第38話


 桃は唇を戦慄かせ、やがて肩の力を抜いた。くしゃりとした顔で言う。


「……バレてたか」

「私やクラスメイトの前で一度も絵を描かなかったよね。漫画を描けるような実力者なら、人前で絵の一つや二つ披露したくなるものだと思う。でも、桃はしなかった。できなかったから」


 得意なことがあった場合、どうしたってそれを誇示したくなるものだ。子供ならなおさらだろう。


「絵里の家に上げさせてもらえなかったのはお姉さんがいたからだね。嘘がばれるのを恐れて、『お姉ちゃんと相性悪いと思うから来ない方がいい』なんて理由をでっちあげた」

「絵里には敵わないよ。名探偵みたいだね」


 無理して元気を取り繕うとしてる姿が痛々しく映った。


「あれだけの巧さと向上心を持ちながらあっさり辞めた。それ自体とても不自然なことだった。もっと早く気づくべきだったよ」


 桃の瞳を見つめる。

 視線は逸らされなかった。きっと彼女は、ずっとこの時を待っていたのだろう。私にはそれがわかった。誰よりもわかってしまった。

 言うべきことを口にする。


「ごめんね」


 桃は目を見開いた。すぐには言葉が理解できなかったらしい。やがて震えた声を発した。


「なんで絵里が謝罪するんだい? 謝らなきゃいけないのは私の方でしょ。……ごめん、ごめんね」


 瞳が揺れている。動揺しているのだ。

 私は桃の震えている手に、自分の手を重ねた。


「私は桃に願望を押し付けてきた。だから嘘だって言えなかったんだよね?」


 桃の表情が強張る。

 休み時間、桃が机の上に原稿の束を置いているのを見かけ、私は声を掛けた。その時、「漫画描けるんだ! 凄いね!」と賞賛して、桃は「ありがとう」と言った。私はそのやりとりを誤解していたのかもしれない。


 にもかかわらず、私は桃が漫画を描いていると決めつけ、話を前に進めた。桃は私の熱量を目の当たりにして、本当のことが言えなくなっていたのではないだろうか。


「桃に嘘をつかせた私が悪いんだよ。だからまた謝らせて。ごめん」

「……ちょ、謝らないでよ」


 桃は苦しそうな顔をした。


「どう客観的に見ても私が悪いでしょ。自分じゃなくて姉が描いたものだったんだって言えばそれで済む話だった。でも、私はそうしなかった。絵里からアドバイスを引き出せば、お姉ちゃんの為になるんじゃないかって、嘘をつき続けた。……ううん、これは言い訳だね。絵里に失望されたくなくて嘘をつき続けたんだよ。そのせいでお互い後ろ暗い思いを抱えながら生きることになった」


 桃の手を強く握る。


「お互い悪いところはあったと思うよ。でも、私は桃に自分を責めてほしくないな」

「……なぜ?」

「だって、桃のおかげで今があるから」


 恋ちゃんと辻本さんの顔が脳裏に浮かぶ。結果論だが、桃との一件がなければ二人との関係性は全く違うものになっていただろう。なんだったら、交わることもなかったかもしれない。


「私は自分を許すことにした。だから桃も自分を許してほしい。それで全部解決する問題だから」

「嘘つきに対して優しすぎるんじゃない?」


 私は微笑んで言った。


「知らなかったの? 最近の私はめちゃくちゃ優しいって評判なんだよ」

「そうなんだ。それは知らなかったなぁ……」


 桃は笑いながら顔を伏せた。しばらくして、涙がカーペットに落ちる。ぽろぽろと絶え間なく落ち続けた。

 隣に移動して桃の肩を抱き寄せる。すると、声をあげて泣き始めた。

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