ルーカスと晩餐

 支度を終えたリラは、玄関ホールに向かうと、ルーカスが大きな鞄を持って待っていた。

 ルーカスはリラの姿が見えると驚いたようにまじまじと見入った。


「いや、見違えたな。女性はドレスひとつでこうも変わるのか…。そうなら領地でも、もう少し目か仕込めばいいものを。」


 皮肉のようにも聞こえるがこれがルーカスなりの精一杯の褒め言葉だった。


「いいんです。着飾っても見るのがお兄様とお父様だけなんて勿体無いわ。」


 リラは素直に誉められないルーカスに少しムッとしながら恥ずかしくげ言い返した。


「ははは。それでは、これからは上客を屋敷に招かないとな。それでは、行くか。」


 リラは執事にこれまた見たこともない上等な毛皮のコートを手渡された。


(このコートも見たことがないわ…。)


 リラは何が何だかわからず、ルーカスに目で訴えるも、ルーカスは何一つ気にした様子もなくさっさと馬車に乗り込んだ。


「お兄様、何処に向かうのでしょうか。」


 ルーカスはリラの質問には答えずに、大きな鞄から数枚の書類をリラに手渡した。


「今から商談に向かう。着くまでにこれに目を通してくれ。」


「商談ですか?こんな時間に?」


 リラは怪訝な表情を浮かべた。


(商談に、こんな豪奢なドレスは必要なのかしら…。)


「あー。先方がこの時間しか空いてないらしく、晩餐でも一緒にどうだとのことだ。」


「そ、そうなんですね…。ですが、商談ならお兄様おひとりでも十分ではないでしょうか?」


 学園に入学以前のリラはルーカスに連れられて取引先の邸宅に出向いたことが何度かあった。

 けれど、それはすべてルーカスからリラに窓口を移すときだった。


 ルーカスも安易にリラを紹介するような人間ではなかった。

 何事も自分ひとりで行うのが性に合うようで、リラと協力することなど父であるアリエス伯爵の言いつけでもなければ、まずやらないだろう。


 それに、商談は基本的に昼間だ。

 夜は取引先が社交のため忙しいことが多かったため、こちらも余程の事態でない限り商談の時間として打診することはなかった。


 そして、ふたりのあまりにも仰々しい服装がリラには解せない点だった。


(もしかしたら、器量良しの娘がいる取引先なのだろうか。)


 リラはそう思うと多少は納得のいくものだった。


 ルーカスが好意を寄せている令嬢と食事するから、このように必要以上にめかし込んでいるのかもしれない。

 そう考えると、その娘について自分にアドバイスを求めて同伴したとも考えられた。


 リラが碌に書類に目を通さず物思いに耽っていると、ルーカスはつまらなそうな表情を浮かべた。


「なんだ。お前、商談は好きだろう。せっかく皇都にお前もいるし、丁度良いと思ってな。それに男だけで晩餐など…なんと味気ない…。華があった方がいいと思ってな。それに、お前の知識も必要でな。」


 リラはルーカスの言葉にドキリッとした。


(男だけでの晩餐…。)


 その言葉は女性は自分だけということを意味していた。

 つまり、リラが先ほど考えていた、ルーカスが取引先の令嬢を懇意にしているという憶測は間違いであることを意味しているのだ。


(では、何のためにこのように豪奢な装いなのでしょう…。)


 やはりリラの脳裏にクライヴが浮かび上がり、リラは大きく首を横に振った。


(まさかね…。)


 リラは考えても仕方がないと観念し、ルーカスからもらった書類に目を通し始めた。

 それはルーカスの新事業についての詳細がまとめられたもので、何やら羊皮を卸しているらしい。


(お兄様、いつの間に…。)


 おそらく今着ているこのコートはその試作品なのだろう。




 リラは書類を一通り読み終えると車窓を眺めた。

 馬車は城下町を抜け、皇城にほど近い一等地の方へ入って行くではないか。


「お兄様、一体どちらへ…?」


「まあ、もう直ぐ着くのだから良いだろう。」


 リラは慌ててルーカスに質問するが、ルーカスは全く取り合おうとしなかった。


 こんな一等地を持つに屋敷を構えることの貴族など侯爵家あるいは公爵家だろうか。

 それなら、この過剰なまでの装いも頷けるが、お兄様いつの間にそんな取引先を手に入れたのだろうか。


 そんな戸惑いを抱いていると、馬車は一等地も抜けてどんどん皇城に近づくではないか。

 ここから先に屋敷など存在しない。


 あるのは、ただひとつ皇城だけだ。


「え?お兄様?」


 リラの慌てる声をわざと無視するかのように、ルーカスは険しい顔で書類を入念に確認しているのだった。


(もしかして、国皇陛下との食事会?)


 リラは緊張のあまり鼓動が早くなった。


 いくら商談が好きなリラでも皇族との商談なら心の準備が必要だ。

 けれども、それなら、なぜルーカスは最初にそのことを教えてくれないのだろうか。


(こんな皇族絡みの案件を私に一手に任せる気なのだろうか…。)


 リラは、どえらい案件に気後れしそうになった。


 それにしても、取引先が皇族なんて、ルーカスはどのようにして繋がりができたのだろうか。


 リラはぐちゃぐちゃになる思考が追いつかず、ルーカスと皇城を何度も交互に見入った。


「ははっ。何をやっている。ほら、もうすぐ着くぞ。」


 ルーカスはそんなリラの様子を吹き出したように笑っていると、ほどなくして馬車は皇城敷地内に入った。


 馬車はそのまま敷地内の奥へと入り、あるひとつの小さな屋敷で停車した。

 小さいと言っても皇城のそれと比較するから小さいのであって、リラの住むタウンハウスよりはずいぶん大きかった。


 皇城は広い、正門を入って正面には噴水のある大きな中庭があり、本殿に続いている

 また本殿の左右には国皇と皇后のための宮殿、それに、ふたりの皇子のための宮殿、また成人の宴でも使用した舞踏会のための宮殿など様々な建物がある。


 リラの知らないものがあってもおかしくはなかった。


 屋敷に入ると執事にサロンに案内された。

 リラはソファに浅く腰を下ろすも、今から、現れる誰かを想像しドキドキが抑えられなかった。


 一方のルーカスは不躾にもサロンに並べられた調度品を手に取り眺めていた。

 商売人の血が騒ぐのだろうか、興味が抑えられないといったようにルーカスは楽しげな表情を浮かべていた。


 取引先はルーカスにとって余程見知った仲なのだろうか。

 それでも皇族との謁見なのだ。

 リラからすると異常なまでの余裕だった。


「ん、んー。お兄様。ソファにお座りになってはいかがかしら。」


「あー。すません。こんなところにはなかなか入れないからな。」


 リラは痺れを切らし、咳払いするとルーカスに注意をした。

 ルーカスは謝るもあまり悪びれた様子もなく、リラの隣にボスッと腰掛け足を組んだ。


 そんな端ないルーカスの態度も相まってリラを不安と緊張は最高潮に達した。

 その鼓動はこれでもかと早くなり、耳の奥でも自分の心臓の音が聞こえるほどだ。


(あー。誰が来るのかしら…。)


 リラは緊張から表情が強張った。


「リラ、せっかく綺麗に目か仕込んでいるのに、その固い表情はいかがなものだ。少しは気を抜け。」


(お兄様は抜けすぎです…。)


 ルーカスはニヤニヤしながらも真面目そうに顎に手をつきそう言うも、リラは盛大にため息を吐き、今にもルーカスを引っ叩きたい気分だった。

 けれど、そんなルーカスの他愛ない言葉は多少なりとリラのの緊張を緩めた。




 トントンッ。


 暫くするとノックの音が聞こえ、リラは慌てて立ち上がった。

 けれど、現れたのは国皇陛下ではなく、クライヴとデイビッドだった。

 リラは緊張の糸が一気に切れ今にも崩れ落ちそうだった。


(な、なぜアクイラ国皇子が…?)


「やあ。リラ、逢いたかったよ。ルーカスも久しぶり。」


 リラの疑問を他所に、クライヴは優しく微笑んだ。


「クライヴ様、お久しぶりです。本日は貴重なお時間いただきありがとうございます。」


(お兄様とアクイラ国皇子がお知り合い…。しかも、名前で呼び合うなんて…。)


 リラが落胆する隙もなく、クライヴとルーカスはファーストネームで呼び合い、親しげに握手を交わしているではないか。

 リラはこの状況に頭が一斎追いつかなかった。


 いつ?

 どこで?

 どのように?


 リラの脳裏に様々な疑問符が渦巻いていた。

 クライヴは、戸惑い立ち尽くすリラを愉しげに見つめながら、当たり前のようにその手を取りそっと口付けた。


 その瞬間、リラの思考はプツンッと止まり、頬はボッと染められた。

 やはり、リラはクライヴからのそれにはひどく弱いらしい。


「それにしても、とても綺麗だリラ。もし良ければ、後で踊ってくれないか。」


 クライヴはリラの後毛を耳にかけながら艶かしい紅い瞳でリラを誘った。


 一方のリラは唇を震わせていた。

 今朝までの晴れやかな気持ちはどこへいったのだろう。


 婚約の申し出を断ると決めたけれども、この美貌相手にこのように褒められ、触れられ、口説かれては決断が鈍ってしまうというものだ。


「ちょうどいいじゃないか。ドレスの礼もかねてな。いや、そんなものでは足りないか。」


「え。ドレス?(このドレスはアクイラ国皇子からの贈り物…?)」


 ルーカスの何気ない発言にリラは驚いた。


 通りで洗練されたデザインに上質な生地の筈だ。こんなの皇室お抱えのドレスショップでなければ仕立てることなど出来ないだろう。


「いや、十分すぎるくらいだ。リラが踊ってくれるなら、毎回新しいドレスを仕立てよう。」


 そう言うとクライヴは嬉しそうに再びリラの手に口付けた。


(恥ずかしい。)


 ルーカスの前でもこのように堂々と口説くとは、アベリア学園や成人の宴というの公共の場でもなくてもリラはあまりの恥ずかしさに視線を逸らした。


「さあ、皆様。晩餐の準備は整っております場所を移しましょう。」


 デイビッドの声を合図に、クライヴは当たり前のようにリラをエスコートし、四人はその場を後にした。

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