かがみの国のワタシ、線を引くわたし

藤原くう

本文

 鏡の中のワタシに線を引きたいと、わたしはいつも思っていた。


 姿見に映るわたしそっくりなワタシは、わたしの貧相な体とは比べ物にならないほどかわいい。


 死んだ液晶に映り込んだアナタも、生きた水面を漂うアナタも、NPCのように同じ言葉を繰り返すクラスメイトたちの瞳の中で乱反射するアナタも……。


 どれもこれもわたしと違う。


 アナタはワタシ。わたしと変わらないはずなのになぜか異なってる。


 みんなは一緒だって言うけれど、どう考えたって、わたしとワタシはまったく違う。


 わたしはガラス玉みたいな目で人を見たりはしない。あんなに整った顔はしてないし、あんなにスラッとしてない。それからそれから……。


 どうしてなのか確かめたくて、わたしは虚像の鏡像に定規を押し当てる。


 ひんやりとしたプラスチックをぺたり。アナタのおでこから唇にアーチがかかる


 マッキーを握り締め、パステルな橋に沿って黒い正中線を引くわたしは、ちょっとどうかしている。でも、定規を当てられても動こうとしない、ペン先におへそをくすぐられてもびくともしないアナタだって、同じくらいどうかしてる。


 縦横に伸びるシンナーくさい線は十字架。


 その黒いグランドクロスに聖なる祈りなんてまったくない。神秘性のかけらもない、無垢な好奇心を満たすだけのもの。


 やっと線を引き終えたわたしは、白々とした鏡を見る。


 ほっほっほ。つま先立ちしていたわたしの胸が上気する。達成感の汗が肌を輝かせていた。それがちょっとうれしくて、悲しかった。


 鏡の中のワタシはサラリとした肌をわたしへ向けている。マネキンみたいな目で、わたしのことをじいっと見つめていた。


 いつもと同じ反応。


 ワタシは何もかもに無反応で――だからこそ、その澄ました顔をどうにか明かしてやりたいと、わたしは画策する。


 でも、やっぱり効果はなくて。


「本当に、ワタシはわたしなのだろうか」


 理科の教科書では、鏡には同じものが映るってあった。


 それなのに、鏡のアナタは同じじゃない。


 同じじゃないってことは違うってこと。


 わたしとアナタは違うってこと。


 何度も何度も何度も何度も。何回だってわたしは鏡の中で直立しているワタシに定規を当て、線を引く。


 その度に十字架はちょっとずつ大きくなった。


 最初の線は今ではわからない。シンナーのつめたい臭いも、ついにはバラバラになってしまった。



 残念。あの匂い、結構好きだったのに。


 ――そんな風に過去を懐かしむくらいには、わたしたちは大きくなっている。


 姿見はいつの間にか小さくなっていて、わたしは私になっていた。顔は、銀の板から飛び出しちゃってもうわからない。


 私とそっくりなのに違うアナタは今、どんな顔をしているのだろう?


 かすれた十字架の前で、私はくるくるくる回転する。


 スカートが、ブラウスが、結った髪がまわってまわって、飛びはねた。


 服装が一緒で、うれしい。


 私とワタシのはじめての共通点。


 それが、無性にうれしかった。


「行ってくるね、キラル」


 私は右へ歩いていく。


 鏡像のワタシが左へ歩いていく。

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かがみの国のワタシ、線を引くわたし 藤原くう @erevestakiba

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