旧友
私は全くもって中途半端な人間だ。一度送ったメッセージを翻し、出席を拒否する旨の内容を送り直す。たったそれだけのことでさえ、躊躇してしまう。他人に対して生じる不和や軋轢、並びに自身を形成する人物像の気受けが、悪目立ちすることへの恐怖がいつだって先行する。それによって、学生時代は皮層なる人間関係を築くのに終始するばかりで、本当の意味で気持ちを吐露できた相手は彼女だけであった。
彼女は、私にだけ低体温だ。溌剌にクラスメイトと挨拶を交わし、席に座る間際で私と目を合わせ、静かに「おはよう」と呟く。私と接する時だけ、彼女の本来の人格が表出していると思い込んで、奇しくも心を開くきっかけになった。言葉数は少なかったものの、一つ二つと交わす対話で意思の疎通は充分に出来ていると感じていた。彼女は常に自制的で、自分がどういう人間なのかを的確に把握していると、まことに勝手ながら彼女のことをそう評していた。それは即ち、社会に順応する能力の高さを示していて、決して凶悪事件に身を投じるような人間だとは考えられなかった。私に慧眼が備わっているとは言わない。それでも、決して少なくない学生時代の時間を共有する人間として、仮にテレビのインタビューを受ければ、よく耳にする「事件を起こす人とは思えない」と口にしてしまうだろう。
嘆かわしい。なんて嘆かわしいんだ。もしかしたら、彼女の本心は家族ですら知らないのではないか。そんな都合の良い想像により、私は私を慰める。最も彼女と通じ合う仲だと自惚れていた私を慰める。
居酒屋を同窓会の場に指定した幹事の趣旨に従い、私は仕事を終えた足でそのまま向かう。息が白く染まる夜風の冷たさに、首に巻きつけたマフラーの中に顔を埋める。使い慣れた駅前の道程は、本来なら迷うようなことはない。しかし、繁華街さながらに賑わう看板の数々に視線をつぶさに飛ばしながら、慎重に足を進ませる。居酒屋などという、煩雑に賑わう場所に顔を出す機会が一切なかった私にとって、目を滑らせながら歩くような真似は出来なかった。
「あっ」
そう声を上げる数秒前に、とりとめもなく確信していた。それでも、白々しく声を上げて同窓会の会場を発見した人間としての役を演じる。まるで、陰鬱に塗れた普段の姿を振り払うかのように。
「おっ、来たな」
当時の私には男友達が一人だけいた。あっけらかんとした気風を纏う彼は、私のような陰気な人間にも分け隔てなく接し、その性質はまさに陽気を体現した。
「渡瀬、元気そうだな」
何の衒いもなく拳を突き出す彼の姿から、教室での風景を空目する。私もすかさず拳を作り、徐に近付けていくと、骨が肥大し谷がなくなった拳頭の威圧感に気がついた。鈍く重い刺激を与え続けて形作られる拳は、並々ならぬ経験が透けて見え、私と彼の間に流れた時間の長さを無意識のうちに理解する。コツンとぶつかり合った拳での挨拶を終えると、まだ隣に誰も座っていない座敷の座布団を叩いて見せた。それは明らかに、私を誘導する所作に他ならず、おずおずと足を進ませる。
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