みちのく鬼譚
popurinn
第1話 なまはげのアルバイト
「泣く子はいねがー!」
会場に現れたなまはげが怒鳴ると、親に抱かれた小さな子どもたちから、ワッと悲鳴が上がった。
「なまけものはいねがー!」
子どもたちの悲鳴が高くなっても、なまはげたちは容赦しない。叫ぶ子どもたちの前へ進んで、さらに怒鳴り声を上げる。
翔也も、まわりのなまはげたちを真似て、怒鳴り声を上げたが、「いねが!」の部分の発音がうまく言えそうになかったから、ただ「ワオォ!」と怒鳴るだけに留めた。秋田の言葉は思ったより難しい。自分の平坦な発音では、なまはげの恐ろしさは表現できないと思う。
それでも、稲藁でできたケダシと呼ばれる蓑のような上着を着て、赤い鬼の顔のお面を付けて動き回ると、子どもたちは期待通りの反応を示してくれた。母親の胸に顔を埋めて泣き出す子もいれば、小学生に上がったくらいの子どもの一人は、「もう、夜にはゲームをしません!」と、真剣な面持ちで誓ってくれる。
ここは、銀座のデパートの八階にある催し物会場。今日は秋田県の物産展のイベントの一つとして、なまはげによるショーが開かれている。きりたんぽ鍋のセットや曲げわっぱの盆が展示販売される中に、なまはげが登場して雰囲気を盛り上げようという趣向だ。
なまはげには、地元秋田県男鹿市からやって来た町の男たちが扮している。地元では何度もなまはげに扮したことのある経験者ばかりで、恐ろしげな歩き方も、子どもの脅し方もうまいものだ。それに比べて、一人、いや一匹、動きのぎこちないなまはげがいた。翔也が扮するなまはげだ。
「バイト、やんない?」
大学で同じ学部の串川から電話がかかってきたのは、昨日昼飯を食べたすぐあとだった。明日を大晦日に控えて、世間では何かと忙しい年の瀬だろうが、大学一年生で家庭教師のアルバイトがキャンセルになった翔也は、退屈な冬休みの一日を持て余していたところだった。
「お前、明日暇だろ?」
串川の要件は、急用のためにできなくなったアルバイトを代わってくれというものだった。串川は秋田県出身で、田舎の知り合いからこのアルバイトを頼まれたらしい。
ちょうど小遣いが底をつきかけていたから、アルバイトの誘いは有難かったが、内容を聞いて二の足を踏んだ。デパートの物産展のイベントで、なまはげに扮するのだという。
「着ぐるみモノ?」
翔也の反応に、串川の声は尖った。
「なまはげを着ぐるみといっしょにすんなよ。ゆるキャラじゃないんだからさ」
「おんなじだよ。なまはげの衣装着るんでしょ」
断るつもりだったが、時給を聞いて、食指が動いた。ちょっとした肉体労働と同じぐらいの報酬がある。
「でも、おれ、なまはげのこと、なんにも知らないよ」
そう言ってから、父親の故郷が秋田であったことを思い出した。といっても、父親とは、五歳のとき以来会っていない。両親が離婚して、翔也は母親に引きとられた。父は生活面で問題の多かった人のようで、その後家族とは絶縁状態になり、今はどこにいるのかもわからない。故郷の親類にも見放されたと母は言っていたから、秋田にもいないだろう。
中学生のとき、父を探すために短い家出をしてしまったことがある。そのときの祖父母の悲しみようや、父の分まで愛情を注いでくれた母の嘆きを見て、もう父のことは忘れようと思った。あれから、自分の父親は事故で死んだと思っている。
「そんなに真面目に考えるなよ」
黙った翔也を、串川は迷っていると思ったようだ。
「だいじょうぶ。ほかのなまはげといっしょに騒いでればいい。誰も本物だとは思ってないんだからさ」
それならと、翔也は引き受けることにした。引き受けるにあたって、少しはなまはげについての知識を得ようと、串川に訊いてみたが、串川はほとんど他県の人間と同じ程度の知識しかなかった。結局、スマホでなまはげの動画を見て予習をしていくことになった。
翔也が見た動画のなまはげも、この会場のなまはげと同じセリフを怒鳴っていた。だが、動画を真似て昨夜練習したセリフと、実際会場でなまはげが発する言葉は微妙に違った。やはり、生で聴くのは迫力がある。
イベントは、午前と午後の一回ずつ。二度目は一度目よりも、翔也は迫力あるなまはげを演じられたと思う。やっぱり「いねがー!」とは言えなかったけれど。
二回の出場が終わり、会場の裏手のパーテションで仕切られた部屋で、翔也は衣装を脱いだ。迫力ある演技を見せた男たちも、それぞれ衣装を脱ぎ、鬼のお面を脱ぐと、優しいおじさんの顔になった。
なかでも佐山さんは、格別に笑顔の穏やかな人だった。なまはげに扮したときとは打って変わって、静かな声で話をする。東京で長く暮らし、最近地元に戻ったということで、標準語で話をしてくれるのも有難かった。今回のなまはげグループのリーダーを務める人で、地元の寺の住職ということだった。
アルバイト代を貰い、着替えを済ませ帰ろうとすると、佐山さんから、打ち上げの宴会の誘いを受けた。宴会といってもその後一行はすぐに男鹿に戻るため、デパートの近くにある秋田料理の店で、軽く食事をするだけだという。
ちょうどお腹が減っていたことでもあるし、参加を決めた翔也は、佐山たちといっしょに、なまはげの衣装を入れた段ボール箱を、デパートの搬出口まで運ぶのを手伝うことにした。段ボールは四個口となり、搬出口で待っていた六人乗りのバンに積まれた。佐山さんたちは、そのバンに乗って秋田まで帰るのだという。
デパートを出ることになったとき、翔也は衣装を脱いだ部屋に忘れ物をしたことに気づいた。今日の手荷物は小ぶりのリュックサックだけだったが、その中に、入れたはずのハンドタオルがなかったのだ。翔也は遅れて店に行くことにした。
着替えをした部屋は、すでにパーテションが取り払われ、がらんとした会議室のようになっていた。Pタイルの床のあちこちに、なまはげの衣装から落ちた稲藁が散っている。ドアの向こうから、デパートの店内放送や客のざわめきが聞こえてきた。物産展はデパートの終業時間まで行われるから、まだまだ客足は衰えていないのだろう。
ハンドタオルは、壁に沿って並べられたパイプ椅子の一つに掛けてあった。誰かが拾ってくれたらしい。ハンドタオルをつまみ上げて、リュックサックに入れようとしたとき、部屋の隅で人の動く気配がした。窓の下あたりだ。冬の薄い陽の光が、床にたよりなく当たっている。
「ワッ!」
思わず翔也はのけぞり、リュックサックを落としてしまった。人がしゃがみこんでいる。いや、人じゃない。なまはげだ。
「びっくりさせないでくださいよー!」
相手は立ち上がって、翔也に体を向けた。青いお面をかぶったままだ。どうやらまだ一人残っていたらしい。
「もう、みなさん、打ち上げのお店に向かっちゃいましたよ」
彼も宴会に行くはずだ。翔也はお面の向こうにあるはずの、人間の目に向かって言った。
「‥‥」
「え? なんですか?」
そういえば。翔也はこのなまはげのことを思い出した。イベントの最中、とりわけ大きな声を張り上げ、子供を無闇に怖がらせていたなまはげがいた。ほかのなまはげから、やりすぎだと小声で注意されたのも見たし、デパートの物産展係の店員の誘導にも素直に従っていなかった。
チームで行動するのが苦手なんだな。そのときはそう思ったが、いつまでもこんなところに残っているなんて、いくらなんでも身勝手すぎやしないか。
「いっしょに向かいましょう。店の場所は聞いてますから」
だが、なまはげは嫌々とするように首を振って見せ、そして唸りながら、顔を斜め上に向けてみせた。見ると、後ろの髪の毛が、壁に取り付けられている棚の柱にからまっている。どうやら、それが取れなくて、みんなに遅れてしまったらしい。
すぐさま、翔也はからまった髪の毛をほどいてやった。お面を取ればいいのにと思ったが、追求はしなかった。佐山さんたちの言うことすら素直にきかなかった男だ。自分の言葉に耳を傾けるはずがない。
部屋を出ると、シャリシャリと稲藁のこすれる音をさせて、男は翔也の後ろを歩いてきた。エレベーターに向かう廊下で、ときおり制服を着たデパートの店員たちとすれ違ったが、誰も翔也たちに目を止めない。今日物産展のイベントがあることを、デパートの従業員たちは知っているのだ。
だが、突然こんなモノが現れたら驚かされるだろう。案の定、エレベーターを待っていると、中から出てきた店員の若い女の子に、キャッと叫ばれてしまった。
翔也は男を振り返った。
「その格好のままっていうのはまずいですよ。お店はすぐ近くらしいけど、通りを歩くんですよ」
男の返事はなかった。天井に届きそうな頭を真っすぐ前に向け、肩で息をしている。翔也はあきらめて、点滅しながら下がっていくエレベーターの釦を見つめた。
従業員用のエレベーターのすぐ先が、デパートの出口になっていた。出口の手前にある警備員の部屋からは、なんの咎めも受けなかった。彼らも物産展のイベントの出場者が、衣装を着たまま出ていくと思ったのだろう。イベントの出場者の中には、そんな人もめずらしくないのかもしれない。
表に出ると、空はよく晴れていた。ビル風が冷たい。ダウンジャケットの前を合わせ、
翔也は佐山さんに聞いた道順を思い出しながら、目印となる建物を探した。渋谷や新宿なら道はわかっているが、銀座はよく知らない。
「靴屋の隣を右だって聞いたんだけどな」
大通りの人の出は多かった。明日は大晦日という午後は、歩く人の姿もどこか浮き足だって見える。
婦人靴の店が角にある道を折れるように言われたが、それらしき店は見当たらない。
「やばいな。わかんないよ」
翔也は顔を上げて周りの建物を見渡した。銀座は、飲食店の看板ばかりが目をひく。
そのとき、前から歩いてきた学生のらしき一団の中から、声が上った。
「なまはげだぞ!」
「でっけえなあ、やっぱり」
そう言いながら、一団の一人がポケットからスマホを取り出す。写真を撮るつもりらしい。
「すげえ。本物?」
笑える。なまはげに本物も何もない。中身は人間に決まっているんだから。
「いいですか? いっしょに」
一団の中の女の子が声を上げ、仲間らしき男たちも「俺も入れて」と寄ってきた。
翔也は立ち止まって、彼らが写真を撮り終えるのを待とうと思った。めずらしいものを見かけて写真を撮りたい気持ちは、よくわかる。
ところが、スマホを向けたときだ。なまはげに扮した男が、唸り声を上げた。
「ウオオオォ!」
それは、まるで地の底から響いてくるかのような深く重い声だった。女の子は驚いて立ちすくみ、周りの仲間の男たちも言葉をなくした。
翔也は反射的になまはげに扮した男の手を引っ張って賭け出した。幾人もの見知らぬ肩にぶつかりながら、翔也はとにかくその場を離れるために走った。
大通りを避けて、脇の路地に入った。どこかの店の裏側のようで、そこだけひっそりとした空間になっている。
「一体、どうしたんですか?」
「……」
男は突っ立っているが、表情はわからない。青いお面はこちらを睨んだままだ。
「もうイベントは終わってるんですよ。あんなふうに通行人を脅すなんて……」
こんなことなら、ハンドタオルなど取りに行かないで、佐山さんたちといっしょに店へ向かえばよかったと思う。
「いつまでもそんな格好をしてるのって、おかしいですよ」
すると男は、ウウゥと唸ってから、言った。
「おめ、どさ行ぐ」
何を言われたのかわからなかった。すると男は、ふたたび同じ言葉を繰り返した。二度聞くと、なんとなく言わんとすることが伝わってくる。
「どこへ行くかってことですか?」
男は深く頷く。
「イベントの打ち上げの店に向かってるんですよ。佐山さんたちが待ってるから」
男は即座に首を横に振った。
「山にいねば、なんね。わらしだば、おじょかへねばな」
「はっ?」
山とわらしの言葉の意味はわかった。いねばというのは、行かなければならないという意味だろう。佐山さんたちが話していたことを思い出した。今夜、彼らは男鹿の町に戻って、ふたたびなまはげに扮するという。男鹿の大晦日には、必ず行われる行事らしい。
男は今夜、子どもたちを脅かさなければならないと言っているのだろう。
「わかりました。とにかく佐山さんたちと合流しましょう」
早くこの奇妙な男を、佐山さんに返したい。翔也は強く思った。ところが、男は大きな体を揺すって首を横に振る。
「山にいねば、なんね」
「そんなこと言われたって……」
辺りを見渡した。道はすっかりわからなくなってしまった。佐山さんの携帯電話の番号を知らないことが悔やまれる。店の名前もうろ覚えだ。もう、合流することは諦めるしかない。だが、この男をどうするか。
「山にいねば、なんね」
声は懇願する調子に変わっている。
「男鹿に戻るっていうんですね? これから、すぐ」
男は深く頷いて、そして鬼の顔で翔也を見下ろした。
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