第2話

「この店潰すから」

「は?」


 海外出張に行っているはずの女社長が、突然帰ってきてそう言った。

 小さなダンスクラブの店長として店を任されていた俺は、アホ面でレジ金を数えていた手を止めた。


「これ、スタッフの給料。というより迷惑料かな。預けとく。一律百万だから喧嘩しないでね」


 理由は? いつから決めてた? どうして相談しなかった? 俺はこれからどうなる?


 何から聞くべきかと言葉を選んでいると、社長はおもむろにキャリーケースを開いた。

 むき出しの大金は俺の言葉を奪ってしまった。理不尽に思ったが本気だと伝わり、諦めた。それに俺が止めたところで気が変わるような女じゃない。


 でも、この店は好きだった。ダンスクラブにしては珍しく本格的なカクテルを出す店だった。仕事はやりがいがあり、慕ってくれる後輩もいた。ここに来るまではどちらも縁の無いものだった。こんな職場にはそうそう出会えない。


「お前これからどうすんだよ。てか今までどこで何してたんだよ」


 なんでそんなにあっけらかんとしてんだよ。


「口のきき方に気を付けなさい。でも大丈夫。次の仕事もすぐ見付かる。あんた変わったよ。だから自信持って。そのうち大切な人もできるから、そのときは短気起こさないで優しくするのよ。わかった?」



 急な展開に頭がついていかず、気付いたら社長は消えていた。夢かと思ったが金の入ったキャリーケースがポツンと残されていた。


 バイト先が潰れたらしい。



 ◆ ◇ ◆ ◇



 "資格不要!""未経験歓迎!""アットホームな雰囲気!"


 求人情報誌に載るやたらハイテンションな文言は俺の気をそそらない。

 仕事を選べる状況じゃないのは分かっている。でも、長期のバイト探しはどうしても慎重になってしまう。それにクラブのバーテンダーの経験しかない俺にとってそれ以外の仕事は未知だ。言ってしまうと、少し怖い。


 職場に何かを求めているわけじゃない。騒がず、目立たず、空気のように過ごしたい。影が薄すぎて忘年会に呼ばれ忘れる、そういう存在になりたかった。


 ライターの石をこする。火花が散るだけで着火しない。咥えた煙草を机に投げ、コンビニへ行こうと脱ぎっぱなしのジャケットを掴んだ。


 道すがら頭の中で所持金を数える。社長から貰った百万円は手を付けずに残していた。くすぶってる期間に無駄に食い潰すのはなんとなく嫌だった。そう思えているうちに、早く次の仕事を見付けたい。



 買い物を済ませ、線路沿いを歩いた。終電もとっくに行った時間、ひとけの無い夜道をだらだらと帰る。

 踏切を渡るとゴキブリのような素早さで俺の前に二つの影が立ちはだかった。


「コンバンハ、お兄さん。歩き煙草だめじゃん」

「そうそう。子供がまねしたらどうすんの?」


 全くもってその通りだ。まだ半分も飲んでいない缶コーヒーに吸い差しを入れた。ジュッと切ない音がする。


「待った待った! それで許されるとおもうわけ?」

「そうそう。警察に通報しちゃおうかな!」


 ヤンキーはなぜ喋るとき頭を左右に揺らすのか?


「おい。聞いてんのかよ」


 前を開けていたジャケットを掴まれた。店長になったとき社長から貰ったジャケットだ。


 カッとしたが「暴力はだめよ」と言う社長の悲しげな顔を思い出した。


 振り上げた拳は行き場を失った。


 星が飛び、財布を抜かれた。


「だっせ。これしかねーじゃん」


 お前の方がだせえよ。声になったかは分からない。


 鼻血が喉に流れ込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る