損得の犯罪
森本 晃次
第1話 歪なマンション
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。
ここ最近ではあまり見なくなったが、昔によくあった建物として、
「土手に建っているマンション」
というのがあったような記憶があった。
このマンションを昔であれば、それほど怖いという感覚はなかったが、時代がすぎて、今の時代では、まず最初に考えることとして、
「耐震構造は大乗のなのだろうか?」
という発想であった。
特に、今のような時代になれば、地震だけではなく、大雨などの水害であったり、台風などというものも、異常気象が増えてきている今の時代にあっては、
「土木建設業界で、どこまで補償されているのだろうか?」
ということが気にならないということはないだろう。
何と言っても、20世紀末に近かった頃にあった。
「こんな大地震は想定もしていなかった」
ということで、耐震構造が見直された時期があったではないか。
それなのに、実際に建設されてしまい、何かの事故で、
「崩落してしまった」
などということがあり、耐震構造を調べてみると、
「案の定、手抜き工事だった」
などというのは、別に珍しいことではなかった。
当然、
「想定外の災害が起こったのだから、今度は、それ以上の災害があってもいいように、建築基準がさらに厳しくなっていくのは当然のことなのに、
「何と、前の基準にさえも達していない」
という、まるで、
「すべての国民を敵に回す」
かのような、恐ろしい建築会社も存在したりする。
むしろ、建築業界に限ったわけではないが、
「下請けから孫請け」
などと言って、請け負った会社から、実際の末端までに、いくつもの業者が存在していて、その状態が成り立っているかということである。
一番の問題は、
「中抜き」
の存在があるからだろう。
どんどん、下に卸していっているうちに、卸したことで、その手数料を
「儲け」
ということにして商売をしている。
以前の、K内閣の某元大臣のような人もいるのだから、この風潮がなくなることはないだろう。
だが、全部が全部、
「手抜き工事」
をしているわけではないだろうから、そのあたりの誤解のないようにしないといけないだろうが、一部であっても、
「悪徳企業」
が存在することで、
「あんな連中のために、真面目にやっている俺たちが、悪く言われるのは、溜まったものではない」
ということになるのであろう。
だが、今の時代の建築がどこまで信用してもいいものなのか、実際のところは分からない。
だが、実際に、
「土手に建っているマンション」
というものが、いかに怪しい建造物なのかということも言えるのだった。
K市にあるこのマンションは、そういう意味で、興味深いところであり、ある意味、
「今の時代に、そんなマンション、ありえるのか?」
という人も多かった。
なぜなら、昔と違って、マンションは、警備という面では、簡単なものではない。
特に、
「オートロック」
などと言われるものが増えてきて、
「今ではオートロックが当たり前」
と言われるような時代には、少々でも、危険を感じさせるようなマンションを建てたとしても、入居者はほどんどいないだろう。
少なくとも、
「危険性を排除できる安心感があることで、お金を出して、安心が買えるんだ」
と思っている。
そういう意味では、
「少々安かったとしても、安心感が手に入らないのであれば、完全に、安物買いの銭失いという言葉みたいになっちゃうよな」
と感じることであろう。
オートロックというものは、実際には、昔からあったのだろうが、実際に、
「これが当たり前」
と言われるような時代になったのは、いつからであろうか?
そして、そういわれるようになるには、それなりの事件であったりきっかけがないとあり得ないことであろうから、それが何だったのか、誰か知っている人がいるのだろうか?
そんなことを考えると、
「もっと、広い意味でのその時代時代の事情を知っておく必要があるのだろう」
と思うのだった。
マンションのロビーが、エントランスのようになっていて、入り口には、集合ポストがあったりする。
ここまでは、ロック関係なく、入れるのだが、ポスト自体もカギになっているので、
「取られることはないだろう」
というのが、当然の発想だったりする。
確かに郵便が盗まれるということはないが、変なダイレクトメールのようなもので、溢れてしまうという時期はあっただろう。今のように、パソコンやケイタイ、スマホなどが普及していない時代であれば、それこそ、ポストに、お店の宣伝や、チラシが山のように入っていたものだ。
とにかく昔は、宣伝費というものが、
「儲け」
というものに直接つながるという考えだったような気がする。
というのも、昔でいうところの、
「自転車操業」
というものは、どういうことだったのかということを考えてみれば、何となく分かるというものである。
特に、
「会員制」
と呼ばれるものであれば、まずは、
「会員になってもらわなければいけない」
というわけである。
売上の底上げをしないことには、上に現れる利益という部分は見えてこない。
「収支のバランスが、ゼロの時点から上しか利益として見れないのであれば、分子を増やすしかない」
ということになるのだ。
つまりは、利益という表に出るものを増やすには、
「元になる売上を増やすしかない」
ということになる。
そういえば、中学時代の理科で習った。
「見かけの光合成」
という言葉を思い出した。
つまりは、収支がトントンのところから上しか見ないとすれば、率が同じだということを前提に考えると、やはり、
「分母の増加しか手はない」
と言えるのだ。
つまり、
「単価の高いレストランでは、ゆっくりちくつろぐ時間を与えられるが、ラーメン屋であったり、立ち食いうどん屋さんのように、単価が安いところでは、
「いかに客を回転させるか?
ということが命になる。
「食べ終わったら、さっさと料金を払って出る」
ということを徹底させられる店でなければ、客同士でトラブルにもなりかねないだろう。
それを思うと、
「どれだけ車輪を早く回して開店させることで前に進むか?」
という発想から出てきた、
「自転車操業」
という言葉にならないだろうと思う。
そして、今の時代において、自転車操業というのは、あまりいいイメージで見られるものではなく、
「経営という意味では、実に諸刃の剣のような危ないやり方なのだろう」
と思えるのだった。
実際に、今までに、
「自転車操業によって、会社が破綻し、自己破産を申し出ている」
という言葉を、どれほど聞かされたというものだろうか。
正直、バブルが弾けた時点で、
「自転車操業」
というものが、いかに虚空の世界であるかということを、身に染みて分かっているように思うのだが、結局、
「自転車操業は、自転車操業でしかない」
という経営方針は、一定数まだ存在しているということであろう。
そんな自転車操業が、なかなかうまくいかないということは、
「バブル砲迂回」
という時期に、すでに破綻してしまったように思える。
元々、バブルというのは、
「実体のない儲け」
というものが、その元々だっただけに、たとえば、当時よく言われたのが、
「土地ころがし」
などのように、土地というものを売買の差額で儲けるものであり、それこそ、自転車商業に近いものがあった。
もちろん、儲けの実態は違っているが、
「売買の差額」
という、ある意味、
「経済の基礎」
というところでは、、追及する点は似ているといってもいいだろう。
ただ、そんなバブルが弾けたことが、大きな社会不安をもたらしたというのは、いろいろな要因があったと思うが、その一番というものは、それまで信じられてきたこととしての、
「神話の崩壊」
というものではなかっただろうか。
たとえば、
「銀行は絶対に潰れることはない」
といって信じられてきたものが、いとも簡単に破綻していったのだ。
むしろ、
「あの銀行が破綻した」
ということで、
「今までの不況とは違うぞ」
ということを、世間に知らしめたのではないだろうか。
そもそも、バブルの崩壊は、一番銀行に大きな負債を抱えさせることになる。
なぜといって、バブル経済では、
「事業を拡大して、動けば動くほど、儲かる」
と言われて、誰もそのことを信じてい疑わなかった。
バブルの時代に限らず、銀行というところのいわゆる、
「儲け」
というものは、それまでは、
「企業に金を貸し付けて、その金に対しての利子の分が儲けになる」
ということであった。
つまり、
「端数のお金を貸すくらいなら、大目に貸し付けると、その分、返ってくる利子も大きい」
という、単純計算で企業にたくさん貸し付けていた。
企業側も、
「事業を広げれば、それだけ儲かる」
と信じて疑わないし、何と言っても、融資に関しては、審査などがあり、一番慎重なはずの銀行が、
「もっとたくさん」
といっているのだから、信じて疑わないのも、無理もないことであろう。
それを考えると、企業側も、増えた融資額の分、規模を拡大しようとか考えることだろう。
そんな融資を、いわゆる、
「過剰融資」
と言っていた。
バブルが弾けてから、この過剰融資のシステムが悪かったかのように言われるが、確かに当時、
「過剰融資が危ない」
などと、誰も言っているわけではなかった。
むしろ、お金を回すことが、
「経済の活性化」
に繋がり、
「バブル経済は、永遠にいい形で回っていく」
と真剣に考えていた人ばかりだっただろう。
もっとも、そんな先まで考えていた人がどれだけいたことか。
政府の経済産業省であったり、エコノミストと呼ばれる人は、当然研究はしていただろうが、誰一人として、
「バブル経済の危機」
についていう人はいなかった。
いたのかも知れないが、すでに神話と化してしまったバブル経済に、異を唱えても、誰も聞く耳を持たなかったり、信じる人もいなかったりではないだろうか。
それを考えると、バブルが弾けたことは、実は必然であり、世の中に、
「永遠で、無限に継続することはありえない」
と言わしめたのかも知れない。
実際には、永遠に続くこともあるのだろうが、それも、いい時もあれば悪い時もある。悪くなった時に、どのようにすればいいかを考える必要がある。
そのためには、うまくいっている間に、そのメカニズムを真剣に考え、
「どうしてうまくいっているのか?」
あるいは、
「うまく行かなくなった時、いかにすればいいのか?」
ということを考えなければいけないということになるだろう。
実際にバブルが弾けた時に、まずは、零細企業がひとたまりもなかった。銀行も無数と言えるような零細企業にも少なからずの融資をしていたので、それらが、まったく回収不可能となると、それだけでも、大きな痛手であった。
ただ、末端の零細企業であったり、逆にメーカーなどがどんどん破綻していくと、受けた会社が、何も売るものがない。売ったとしても。最終的な商品を作っていた末端がなくなってしまったのだ。
当然、受けていた受注が完成しない。そうなると、得られるはずのお金が得られない。仕入れたものに、お金が払えない。完全に、経済がストップしてしまうのだ。
しかも、事業がどんどん拡大していく。その一つ一つで問題が起こったのだ。
「一つの事業だけでも大変なのに」
ということで、混乱は本当にひどいことになってしまうのだった。
そうなると、それまで、想像もしていなかったことが、社会で起こってしまい、
「お金を回すことだけで利益を得ていた銀行」
というものが、破綻するのは、当たり前のことであった。
しかも、
「過剰融資」
などといって、
「必ず、回収ができる」
と信じられていたものが回収できないとなると、儲けに直結するお金というものを直接取引しているような銀行には、どうすることもできないのだ。
「たとえば、何かを売って金に換える」
というようなことは、一般企業にはできるだろうが、元々の取引がお金なのだから、お金が返ってこないのだから、売るものもないということだ。
そんな状態となり、銀行の資金は、
「焦げ付き」
を起こし、自分自身がどうしようもなくなる。
そうなると、生き残るためには、
「大きなところと、合併する」
という方法しかなくなってきた。
それが、今の銀行である。
バブルが弾ける前と、まったく変わってしまったではないか。
戦前から大きな力を持っていて、戦後には占領軍から、
「戦争を引き起こした」
という罪で、解体を余儀なくされた、財閥の生き残りが、銀行というものだったのだが、そんな財閥系の銀行も、バブルではひとたまりもなく、昔では信じられなかった、
「財閥同士の合併」
などということが、どんどん行われてきたのであった。
「もう、こうなったら、プライドなんて言っていられない。背に腹は代えられない」
ということであった。
世間は混乱し、企業もいろいろなことが行われた。
というのも、
「利益を収益から得られないのであれば、いかに、支出を減らして、損益を減らすか?」
ということが言われるようになってきた。
例えば、
「拡大していった事業を縮小していく」
というのが、まず一つ。
さらには、ムダな経費を使わない。細かいことを言えば、
「使っていない場所の電気を消す」
などというところから徹底させ、あとは、都心部にある事務所を、交通の便が少々悪くても、郊外に持っていくなどという、家賃の無駄を省いたり、などということをしていた。
しかし、一番の経費節減は、経費で一番大きなところとして、どこの会社もネックである、
「人件費」
ということになるだろう。
いわゆる、
「リストラ」
という言葉がささやかれ、それまで言われていた、
「窓際族」
などというもののような生易しいものではなく。
「今辞めれば、退職金は弾む」
という形での、
「早期退職者を募る」
というやり方で、人員を削ったりしていた。
普通であれば、
「早期退職などという言葉に引っかかったら、後悔する」
と思うのだが、当時は、
「どうせ、放っておけば、いずれ、辞めなけれないけなくなるんだ。ここで少しでもたくさんもらっておいた方がいいかも知れない」
ということで、早期退職を考える人もいるだろう。
そもそも、
「早期退職に乗らずに、まだここで粘ろう」
と思ったとしても、それ以前に、しがみついた会社がもつとは言い切れないだろう。
それなら、
「少しでも多く退職金を貰って、次の会社を探した方がマシだ」
と思うことだろう。
しかし、結局、みんなが同じことを考えて、世の中に失業者が溢れてしまう。
経費節減のために、人を削っている会社ばかりなので、この時期に、人員を募集しているところなど、普通に考えればないだろう、
それでも、一人の募集に、面接者が、ハイエナのごとく集まってくる。
考えてみれば、そこがいい会社ということは、考えにくいだろう。
考えられることとして、その会社は、今でいう、
「ブラック企業」
であり、社員が入っても、すぐに辞めたり、身体を壊したりするような会社だということは、ちょっと考えれば、容易に想像がつくというものだ。
だから、本当は簡単に辞めるべきではなかったのかも知れない。うまく再就職できたとしても、ブラックな会社にいいように使われて、使えなくなったら、捨てられるという運命だと思えば、どちらがいいのか?
ということである。
ただ、この選択は非常に難しい。
前の会社にしがみついていたとしても、いずれは、辞めなければいけなくなるだろう。かといって、それまでに何ができるのかというと、それも難しい。
中には、勉強して、新たなスキルを身に着けて、それを武器に企業に自分を売り込むということもできるのだろうが、その企業があてにならないのだ。
企業もいつ潰れるか分からない状態で、人も、失業者が溢れている。
普通なら、
「売り手市場」
あるいは、
「買い手市場」
ということで、どちらかが強いのだろうが、その当時は、どちらも弱いのだ。
確かに、雇う方が強いのだろうが、それは見せかけの強さであり、それに騙されて、
「よかった。新しい会社に就職できた。この時代に人を募集しているのだから、きっとしっかりした会社なのだろう」
と思ったとすれば、それは大きな間違いではないだろうか。
「逆も真なり」
ということで、入ってみれば、どうせすぐに、
「何かがおかしい」
と感じるようになり、気が付けば、自分が、
「会社の奴隷」
と化してしまっていることに気づくだろう。
そして、その時初めて、
「そっか、募集を掛けていたということは、それだけ、社員の出入りが激しいということか」
ということに気づかされるのであった。
「会社なんていうものは、信じられるものではない」
と思った人も多かったことだろう。
人件費の節減ということで、企業側が次に考えることとして、
「非正規雇用」
というものの採用であった。
いわゆる、
「パート」
「アルバイト」
の類であるが、非正規社員ということで、その頃から注目されるようになったのが、
「派遣社員」
と呼ばれるものだった。
アルバイトというと、会社が新聞や、雑誌などに掲載し、募集を掛けるものだが、派遣社員というのは、企業と、従業員との間に、派遣会社というのが絡むもので、その分、会社も従業員も安心できるというものだ。
従業員側も、いきなり解雇されることもないし、企業側も、急に来なくなったり、その日事情でその人がこれなくても、誰か他の人を派遣するということもできるので、
「穴をあける」
ということはないので、安心というものだ。
しかも、その間に、
「人材派遣会社」
が絡むことで、利益が生まれることにもなる。
企業としては、
「正社員よりも、給料が安くて済む」
ということと、アルバイトなどよりも、解雇しにくいということもあるが、契約期間も、三か月ほどということで、そんなに長い間ではないので、契約延長を更新しなければ解雇はできるということで、正社員を雇うことでのリスクは少ないだろう。
社員側としても、それほど責任を負わされることもなく、残業もほとんどない。アルバイトに比べて、覇権会社が間に入ってくれることで、何かあった時のクッションの役目もしてくれる。
というようなことで、社員側もそれなりにいいことが多そうだ。
今の企業に、派遣社員などが多いのは、この時からであろう。
バブルが弾けたことで、いろいろな改革が行われ、今のような社会になったのだが、さすがに、バブル時代の問題はなくなってはきたが、経済は一向によくはならない。
その問題は、何がいい悪いということが、いまだに分かっていないからなのかも知れないが、もっといろいろなところで、ひずみが生まれたことでの悪影響もあるのだろう。
そんな中で、バブルが弾けて、世の中がカオスになっていた時代には、いろいろな商法があり、問題が発覚して消えていった業界もあった。
一番印象に残ったのが、今から10数年くらい前に流行った、
「自費出版社系」
の会社だったのだ。
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