リラのお願い

「えっと…。とても魅力的なお話だと思うんですが、一度、帰宅して予定を確認してからでも、よろしいでしょうか…。」


 リラは、困惑した表情を浮かべ歯切れの悪い返事をした。


 昨日、ロイドとレナルドには、クライヴの事業を手伝っていることを話したばかりだった。

 加えて、帰り際にはロイドにリラとクライヴが恋人関係であることを告げていた。

 素直にクライヴの名前を出し確認したいと説明すればいいのだろう。


 しかし、リラは親友であるアビーとクリスティーヌに未だクライヴとの関係を伝えていなかった。


 ふたりには決して秘密にしたいわけではなかった。

 ふたりになら正直に話すべきだとも思えた。


 けれど、『恋人』という不明確で何の効力もない関係をふたりに話すなど、とても恥ずかしくて伝えることができないでいた。


 そのため、ここでクライヴの名前を出すのは躊躇われ、このように歯切れの悪い返事となってしまったのだった。


 今日も授業終わりにクライヴに逢いに行く予定だ。

 曲がりなりにも、ここ数日間クライヴの元に通っているのは仕事のためだ。

 一度、クライヴに相談するのが筋だろう。


 観劇は週末であり、まだ二、三日は余裕はある。

 明日、参加の可否を伝えても問題ないだろうと、リラは考えた。




 ロイドはリラの歯切れの悪い返事に冷や汗をかいていた。


 もちろん、ロイドは察していた。

 リラの懸念はクライヴだろう。


 しかし、ロイドにはクライヴがリラの申し出に了承するか、棄却するか、はたまた全く違う提案をするか、検討がつかなかった。


(参加してくれればいいが…。)


 ロイドは、ただただそう思う他なかった。




「リラ様も是非行きましょう!凄い話題の演目なんですよ。リラ様も以前お読みになっていた恋愛小説が題材だったかと思いますよ!」


 そんなリラとロイドの心中を全く察しもせず、アビーは大興奮だった。


「ええ。私も皆様と是非ご一緒したいと思っております。けれど、予定の確認だけさせてください。明日、お返事させていただいても、よろしいでしょうか。」


 リラは、ドキドキしながら務めて笑顔で、ロイドに尋ねた。


 リラだって、本心では皆と観劇に行きたかった。

 リラも週末の演目が自分の好みであることは重々承知していた。

 ただ、リラの生真面目な性格故に、このままでクライヴへの確認もなく承諾することはできなかった。


「(リラ嬢は前向きには検討しているようだ。今日はところは、これで引き下がるしかないのだろう。)ああ、もちろんだ…。」


 ロイドはそう思い努めて笑顔で頷いた。




 リラは小く呼吸を整えると、不意に脳裏にある女性が浮かび眉間を顰めた。


 レベッカだった。


 レベッカはロイドの婚約者候補で、常日頃からリラを目の敵にしている。

 ここでレベッカを誘いもせず、ロイドと共に大層人気なデートスポットに出掛けるなど憚られた。


 リラはこの和やかな雰囲気を壊したくないと思いながらも恐る恐る尋ねた。


「…ちなみになのですが、レベッカ様はお呼びにならないのでしょうか。」


 リラの言葉に、皆はハッとしたような表情を浮かべ、特にアビーとクリスティーヌは、明らかに表情が次第に曇っていった。


 ふたりもリラと同じようにレベッカを好ましく思っているわけではなく、どちらかというと苦手だった。

 だが、レベッカがロイドの婚約者候補であることも事実であった。


 もし、レベッカに一声でもかけないまま皆で観劇に行けば、リラがまたどのような風潮をされるだろうか。


『私は婚約者候補ですわ。一言くらい声をかけるなど、頭が働かないのかしら。これかだから、片田舎の領土しか納められないのよ。』


『伯爵家の分際で、侯爵家を差し置いて、ロイド様と易々とお出かけになるとは、何とも身の程知らずななのかしら。』


 そんなことを皆の前でリラに追及するレベッカの姿が容易く目に浮かぶことができた。




 ロイドとレナルドはリラの言葉に思わず顔を見合わせた。


((確かに…。))


 リラを誘うことに必死になり、レベッカという思わぬ落とし穴を忘れていたのだった。


 これでは計画を大幅に練り直さなければならない。

 ふたりの目論みでは、何とかしてリラの隣にロイドが座ろうと思っていた。


 しかし、レベッカが参加するとなれば、皆はロイドの隣はレベッカを勧めるだろう。


(できれば、誘いたくない…。)


 ロイドの心に黒い靄が広がり表情が曇っていった。

 ふたりもまたレベッカが苦手であったが、それでこの話が破談にすることもできなかった。


「一応、私からお伺いしてみます。」


 レナルドは仕方なくレベッカに声をかけることを約束した。


☆ ☆ ☆


 リラはクライヴとの晩餐後。

 ふたりはサロンに場所を移し、クライヴが隣に座るとリラは緊張しながら例の話を切り出した。


「あの、クライヴ様。少しお願いがあるのですが、よろしいでしょうか。」


「どうした。」


「えっと。今日、皆で昼食をいただいているときに、卒業までの思い出作りにと、観劇に誘われました。もしよろしければ、そ、その週末の手伝いはお休みしてもよろしいでしょうか…。」


 クライヴは、何かとロイドを気にかけていた。


 リラは、思わず『皆で』とぼやかしてしまったが、その中にロイドも含まれている。

 その事実を隠したまま話を進めていいのだろうか。

 リラは少し後ろ暗い気持ちになった。


 けれど、正直にロイドも参加する旨を伝えたら、観劇を反対されないだろうか。


 リラの脳裏に、アビーが観劇を楽しそうに話していた姿が浮かんだ。


「そう…。いってらっしゃい。」


 クライヴはその話を聞くと、一瞬、考え込むよう素振りを見せつつも、にこやかに了承をした。

 リラはその表情を見ると一瞬にして目を輝かせて喜んだ。


 しかし、やはりロイドがいることについて正直に伝えていないことが気になり次第に表情が曇っていった。


「あの…。そ、それで、実は、その皆でという中にロイド様もいらっしゃるのですが、だ、大丈夫でしょうか…。」


 リラは意を決して、ロイドがいることをクライヴに話した。

 もし断られたら、なんとかクライヴが納得するまでお願いし続けよう、そう思うしかなかった。


 クライヴはリラの不安そうな表情を見ると、たまらずクスクスッと笑い出した。


「ああ。問題ないよ。学生の大切な思い出作りにダメなんて言わないよ。」


 リラはその言葉に、目をパチパチさせた。

 クライヴが、ロイドのことを気にかけていたのは気のせいだったのだろうか。


「あれ?止めてほしかったの?」


 クライヴは、ニヤリと笑った。


「い、いえ!とんでもありません!ありがとうございます!アビーもクリスティーヌも喜びますわ!」


 リラは、慌てて大きく振り否定した。

 これで、観劇を楽しみにしていたふたりに良い返事ができる喜びを感じていた。


 それを見るとクライヴは、ふわりと笑いリラの腕を引き寄せ、リラの後ろ髪を軽く掻き分けると、背中に強く吸い付いた。


 突然の鋭い痛みが走り、リラは身体をびくつかせた。


 戸惑うリラを他所に、クライヴはリラの背中に軽く紅痣ができると満足そうに笑い、軽くそこを舌先で舐めた。


 リラは、一気に身体が熱くなった。


「この前、痣をつけそびれたから。浮気しないでね。」


 クライヴはリラの耳元で、そう甘く囁くと、そのまま甘噛みした。


「もう!しませんよ!」


 リラは、初めての感覚に噛まれた耳を隠しながら身体を離し不貞腐れたように言った。

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