クライヴと昼食(後編)
ロイドたちが昼食に同席するということで、四人掛けのテーブルに椅子が更に二脚並べられ鮨詰め状態だった。
その中に皇族が二人もいるのだから、何とも滑稽だった。
けれど、笑うものなどひとりもおらず、緊張感すら漂っていた。
そんな中リラは、ひとり上の空で顔を真っ紅にし俯いていた。
(近すぎません…?)
四人掛けのテーブルに椅子が六脚もあるのだから、それぞれの席が近いに決まっていた。
それでも、よく見るとリラとクライヴの間だけ他の席よりも明らかに近いのだった。
それはもう膝と膝が触れ合うどころか椅子と椅子が接しているのではないかというほどだった。
リラは、なんとか心を落ち着かせようと目の前のサンドイッチを見つめた。
もちろん、食べたいわけではない。お腹は空いていると思う。
実際は昼食が始まってからひとつも食べていないのだ。
ただ、今はそれどころではなく、すぐ隣から薫る甘い薔薇の香りに、触れ合った膝からクライヴの熱が伝わり、緊張感から抜け出せずにいたのだった。
「アクイラ国皇子。今回、我が国にお越しいただいたのは、主に交換留学の件ですよね。学園見学は進んでおりますか。」
レナルドが、この重い空気を打ち砕くべくクライヴに話を振った。
「まだアベリア学園が初めてで、他の学園の見学は来週以降に予定している。」
何やら今回の外交の目的を話しているらしい。すごく気になるが、本当に今はそれどころではなかった。
(どうしよう…。少し席をずらしてみようかしら。)
そう思い軽く立ちあがろうとするが、膝に乗った手に温かいものを感じた。
クライヴの手がリラの手に触れているのだった。
リラはあまりのことに驚き目を見開いて、その綺麗な手を見つめていた。
「リラは、どう思う?」
そんな驚くリラを他所に、クライヴはリラの手を握りしめ、顔を覗き込んできたのだ。
「どう、とは…。(どうしよう。何も話を聞いてなかった…。)」
話を聞いていなかったのだから、素直に謝罪し聞き返せば良いのだろう。
けれど、このテーブルにロイドが加わったことで、先ほどより些かこちらに聞き耳を立てている生徒が増えていた。
このいう野次馬は噂を広めるのも早い。
またしても、皇族の話を聞いていなかったと明日には風潮されているだろう。
なんとかして、この失態を誤魔化さなければならない。
リラはそう思いながら、口をもごもごさせなんとかできないかと思案した。
「顔が紅いけど、どうしたの?」
クライヴはリラの額に自分の額を合わせて、両手でリラの頬を包んだ。
「少し熱いかな…。」
(え、え、え…。ちょっと…。)
美しい紅い瞳を縁取る長い睫毛、そして艶やかな唇がリラの眼前に広がった。
リラは蕩けそうな脳味噌に張り裂けそうな心臓で、溶けかけた理性を振り絞って顔を背けようとするにも、この力強くそれでいて優しく包み込むクライヴの両手から抜け出すことはできなかった。
リラは大きな青緑色の瞳を潤ませて、クライヴの紅い瞳を見つめた。
そんなふたりの姿を奥歯を噛み締め、拳を強く握り締めながらロイドが見つめていた。
ロイドは今にも歯軋りが聞こえそうなものすごい形相だった。
「顔が…。」
レナルドは慌ててロイドにしか聞こえないような小声でそう呟くと、脇腹を肘で小突いた。
「わかっている…。」
ロイドもまたレナルドにしか聞こえない声でそう吐き捨てた。
ロイドはこれでも作り笑いを必死で浮かべているつもりだった。
それでも、愛しいリラが目の前でいちゃついているのだ。嫉妬と怒りをどう抑えられるというのである。
カーン、ゴーン、カーン、ゴーン。
すると、ロイドの怒りが通じたのか、昼食の終わりを知らせる鐘が鳴り響いた。
「あ。もうこんな時間か!」
その鐘の音でロイドは我に返った。
「アクイラ国皇子、学園長の待つ応接室に案内しよう。リラ嬢、準備はよろしいだろうか。」
ロイドはやっと気持ちを切り替え、立ち上がりそう告げた。
「申し訳ありません。すぐ準備しますね。」
リラは慌てて立ち上がり、三人は中庭を出て校舎へ向かった。
(恥ずかしすぎる。ロイド様は、私がこんなふしだらな女だと失望されただろうか。)
リラは、先ほどチラリと見えたロイドの形相が気になった。
リラはロイドにあんな表情で見られたことは一度もなかった。
どうもクライヴといると調子が狂う、いつものようにスマートに物事をこなすことができないばかりか、失態続きであった。
リラは学園では優等生として通っていた。
真面目で面倒見も良く、男女問わず頼りにされることが多く、クラスでは学級委員を行なっているほどだった。
それなのに、中庭という公共の場でクライヴといちゃついているようにも受け取られるような振る舞いに、ロイドは酷く不快に感じたのだろう。
リラは、反省し自分を戒めようと思うものの、先ほどの余韻を忘れさせてなるものかと言わんばかりに、隣にはしっかりクライヴがおり、甘い薔薇の香りが鼻腔を擽った。
「大丈夫。大丈夫。ちゃんとできる…。」
リラは俯きながら、自分を鼓舞するためにブツブツと呪文のように何度も呟いた。
しかし、リラのそんな願いも虚しく、校舎に入った途端にロイドに慌てて呼び止められた。
「リラ嬢、応接室はそちらではないかと…。」
リラは考えごとをし過ぎたせいで気がそぞろになり、応接室とは反対方向にある自分の教室へと曲がってしまったのだった。
(やってしまった…。)
粗相に次ぐ粗相だった。
リラはこれでもかというくらいに顔を紅くしながら慌ててロイドとクライヴの方に駆け寄った。
(恥ずかしさにもほどがある。三年間も通い、慣れ親しんだ自分の学園で道を間違えるなんて、ましてや客人の案内中に、それも国賓である隣国の皇子だ!)
「はは。もし良かったらエスコートしようか。」
クライヴは愉しそうに笑って、リラに手を差し出した。
リラは、あまりのことにびくっとした。
「だ、大丈夫です。緊張して間違えてしまいました、しっかりします。」
「それは残念。」
ここは校舎内、昼食を終えた生徒が一斉に戻っており、廊下には生徒たちで溢れかえっているのだ。
ロイドがいるだけでも目立つというのに、それに加えて隣国の皇子であるクライヴまでいるのだ。
クライヴは成人の宴で話題の人でもあるが、ただでさえこの美貌だ。
おそらく皇子でなくとも男女問わずに見惚れてしまうだろう。
リラはロイドと並んで廊下を歩いているときも、ちらほら視線を感じることはあった。
もちろん、それは主にロイドへの羨望の眼差しであって、リラに向けられることはほとんどなかった。
しかし、今、廊下にいるもの全員がクライヴを見ていると言っても過言ではなかった。
そんな中でエスコートでもされたら、学園中の生徒の全員が全員こういうだろう。
「アクイラ国皇子にエスコートされている令嬢は誰なのかしら。」
「まあ、皇子をふたりも引き連れて嫌らしい。」
しかもこの狭い学園では、その女はリラであることを特定するなんて一瞬だろう。
そんなことになったら、アリエス家の名も汚すことになるだろう。
父に兄に、なんと弁明すればいいだろう。
娘の不貞で取引まで中断されたら、領民にも多大な迷惑をかけてしまうやもしれない。
リラはそんな不安を払拭するように、拳を強く握りしめ背筋を伸ばし、少し前を歩くロイドに小走りに近寄った。
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