リラとアリエス領
翌日の夕刻、馬車は予定通りアリエス伯爵邸に到着した。
ふたりが屋敷に入るとリラの父であるアリエス伯爵ことチャールズ・アリエスとリラの兄であるルーカス・アリエスが玄関ホールで待っていた。
チャールズは、見るからに穏やかそうな五十過ぎの白髪混じりの男性で、いつもよりも背筋を伸ばし緊張した面持ちでふたりを出迎えた。
「クライヴ様。ようこそおいでくださいました。」
チャールズはクライヴに挨拶した。
予想通り、クライヴとチャールズはお互いに面識があり、さらにお互いをファーストネームで呼ぶくらいに既に仲が良かった。
「お久しぶりです。チャールズ殿。」
クライヴは笑顔で手を差し出し、チャールズはその手をそっと握り締めた。
「今日はもう遅いですし、旅の疲れもあるでしょう。晩餐の準備がもうすぐ整います。それまでゆっくりなさってください。私は仕事があるので暫し失礼しますね。リラ、クライヴ様をお部屋へ案内なさい。」
チャールズはそういうと奥へと下がっていった。
そんなチャールズの後ろ姿を見ながら、視線の端でにやにやしている男がちらついた。
ルーカスだ。
「リラ、しっかり案内するんだぞ。」
ルーカスは、ニヤニヤしながら含みのある言い方をした。
リラは、そんなルーカスをキッと睨みつけた。
ルーカスはふたりの仲を十二分に知っているのだ。
揶揄われるに決まっている。
なんとか余計なことを言われる前に、この場を離れなければならない。
「わかってますわ。さ、クライヴ様、行きましょう。」
リラは、そう言うとクライヴの手を引いて二階の客間に向かった。
「お熱いことで。」
そんなふたりの後ろ姿を見て、ルーカスはそう呟いた。
☆ ☆ ☆
翌朝。
朝食の席にチャールズの姿はなかった。
執事曰く、何やら急ぎの仕事があるらしく外出しているようだった。
リラとクライヴは、無理を言って訪ねてきたのだ。
予定がつかないのも仕方がないのだろう。
「リラ、せっかくならクライヴ様に街を案内したらどうだ。」
ルーカスは、やはりニヤニヤしていた。
チャールズが帰宅するのは夕方になるらしい。
まだ婚約証書にサインはおろか婚約について話せてもいなかった。
昨夜の晩餐後は、チャールズは仕事が残っているとのことですぐ部屋に戻ってしまったのだった。
しかし、ルーカスにそんなことを言われずとも今日は元々クライヴと街に出るつもりではあった。
クライヴに街を案内したいのもあるが、クライヴがどうやってリラを知ったのか、その答えも気になるのだ。
「わ、わかってますわ。」
「おお、それはそれは。」
リラは、このルーカスの含み笑いが気になり、ムッとした表情で返事をした。
なんとか領内を巡るついでにルーカスの弱みを仕入れられないかとさえ思ってしまうのだった。
ふたりは馬車に乗り込んだ。
「クライヴ様は、どのようなところに行きたいですか。皇都のように華やかなものなどございませんが、景色が綺麗な高台などありますよ。」
リラは頭を捻りながら、クライヴと何処を巡ろうか思案した。
アリエス領は牧羊が盛んな田舎街だ。
人よりも羊の数の方が圧倒的に多いだろう。
クライヴが興味があるワイン工房はおろか、葡萄農園はなかった。
その代わりに自然豊かで景色はよく、牧羊が盛んなおかげで肉やチーズの名産も揃っていた。
「それもいいが、普段のリラが見てみたいな。」
リラは目をパチクリさせた。
「普段のというのは…?」
「領地ではどのように過ごしているかが知りたいんだ。」
以前、クライヴに領地での日課は牧羊地を視察と話していた。
そんな大して面白くもないものが見たいのだろうか。
「わ、わかりました。もし途中で何か気になるものがございましたら教えてください。」
そう言うと、リラは御者に行き先を伝えた。
リラは屋敷から一番離れた牧羊地を訪れた。
リラは屋敷から離れた牧羊地から順に巡るのがいつものコースであった。
「こんにちは、ハンナさん!」
そう言ってリラは羊小屋に入って行った。
ハンナと呼ばれた女性は忙しなく羊の餌を準備していた。
「あら、リラちゃん。それにデイビッドさんじゃないか。」
(デイビッド…!?)
ハンナはなぜかクライヴの顔を見てデイビッドというのだった。
リラは驚きクライヴの顔を見るも、人差し指を口の前に立てていた。
何やら素性を偽っているようだった。
ハンナは目の前にいるのが隣国の皇子だと全く知らない様子で、街のお兄さんと世間話をしているように気安い態度だった。
「ほらー、エドガー、マルク、リラちゃんとデイビッドさんに挨拶しなさい。」
ハンナが呼ぶと奥から小さな男の子がふたり駆けてきて、そのままリラに抱きついた。
「リラ、おかえりー。早かったねー。」
エドガーは不思議そうな顔でそう言った。
エドガーがそう感じるのも無理はなかった。
リラは冬季休みのときに、次に会えるのは春だと伝えていた。
それが、わずか三週間程度で帰ってきたのだから驚きだろう。
「デイビッド、久しぶり。」
「ああ。久しぶり。」
リラは一瞬、皇子にタメ口などと不敬ではないかとひやりとしたが、クライヴはひとつも気にした様子はなかった。
「それより、リラちゃん!デイビッドさん、リラちゃんに一目惚れしたとか言ってちょこちょこうちに来てリラちゃんのこと聞いてったのよー。もう、こんな良い男捕まえてるなら、さっさと教えなさいよ。」
ハンナは、そう言ってリラの脇腹を肘で小突くのだった。
リラはその言葉に頬を紅く染めながら、なぜ自分が一斎そのことを知らないのかと疑問を感じた。
「そ、そうなんですね。そんな話、私、初めて聞いたのですが…。」
「あー。そうだったね。えーっと。ルーカス様がリラちゃんには黙ってくれとおっしゃってましたので。」
(あの野郎…!!)
リラは拳を強く握り締めた。
「あはは。リラちゃんはサプライズが好きだからっておっしゃってましたよ。」
(そんなわけあるか!)
そう突っ込みたいがハンナに言ったところどうしようもない。
リラは仕方なく愛想笑いをした。
「今日のリラ、綺麗!」
今度はスカートの裾を引っ張ってマルクがそういうのだった。
牧羊地に訪れるときは大抵、茶色のワンピースにブーツといった伯爵令嬢とはとても思えない町娘のような格好だった。
「え、えっと、今日はデイビッド様をご案内しているからよ。」
「ふーん。リラ、馬乗せて。」
「俺も乗りたい。」
エドガーとマルクはいつも調子でリラにお願いした。
リラは牧羊地を巡るだけならと普段ひとりで馬に乗りでかけることが多かったのだ。
だが今日は違った。クライヴを街に案内すると言うことで多少めかし込んで馬車で移動しているのだった。
「えっと…。今日は馬車なの。」
「なんで、馬車は面倒っていつも言ってたよ。」
リラは困った。
クライヴには町娘のような格好で馬にひとりで乗ってでかけているとまでは話していなかった。
こんなことが明るみになっては、さすがに淑女あるまじきと退かれてしまうのではと思い隠していたのだ。
「えっと。でも、今日は馬車だから、今度ね。」
リラが恥じらっていると、ハンナが強請る息子たちを諭すように叱るのだった。
「そうよ!リラちゃんを困らせないの。」
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