クライヴのお願い

 翌日の昼食。

 昨日と同じく五人で昼食を取ることとなり、中庭のテーブルの席についた。


「ロイド様、アビー様。私も週末も観劇に参加できるようになりました。」


 リラは席に着くやいなや、保留にしていた返答をすると一同の顔が綻んだ。


「まあ!良かったわ!リラ様がいっらしゃってくださるなんて、とっても嬉しいです。」


 隣に座るアビーは満面の笑みで、リラの手を握り喜んび、リラもつられて笑顔になった。


 学園を卒業したら、こうやって皆と何の気なしに出かけることはおろか、顔を合わすこともできなくなるのだ。


 リラは、あんなにも早く領地に戻り手伝いたいと思っていたのが、嘘のように寂しく思えた。


 リラは、残り少ない学園生活が名残惜しく少しでも楽しみたいと、リラは素直にそう思えたのだった。


「ところで、レナルド様。その、レベッカ様はお誘いしたのでしょうか。」


 リラは正面に座るレナルドに、恐る恐る尋ねた。


 アビーとクリスティーヌにも緊張が走った。


 レベッカは同じく卒業を控えた三年生、それにロイドの婚約者候補でもある。

 筋を通すならば、レベッカを誘うべきなのだろう。


 それは重々理解しているが何せ苦手なものは苦手なのだ。

 できれば来てほしくない、それが皆の本心だった。


 けれど、普段のレベッカを見る限りロイドが行くというならば二つ返事で来るだろう。

 レベッカとはそういう人物だった。


 リラ・アビー・クリスティーヌの三人はそう予想していた。


「一応、昨夕にお声がけしましたら、断られました。」


 レナルドは一口紅茶を啜ると、何事もなかったかのように、ケロッと答えた。


「「「え?」」」


 三人は、予想外の返答に、驚きのあまり間が抜けたような返事をしてしまった。


「ああ。私もレナルドから、昨夜、聞かされたときは大変驚いたよ。けれど、レナルド曰く、レベッカは予定があるとかで断ったそうだ。」


 ロイドは、そう付け加えた。


「はい。何やら、大事な食事会があるとのことでした。」


「そう、なんですか…。それなら、仕方がないですね。私たちで楽しみましょう。」


 リラはレナルドの言葉を受け、レベッカの行動に疑問を抱きながらもそう答えた。


 リラたちが知っているレベッカなら、それでも食い下がらず、予定をずらように申し出そうなものだ。


 けれど、ロイドとレナルドの様子からすると、そのような苦労はなさそうだった。


 レベッカがロイドとの観劇に見向きもしなくなるほどの『大事な食事会』とは一体何なのか。


 少しばかり気はなるが、ここで掘り下げても碌なことがないだろう。


 それから、皆は観劇の題材となった小説の話をしながら、終始和やかなひと時を楽しんだ。


☆ ☆ ☆


 観劇前日。


 今日もリラは、クライヴの手伝いに訪れていた。

 明日は待ちに待った観劇とのことで、リラは終始ご機嫌で鼻歌混じりに書類を確認していた。


 昼食時にレナルドから二階にある一等のボックス席を二つ手配したと聞かされ、リラとアビーにクリスティーヌは目を丸くして大喜びだった。


 一等のボックス席は値段もさることながら、上流貴族しか購入することを許されない超一流の特等席なのだ。


 リラたちのような中流貴族には縁のない席ではあるが、憧れはする。


 そんな席を最も容易く手配できてしまうなんて、流石は皇族といったところだ。


 劇の内容にももちろん興味関心はあるが、一等のボックス席とはどんなところなのだろうか。

 リラは、明日の観劇が楽しみで仕方がなかった。


「何か、いいことあったの?」


 クライヴは執務机に座ったまま、少し離れた机で作業するリラに尋ねた。


「は、はい!」


 リラは顔を上げて慌てて返事をした。

 明日のことばかり考えていて、クライヴの話を聞いていなかったのだ。


「鼻歌を歌っているから。」


 クライヴはクスリッと笑って書類に目を通しながら答えた。


「あ。すいません。うるさかったですか。」


 リラは、自分でも気が付かないうちに鼻歌を歌っていた事実に驚き頬を紅らめた。


「いや、何があったのか知りたくて。」


 クライヴは全く気にせずに、穏やかに尋ねた。


「明日の観劇が楽しみで…。」


 リラは照れながらそう答えると、クライヴは静かにペンを置くと頬杖を付き意地悪く笑った。


「妬けちゃうな。やっぱり、ダメって言おうかな。」


「もう、そんなこと言わないでください!」


 リラは慌てて席を立ち、クライヴのご機嫌を取ろうと駆け寄った。


 リラがクライヴの隣に来ると、クライヴは当たり前のようにリラの腕を引き、膝に座らせられた。


 リラはこうなることは幾分か予想はしていたが、いつまでも慣れることはできず恥ずかしかった。


 クライヴの体温が直に感じられ、甘い薔薇の香りが全身を包み込み、リラを蕩していった。


「明日は、逢えないのか…。」


 クライヴは、寂しいそうに、澄んだ紅い瞳でリラを見つめた。


 その言葉にリラは、胸がちくりと痛かった。


(確かに明日はクライヴ様とお逢いできませんわ。)


 リラは今更その事実に気づき、寂しい気持ちで溢れ、堪らずクライヴに触れたくなり、その頬に優しく手を添えた。


 クライヴは目を細めリラの手を上から自身の手を重ねると、その手を持ち掌に優しく口付けた。


 それから、今度は親指、人差し指と、一本一本丁寧に口付けしていった。


 リラは、それをうっとりと青緑の大きな瞳を潤ませながら眺めていた。


 クライヴが小指まで口付けを終えると、リラの腕を自身の肩に回した。


「今日は、リラから口付けして…。」


 クライヴは、情欲に満ちた紅い瞳で真っ直ぐリラを見つめた。


「え?」


 その言葉にリラは身体中が熱くなった。

 今まで一度だって自分から口付けなどしたことがなかった。


 また、誰に言われたわけでもないが、女性からの口付けなど淑女として恥ずべき行動なのかさえ思え躊躇っていた。


 もし、それが許されたとしても自分から行なんて、とても恥ずかしくて行うことができない。


 それに、リラは、クライヴからの口付けを受け止めるだけでも未だに精一杯なのだ。

 それなのに、自分からなどどうすればできるだろうか。


 けれど、愛しいクライヴからの、この甘いお願いを無碍にすることもできなかった。


「嫌?」


 リラが口篭っている姿を察したのかクライヴは、そう尋ねてた。

 リラは、終始戸惑っているが、もちろん嫌ではなかった。


 ただ、あと一歩のところで、なかなか勇気がでないのだ。


「明日、逢えないから、お願い…。」


 そんなクライヴからの砂糖よりも甘いお願いに、リラは断れる筈もなく、今にも張り裂けそうな心臓を感じながら、そっとクライヴに口付けをした。

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