クライヴと昼食(中編)

 レベッカが立ち去ると、クライヴから一瞬にして威圧感がなくなった。

 また遠巻きにこちらの様子を伺っていた生徒たちも、レベッカの二の舞になるのは御免とばかりに席を移すものもいた。


「あ、あの、アクイラ国皇子。よろしかったら、召し上がりますか」


 優しくリラ見つめるクライヴの視線が堪らなくなって、リラはそう口にした。


「それならリラと同じものをいただこうかな。」


 リラは緊張しながら、皿にサンドイッチを幾つか盛った。

 本来侍女にお願いするものなのだろうが、やはりリラはクライヴの視線に弱くひどく動揺していたせいで、自ら取り分けてしまったのだった。


「皇子、こちらでよろしいでしょうか。」


 リラはすっとクライヴに皿を差し出した。


「クライヴ、そう呼んでもらえないかな。」


「え、えっと。(それはちょっと…)」


 クライヴは麗しい紅い瞳で真っ直ぐリラを見つめた。

 リラは恥ずかしさのあまり頬を染めながら、視線を逸らした。


(名前で呼ぶなんて烏滸がましすぎる…。それに、また要らぬ噂が飛び交ってしまうわ…。)


 どうやって、やんわり断ろうか。

 そんな思考を巡らせようにも緊張のあまり何も考えられなかった。


 そんなリラの心情を知ってか知らずか、クライヴは話を進めていた。


「リラはよく中庭で昼食を?」


「は、はい。天気が良い日はよくこちらで頂いております。」


 大した質問でもないのに、緊張のあまり何処かぎこちなさが拭えなかった。


「そうなんだ。ちなみに、いつもそちらのご令嬢方とよく食事を一緒に?」


 クライヴはそんなリラを微笑ましく見つめながら質問を続けた。


「あ、はい。こちらがアビー・アハアルム伯爵令嬢で、こちらがクリスティーヌ・メルクール子爵令嬢でふたりとも入学当初からとても仲良くさせていただいております。」


 突然、話題を振られたふたりは動揺し、慌てて立ち上がり、クライヴに無礼のないように淑女の礼をした。


「ふーん。そう…。」


 クライヴはリラからアビーとクリスティーヌに視線をやった。

 その場の空気を壊さないように微笑んでいるように見えるが、目の奥が笑っておらず、何処か威圧的だった。


 そんな他愛のない話しながら、クライヴは長い指で、優雅にサンドイッチを摘み頬張った。

 毎度ながら、その所作は本当に筆舌にし難いほど美しい。

 食事をしているだけなのにどうしてこうも色気を漂わすことができるのだろうか。


 リラはまたしても、そんなクライヴに見惚れてしまった。

 初めて間近で見たアビーとクリスティーヌも蕩けてしまいそうな瞳でクライヴを見入ってしまった。


「リラも食べたいの?」


 不意に、クライヴが長い指先をピタリッと止め、リラにそう尋ねた。

 リラは、その言葉で自分がまたクライヴに見惚れてしまった事実に気づき慌てふためいた。


(また、やってしまった。)


 リラは慌てて視線を逸らすも、クライヴは片側の口角だけあげて意地悪くニヤリッと笑った。


「食べさせてあげようか。」


 そう甘く耳元で囁くのだった。

 リラは耳の奥がくすぐったくなるのと同時に、一気に体温が上昇していくのを感じた。


「ほら、あーんして…。」


 クライヴの綺麗な指先がサンドイッチと共にリラの口元に迫ってきた。


「ふぇ!?」


 リラはあまりのことに動揺し、自分でも驚くほどに変な声を出してしまった。


 こんな公共の場でそんな行動は恥ずかしいにもほどがあった。

 如何に国賓の申し出とは言え、これはどうしても断りたい。


 けれど、不敬を働きたくはない…。

 もう粗相はしたくない…。

 どうすれば正解なんだ…。


「ご配慮ありがとうございます!自分で食べられますので…。」


 そう言って背を逸らすもクライヴも譲らなかった。


「遠慮しないで。あーん」


 クライヴは終始愉しそうだった。


 もしや、これもクライヴの冗談なのだろうか。

 わからない…。

 もう何もわからない…。


「お、お腹がいっぱいなので…、だ、大丈夫です…。」


 リラは配慮に配慮を重ねた結果、そんな陳腐な言葉しか出てこなかった。

 そんなリラの様子がおかしくてたまらないのか、クライヴはクスクス笑いながら、ようやく手を退けたのだった。


「じゃあ、今度お腹が空いているときに。」


 クライヴはにっこり愉しそうに艶やかな紅い瞳でリラを見つめた。


「そそそそ、そういう意味ではなくて。」


「ははは。愉しみだな。」


(なんだか、弄ばれてます?)


 先ほどより野次馬は減ったと言えど、ちらちらこちらを見ている生徒は少なくはなかった。

 明日からはきっととんでもない噂が飛び交うだろう。


 居ても立っていられず、リラは目の前のアビーとクリスティーヌに助けを求めるように視線を向けるも、ふたりは眉間に皺を寄せ小さく首を横に振るのみだった。


「そういえば、リラは宴の後は楽しめた?」


 そうこうしていると、クライヴから思いも寄らない質問がリラに向けられた。


「あ、いえ、ロイド様と踊った後は色々ありまして、すぐ退場してしまいました。」


「そう。『ロイド様』と。それは残念だった。それなら、もう少し俺が独占していても良かったのか。」


 クライヴは終始愉しそうにリラを見つめていた。


「あの…。宴のときに再度ダンスにお誘い頂いたのにお断りして申し訳ありませんでした。」


 リラはダンスの後のクライヴの態度を気にしていた。

 もちらん、リラはマナーを守っただけで、非があるわけではない。

 それでも、国賓からの申し出だ。自分に非がなくても、きちんと謝るのが礼儀である。


「リラが謝ることはひとつもないよ。むしろマナーをかいて、俺がリラに不快な思いをさせたと思っているよ。すまなかった。」


 クライヴは何一つ気にする様子はなかった。むしろ、一国の皇子が非を認めることに恐縮しつつ、リラはクライヴが怒ってないことに安心した。



 そんな話をしていると、こちらにロイドとレナルドが駆けて来るのが見えた。


「アクイラ皇子、ご令嬢方。歓談中、失礼させていただきます。アクイラ国皇子、お早いおつきで。このような所にいるとは吃驚しました。」


 ロイドとレナルドは礼をしてクライヴに話しかけた。


 ロイドとレナルドが慌てて駆けて来たのも無理はない。

 成人の宴にいた、あの美貌の皇子ことクライヴが中庭にいると、生徒たちの間で既に騒ぎになっていたからだ。


 クライヴは立ち上がりロイドに礼をした。


「連絡もなしに申し訳ない。少しでも早くリラと一緒にいたくてね。」


 クライヴは微塵の恥じらいもなく、こんな公共の場でロイドに『リラに早く逢いたっかた』とそう告げるのだった。


 その言葉はロイドの胸に突き刺さり、一瞬にして心中を穏やかではなくなっていくが、それでもロイドも一国の皇子である努めて笑顔を装わなければならない。


(くそ、また、私が言いたい言葉を抜け抜けと。異国のものは恥というものを知らないのか)


「いえ、とんでもない。もし宜しければ私たちも席をご一緒してもよろしいかな。」


 ロイドは引き攣った笑顔で、そう提案した。

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