天秤に掛けるまでもない、はず

ささまる/齋藤あたる

第1話 プロローグ


「人間にカテゴライズされる生き物の中じゃ君が一番好きだよ」

 正真正銘の愛の言葉だ。少し回りくどいのが彼女らしい。

 問題は、それが電話向こうの見知らぬ人物に対してのものだということである。

 何を隠そう、村木は今朝、彼女と同じベッドから起きた。

 内心の動揺のままに彼女を横から見つめていると、反対隣から肘で小突かれた。同じ研究室所属の神田だ。彼は意味深な面持ちで肩をすくめる。彼の言いたいことを予想するなら「まーた城戸が変なことやってる」とかだろう。

 実際、周囲に同級生が居る狭い教室で、電話なんか堂々とするべきじゃない。内容がこっちにダダ漏れだし、それが愛の告白なら尚更だ。

 というか、同棲している彼氏の前でよくそんなことが言えたものである。彼氏とはすなわち自分のことなのだが。

「私の人生に特別という事象が存在するとしたら、君だけだ」

 また爆弾発言が聴こえた気がする。気がするだけではないようで、神田がまた肘で小突いてきた。

 どうやら今日は、最悪の日のようだ。後で問いただすことを硬く決意して、村木は研究レポートに向き直る。提出が今日の昼までなのだ。

 そのくせ、文章が一向に進まない。


 研究室教授への謝罪のメールを済ませた頃、折よく神田が昼食へ出かけて行った。彼は、村木と城戸の関係を知らない。ただ卒論の同期であるので、それなりに仲が良いことは知っている。

「なあ、さすがに酷すぎるんじゃないか」

 何のクッションも挟まずに切り出した村木を、城戸はキョトンと首まで傾げてみせた。アッシュに染めた長い髪が、胸の前で揺れる。農学部所属でもお洒落に気を遣っている所が彼女の美点の一つだ。けれど、今はそんなことどうでもいい。

「何が?」

「何がじゃないだろ」

 思わず睨みつけた村木に、城戸はただ困った表情をした。意味がわからないとでも言いたげだ。生憎と、それは村木の方だった。

「さっきの電話は? なんなんだよ」

「ああ、それ。聞いてたの?」

「聞こえるだろ。同じ部屋に居るんだぞ」

「ああそっか……まあそうだよね」

 草原の子羊みたくぽわんとした様子で彼女は頷く。

「さっきのは友達だよ。高校の時からの……ま、親友ってやつかな」

「親友?」

 納得できない。

「親友にあんなこと言わないだろ。一番好きとか……」

「言うよ? 事実だもん」

「事実?」

「うん」

 なんの憂いもなく頷く城戸に、村木はいよいよ崖際に追い詰められた気がした。

「昔、というほどでもないけど、まあ色々と世話になったんだよね。信頼と実績のある友人だからさ。まあ向こうも友人だと思ってくれてるかはわかんないけど。ほら、私、甲斐性とか無いじゃん?」

 確かに甲斐性はないが、問題はそこではない。

「そいつが一番なら、俺は? 俺のことはどうでもいいんだ?」

「急にメンヘラみたいなこと言うじゃん」

 城戸は目をぱちくりとさせて驚くも、すぐさま答えを述べる。

「もちろん好きだよ、君も」

「……も」

「揚げ足取りしないで。だってしょうがないよ。過ごした月日が違うから」

 城戸はそう言うと、神田と同様に昼飯を買いに出て行った。何か要るかと尋ねられたが、村木は黙って見送った。食欲なんかない。何も食べたくない。

 単純に考えて、後から出会った村木は一生追いつけない。

 単純だからこそ、間違いようがない事実だ。だって時間は遡行できない。高校からの付き合いだと言うなら、向こう数年はあちらが上だ。誰かも知らない友人相手に、恋人である村木は負けている。

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