)
これ以上誰かに迷惑をかけるような生き方は、したくありません。
それに――他の男に穢された女性を、心から愛してくれる人なんているのでしょうか?
かつてこの地を治めた賢人侯は心から愛していた瑠璃のように美しい目を持つ女性と引き離され、彼女が炭鉱夫達に穢された後も、亡くなった後も、一途に愛し続けたとされています。
かつてイースト地方で鉄人と唄われた侯爵は愛しい女性が誘拐されて娼婦として働かされていても一切愛を陰らせる事なく、正妻に置いたという話もあります。
どちらもかつての話――昔話です。現実的ではありません。
常軌を逸した英雄であれば愛する女性が誘拐されようが穢されようが何の問題もなく愛せるのかもしれませんが、そんな殿方は極々一部、ほんの一つまみの人間でしょう。
(……でも、もし、もしまた誰かに惹かれる事があったら……相手からも想いを寄せられる事があったら)
その時、私は――誘拐された事を打ち明けなければならないのでしょうか?
それとも――穢された事をずっと黙っていなければならないのでしょうか?
どちらの選択も、私を苦しめるでしょう。
また誰かを愛した時、私は、この選択に酷く苦しめられる事になるのが目に見えています。
そんな目にあうくらいなら――愛する人なんて、いらない。
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※ル・ティベルシリーズの「断罪された瑠璃色令嬢(短編)」にて賢人侯の話が、「黄緑侯爵と踏み台令嬢(完結済)」にて鉄人侯の話が書かれています。興味がある方はどうぞ読んでみて頂けたら嬉しいです……!
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