クライヴと観劇(後編)

 リラとクライヴは誰もいない階段を上り、一等客用のボックス席へと案内された。

 そこは舞台正面の特等席であり、悠々と舞台を見渡せる贅沢な部屋だった。


 部屋の装飾も一等席というだけあり豪奢で、大きな紅いビロードのふかふかのソファが中央に配置され、サイドテーブルには冷えたスパークリングワインが待っていた。


 ソファに座ると舞台以外の他の観客などは一斎目に入らない作りになっており、まるでふたりのためだけに上演されたかのようだった。


 リラはその豪華さに心が躍った。


 レベッカの一件があり、開演も遅れていたようで、劇は始まってまだ数分といったところだった。


 ふたりは物音を立てないように静かにソファに腰掛けると、従業員からスパークリングワインを受け取り小さく乾杯をした。


 従業員がその場から退室すると、ふたりはどちらともなく口付けを交わし、仲睦まじく手を握りながら観賞するのだった。


☆  ☆ ☆


 揺れる馬車の中でロイドは何も語らず頬杖をつきながら車窓を眺めていた。

 陽はとっぷりくれているが、時刻はまだ然程遅くもないため、行き交う人の楽しそうな笑い声も聞こえた。


 ロイドはリラの様々な表情を思い出していた。

 あんなに心を乱すリラを見たのは初めてだった。


 クライヴの声に慌てて駆けていくリラ。


 クライヴがレベッカに腕を掴まれ、悲痛に泣きじゃくるリラ。


 クライヴが迎えに来ると駆け寄り抱きしめるリラ。


(あんな光景を目の当たりににしては、ふたりの仲を割くことなど誰ができるだろう。もう敵わないな…。)


 そう痛感したのだった。


 しかし、ロイドに不思議と未練はなかった。


 常に平常心で余裕に満ちたあのクライヴがリラの涙で、あんなにも感情を露わに悲痛な表情を浮かべるとは思わなかった。

 クライヴもまたリラを深く愛していることが痛いほどに感じられた。


(愛した人が愛する人と幸せになることも悪くない…。)


 誰しもに綺麗事だと言われそうだが、ロイドは素直にそう思えたのだ。


「ロイド様。よろしかったのでしょうか。」


 ロイドがそんな感傷に浸るのを壊すように、レナルドは恐る恐る尋ねた。

 レナルドからすると、この妙に落ち着いたロイドがやけに不気味だった。


 元はと言えば、あのチケットはリラとロイドがふたりきりで観るために準備したものだ。

 それをロイドは容易くクライヴに渡してしまったのだ。


 ロイドはつい先程までリラを奪還するべくと息巻いていたというのに、これではふたりの恋路に白旗をあげたどころか、応援しているようにも見えた。


 レナルドは側近として、ロイドの意思を明確に知る必要があった。

 けれど、万が一にもロイドがまだリラとの恋路を諦めていないと言われても、打つてがないとしか言えないだろう。


「何がだ。」


 ロイドは相変わらず車窓を眺めながら不機嫌そうに答えた。


「チケットですよ。」


 レナルドは渋々そう答えた。


「どちらにしろ、我々が今日観ることは叶わない。」


「まあ、そうですが…。」


 ロイドの返答は最もだ。


 公衆の面前で国賓に不敬を働いた罪人を目の当たりにしたのにも関わらず、その移送は皇室警備隊に任せ、自分らはシャンパン片手に観劇など虫が良すぎる話だ。


 そんなことすれば、国皇やロイドの兄皇子に呼び出されることは明白であった。


(まあ、今日は仕方がないのか…。)


 レナルドがそう思っているとロイドから思わぬことを言葉が飛び出した。


「今度、クライヴ殿下に良い女の落とし方でも聞きに行くか。」


「ははは。それはいいですね。」


 そんな話をしながら馬車は皇城へと向かっていった。


☆  ☆ ☆


 観劇が終わると、ふたりは暫く席で会場の客が退場するのを待っていた。


 先ほどの騒ぎもあるが、ただでさえクライヴは目立つのだ。

 できれば、場内の客が少なくなるのを待ち一目は避けてから帰宅しよう、そう考えたのだった。


 トントンッ。


 暫くすると、ノックの音と共にデイビッドがアビーとクリスティーヌを連れて入ってきた。


「アビー様、クリスティーヌ様。」


 リラは笑顔でふたりを迎え入れた。

 リラは席に着く前に従業員に劇が終わったら、ふたりを呼ぶようにお願いしたのだった。


「もう!リラ様!ほんっとに心配したんですよ!」


「でも、リラ様。お元気そうなお顔で安心しましたわ。」


 そう言ってふたりは、飛び込んできた。


「本当に、ご心配かけして申し訳ございません。」


 リラはふたりに謝っていると、リラの隣にすっとクライヴが立ち深々と頭を下げた。


「すまない。俺のせいで、リラにもおふたりにも多大な迷惑をかけた。」


 その行動にアビーもクリスティーヌも慌てて、手を大きく振った。

 一国の皇子が頭を下げるなど、そんな行動に気後れしたのだろう。


「え、いえ、アクイラ国皇子。そんな。頭をあげてください。」


「そ、そうです。リラ様もお元気になられましたし、大丈夫です。」


 クライヴはその言葉を聞くとようやく頭を上げにこやかに微笑んだ。


「ありがとう。」


 ふたりは美貌の皇子の破格の笑顔にドキリッとしたものの、親友の大切な人に絆されてはならないと慌てて首を横に振るのだった。


「リ、リラ様!おふたりがどのような経緯でこうなったのか、後でちゃんと説明してくださいね。」


「はい。ふたりには色々お話しなければなりませんね。」


 アビーがそう言うと、リラはふたりに恥じらいながらも笑顔でそう答えた。

 リラは自分のことを話すのは不得手だが、大親友であるふたりにクライヴのことを隠したままでいるのは心居た堪れなかった。


 アビーはその返事にニヤリッと笑うと意地悪く尋ねた。


「では、明日でよろしいですか。」


 アビーとしては、今すぐにでもリラに根掘り葉掘り訊きたいくらいだが、時刻ももう遅いため、今日は帰宅するのが妥当と考えたのだろう。


「明日ですか…。」


 リラはそう呟くと、クライヴの顔を潤んだ瞳で伺った。

 一応、毎日クライヴの元に通い仕事の手伝いを行なっているのだ。


 今日は観劇でお休みしてしまったため明日も休むのは申し訳ないと言うもあるが、明日もクライヴと一緒にいたいが、ふたりにもこの状況を説明しなければならいと思い悩んだのだった。


「ああ。明日は、今日の聴取で忙しいだろうから、逢うのは難しいだろう。ちょうどいいのではないだろうか。」


「そうですか…。」


 リラはその言葉を聞き、明日はクライヴに逢えないのかと寂しさから俯き顔を曇らせた。


「それなら、今日は泊まっていくか。」


 クライヴはリラの表情を察し、ニヤリと笑うとそう告げた。

 リラはその言葉に途端に頬を紅らめ身体が熱くなっていくのを感じた。


「ルーカスも問題ないと言っていただろう。朝まで一緒にいよう。」


 クライヴはそう言うとアビーとクリスティーヌが目の前にいるにも関わらずリラの顳顬にいつものように口付けをした。


「え、え…。」


 リラは益々のぼせ上がる頬を両手で押さえ言葉を詰まらせた。


「お、お取り込み中申し訳ございません。リラ様、明日でよろしいですね。お昼過ぎにお伺いしますからね。」


 アビーは堪らなくなって慌てて口を挟んだ。

 このまま、甘い雰囲気を見せつけられては、見ている方が恥ずかしくて仕方がなかった。


「わ、わかりました。お待ちしております。」


「では、私たちはこちらで失礼させていただきますね。」」


 リラが返事をするとふたりは、そそくさと退席した。

 そんなふたりの後ろ姿を見てリラは呆気に取られていたが、クライヴはくすくすと笑っていた。

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