リラとシグネス川
ふたりは、シグネス川にかける橋梁の工事現場へと辿り着いた。
シグネス川は国境沿いともあり、川幅が数十メートルはあるというとても大きな河川だった。
作業員たちはリラに気づくと、誰しも手を止めて嬉しそうに挨拶をした。
「リラちゃん、久しぶりだね。」
「リラちゃん、今日も可愛いね。」
リラはここでも大人気であった。
この現場はリラの管理ではないものの、気の利くリラは作業員を労うために菓子や飲み物の差し入れを行ったり、年に二回は慰労会を主催していた。
リラからすれば領主の娘として当然の行動なのであった。
この橋梁はアベリア国とアクイラ国の共同出資しで建設されている。
言わば友好の証なのだ。
そんな一大プロジェクトを成功させるには、優秀な建築家に、優秀な役人もさることながら、まず現場の作業員の士気を高める必要があった。
シグネス川沿いに領地のあるアリエス伯爵家はアベリア国皇から直々にこの建設の現場責任者のひとりとして任されていた。
たとえルーカスが担当だからといって、アリエス家の長女としてただ傍観しているだけではいられない。
自分ができることは何かと考えた結果が、細やかな差し入れや慰労会であった。
けれど、それはリラの狙い以上に現場の士気は高まり工事は予定より順調に進められていた。
そんな気配り上手で愛らしいリラは、この男だらけの作業場ではアイドル宛らだった。
「皆様、今日もお疲れ様です。」
リラはひとりひとりに丁寧に挨拶していた。
皆、リラの笑顔に今までの疲れが吹き飛ぶように嬉しそうにだらっとした笑顔を浮かべていた。
そんなリラの突然の訪問を聞きつけアクイラ国の現場主任が乙女のような笑顔を振りまいて駆けつけるのだった。
現場主任はネロベルク伯爵家の長男であるサム・ネロベルクであった。
ネロベルク伯爵が納めるネロベルク領はシグネス川を挟んでアリエス領とちょうど反対側にあるのだった。
今回の橋梁建設に伴い両家は交流を深めており、サムもまたリラを大変気に入っていた。
「リラちゃん。ようこそおいでくださいました。」
サムはリラに夢中なようで、背後にいるクライヴに全く気づいていない様子だった。
「ささ、管理小屋でお茶でもお出ししますよ♪」
サムは然も当然のようにリラの腰に手を回そうすると、その手をぐいっと掴まれた。
「リラに触るな。」
クライヴはリラの前に立ち、突き刺すような冷淡な紅い瞳でサムを睨みつけた。
「殿下!!も、申し訳ございません。これはその挨拶と言いますか。」
「忠告した筈だ。」
サムは予想外のクライヴの登場とクライヴのあまりにも恐ろしい形相に心臓が止まりそうなほどに驚き、思わず尻餅をつき身震いした。
サムは以前から器量もよく賢く、さらに気配りができるリラを大変気に入っていた。
クライヴからリラに手を出すなと忠告は受けていたが、婚約というのは早い者勝ちである。
以前からアリエス伯爵に話を持ち掛けても良い返事がないため、リラから出し抜こうと思っていた矢先であった。
リラはクライヴのあまりの形相と脂汗をかくサムが哀れになり咄嗟にクライヴの腕を掴んだ。
「クライヴ様。サム様も悪気はございませんわ。」
リラがクライヴにそういうと、クライヴはサムから視線を晒した。
サムはリラの行動に安堵していると、その左手の薬指にキラリと輝く大粒のダイヤがついた指輪が目に入った。
「殿下。リラ嬢とご婚約されたのですか。」
「ああ。」
サムは目を丸くしてそう尋ねると、クライヴは平然と答えた。
実際はまだ婚約していないが、リラも同意しており今日にはアリエス伯爵のサインをもらうのだ。
クライヴにとっては婚約したも同然なのであった。
一方出し抜かれたサムは悔しさ露わに、奥歯を噛み締めた。
「リラちゃん!!殿下の面会の要請をあれほど断っていたのに、どうしてなんだ!?」
「え、どういうことですか…?」
リラはサムの話の意味がわからず困惑した。
クライヴから面会の要請が届いていた事実など聞いたことがなかった。
さすがのリラでも一国の皇子からの要請があれば、断る選択肢などはない。
けれど、父であるアリエス伯爵からも兄のルーカスからもそのような話は一度も聞いた覚えがなかった。
「いや。それは彼の勘違いさ。リラが俺に逢ってくれるまで、待つつもりだったから…。」
クライヴはふわりと笑うとリラの顎を持ち上げ甘く口付けをした。
★ ★ ★
クライヴ・レオ・アクイラはアクイラ国の第一皇子として産まれた。
クライヴの母である、アクイラ皇后のリリア・レオ・アクイラは傾国の美女と称されるほどの美貌を持ち主で、その容姿はクライヴと同じ漆黒の長い髪に藤色の瞳をしていた。
クライヴの父であるアクイラ国皇ことカイル・レオ・アクイラは自身の成人を祝う夜会でリリアに一目惚れした。
しかし、カイルが求婚したときには、既にリリアは幼馴染と婚約していた。
しかし権力に物を言わせて無理矢理にリリアを皇后に迎えたそうだ。
このクライヴの些か強引なところは父譲りなのだろう。
リリアは当初かなりカイルに溺愛されていた。
リリアが欲しいものは全て買い与え、リリアが望むままに贅沢な夜会や茶会も惜しみなく開いた。
そんなふたりの間に産まれたのが、クライヴであった。
母譲りの漆黒の髪に、誰に似たのか紅い瞳をしている男児だった。
カイルは黄金色の綺麗な髪に、光輝く黄金色の瞳をしていた。
紅い瞳の男児などふたりの間に産まれるわけがない、カイルがそう思い自分の子である筈がないと激怒した。
リリアは間違いなくふたりの子だと主張するも受け入られることがなく月日が流れた。
ちょうどクライヴが一歳を迎えたときだろうか。
皇族出生を調査していた役人が五代前の国皇がクライヴと同じ紅い瞳だったという記録をみつけ、リリアの汚名は晴らされた。
けれど、一度入ったふたりの亀裂はなかなか修復することはなかった。
暫くすると、リリアは自分に愛想がなくなったカイルに見せつけるように、気に入った騎士を何人か自室に招き入れていれ、ワインを酌み交わすようになった。
そんな母の姿を見てきた幼いクライヴにとって女性とは卑しい生き物だ、と偏見を抱くようになった。
成長するにつれ、自分の容姿が母のように美しくなることが疎ましかった。
自分の美貌と地位に群がる令嬢たちは、皆、顔のことばかり褒め、猫撫で声で近づいてくるのだった。
決定的に苦手になったのは、クライヴの十八歳の誕生を祝う宴でのことだ。
クライヴが一度現れると、令嬢たちが群がり割れ先に挨拶をしようとドレスを引っ張り合い喧嘩しているのだった。
その喧嘩は壮絶で綺麗に結い上げられた髪やドレスは乱れ、更にその場に倒れ込む令嬢もいる始末だった。
思わずクライヴはそんな乱闘紛いの中で倒れ込む令嬢に手を差し出すと、その腕をがっしり掴まれて全く放してもらえず、令嬢は自分が見染められたと高笑いするのだった。
そんな悍ましい光景に護衛騎士は慌てて駆け寄ると、令嬢たちから真っ蒼なクライヴを引き離し退場を余儀なくさせたのだった。
自身の誕生を祝うための宴なのに開始たった五分で退場など、アクイラ国始まって以来の珍事であった。
この件がクライヴには壮絶なトラウマとなり、以後夜会や茶会に参加する際は皇子の周りに三人の護衛が着くようになった。
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