リラに紅痣
リラの脳内に『好きな子』という言葉が木霊した。
(告白?いやいや、そんな他人伝えに聞いただけで、そんなまさか…。)
リラはあまりの恥ずかしさに顔を手で覆った。
「じゃあ、婚約してくれるね。」
クライヴはリラの両手を取り、顔を覗き込んだ。
艶やかな紅い瞳がじっとリラを見つめられ、思わず首を縦にふりそうになった。
「え、えっと。私には恐れ多くて、正直なところ未だに信じらず…。どこで私のことを調べたのか存じませんが、そ、そんなことを鵜呑みして、よ、よろしいのでしょうか…。」
リラはゆっくり斜め左下に視線を逸らしながらぎこちなく答えた。
その答えを聞くとクライヴは、吹き出したように笑い出した。
「ふふ、はははは。やっぱりリラは面白いね。大抵の令嬢なら飛びつく話なのに。そもそも貴族同士の結婚なんて一度も顔を合わせずに資産保持のために親同士が勝手に決めることが多い。アリエス家には、これ以上ない好条件なのに、体よく断ろうとするとは…。あはははは。」
クライヴはおかしすぎるのか、お腹を抱えて涙ぐんでいた。
自分はおかしなことを言っていないと、リラはムッとした表情を浮かべた。
カーン。カーン。カーン。
そのとき授業の終了を知らせる鐘がなった。
リラはハッとした。
些か話が大ごとなので忘れかけていたが、ここは学園のカフェテリアだ。
いつ誰が来てもおかしくない。
なんとかして、クライヴを制止することが先決なのである。
「も、申し訳ないのですが、今このお話は、その、やめていただけないでしょうか。」
「了承すればすぐ終わる話なのだけど…。」
クライヴは頬杖を付きリラを情熱に満ちた紅い瞳で見つめた。
しかし、リラも譲ることなどできない。
「ここでは、恥ずかし過ぎます。」
「『ロイド様』に見られてるから?」
「ロイド様など関係なく、ここは学園のカフェテリアです。もうすぐ誰か参ります。そのような話を誰かに聞かれては。それに、父とも相談したいので。」
「そう。」
クライヴは、つまらなそうに呟くと、やっと視線を逸らした。
リラは一息付こうと席に座り直し、すっかり冷え切った紅茶を手に取ると、視界の隅に映るロイドの様子が明らかにおかしいことに気づいた。
何やらぐったりとテーブルに肘をついて頭を抱え込んでいるではないか。
「え!?ロイド様。ご体調が優れないですか?」
リラは慌てて立ち上がりロイド背中をさすりながら顔を覗き込んだ。
ロイドは完全に顔色が悪かった。この短時間に何が起こったのだろうか。
傍にいながら、体調の変化に一斎気づくことのなかった自分を恥じた。
一方のロイドがこの状態なのは、当然なのだろう。
なにせ三年間も好きだった相手が目の前で、これでもかと口説かれおり、今まさに婚約しようとしているのだ。
それに加え、リラは終始頬を染めて満更でもないように伺えるのだから、たまったものではない。
ロイドにとってはこの状況はボディーブローに次ぐボディーブローで、完膚なきまでに打ちのめされている。
むしろ、この場から逃げ出さないだけでも、その根性を誉めてほしいくらいだ。
ロイドは真っ蒼な顔で苦しそうに浅く呼吸をしていた。
「ぜえ。ぜえ。」
そんなロイドを心配そうにリラは青緑色の瞳を潤ませて、覗き込んだ。
そのリラのあまりにも愛らしい表情にロイドはドキリッとし、これ以上リラにみっともない姿を見せてなるものかと顔を上げ姿勢を正そうとした。
「だ、大丈夫だ。」
ロイドがそう答えるか否かのときに、クライヴはグイッとリラの腰を引き寄せ自身の膝に座らせたのだった。
一瞬、何が起こったか理解に苦しむふたり。
「え、ちょっと、おろしていただけますか…?」
「嫌だ。」
リラはわけがわからず、クライヴの腕を引き離そうとするもびくともしなかった。
一方のクライヴは何も気にした様子がなく、リラの髪をソッと片側にまとめると、顕になった白く美しい首筋に唇を押し当て吸い付いたのだった。
一瞬、鈍い痛みと共にリラは何が起こったかわからず足をジタバタさせた。
一方のロイドは顔から血の気が引いたかのように白くなり今にも後ろに倒れそうなほどだった。
「ロ、ロイド様!?大丈夫ですか?」
そうこうしていると、向こうから離席していた学園長たち三人の姿が見えてくるではいか。
リラは半ば強引にクライヴの腕から抜け出した。
頬を真っ紅にして慌てふためきながらロイドに話しかけるリラ。
誰の声も耳に入らないのか顔面蒼白気絶寸前のロイド。
笑いを堪えるように上品に口元を手で隠すクライヴ。
学園長は、この予想外の状況に戸惑い、どこから質問して良いのか、はたまた聞いてはならないのか口をまごつかせ、デイビッドは何かを察したのか額に手をあて溜息を吐いていた。
その後の案内は何事もなかったが、リラとロイドはカフェテリアの一件で全生命力を使い果たしたように終始上の空だった。
こんな波乱の見学になると誰が予想したことだろう。
なんとか見学も終わり、クライヴとデイビッドを見送るために六人は正門に向かった。
時刻はもう夕刻。
帰宅する生徒たちは、やはり誰しもクライヴの美貌に見惚れていた。
クライヴは背筋を伸ばし、遠くを見据えて周囲の生徒が自分を羨望の眼差しで見つめることなど微塵も見えていないかのようにだった。
クライヴからすると、それは周りが草木であるかのように、また時折上がる黄色い悲鳴も風の音ぐらいにしか思っていないように悠々と歩いていた。
リラは、またしても無意識に、そんなクライヴの様子を斜め後ろから眺めていた。
リラもまた周囲の生徒と同じように思わず羨望の眼差しを送っていたのだろう。
それに気づいたクライヴはリラの方にチラリッと視線を送りニヤリと意地悪く笑うのだった。
(いかん、いかん。また、やってしまった…。)
リラはクライヴと視線を絡ませると、首をぶんぶんと横に振り胸を張り姿勢を正した。
六人が正門に着くと、そこには既に馬車が到着していた。
馬車は四輪で、黒く塗られており、アクイラ国皇家の紋章である鷲が扉に施されていた。また、草木をモチーフとした繊細な彫刻が所々に施されており、重厚感ある豪華なものであった。
「アクイラ国皇子、本日は我がアベリア学園にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。」
学園長が深々と礼するのに習って四人はも同じように礼をした。
「いえ、とても有意義な時間でした。ありがとうございました。」
クライヴは学園長と握手を交わすと、リラに近寄った。
「リラ、この続きはまた日を改めて。」
クライヴは、すっとリラの手を取り口づけると何事もなかったように馬車に乗り込んだ。
周囲の生徒は口を手で覆うもの、思わずきゃーっと黄色い悲鳴を上げるもの、誰しもがその光景に釘付けだった。
(また、やられた…。)
取り残されたリラは、悔しいやら恥ずかしいやらで体が小刻みに震えた。
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