エリスの一生

おなかヒヱル

第1話

「わあ、ママぁ〜見て。目を開けたよ」

「あら、ほんと。私たちと同じ、碧く澄んだ瞳」

「名前を付けようよ、この子に名前を付けるんだ。何がいいかなあ」

七歳ぐらいだろうか、目の前に男の子とその母親らしき女性がわたしを見ていた。

「そうだ、エリス。エリスにしようよ。君はエリス、今日からエリスだ。よろしくエリス。ぼくはシーラン、ランって呼んでね」

そう言うと、ランはわたしを抱きしめた。

体温三十六度五分。

これはわたしが生まれて初めて誰かに抱きしめられた瞬間だった。

それはとても暖かかった。

「こら、ラン。あまり強く抱きしめると壊れてしまうぞ。高かったんだから気をつけるんだ」

「わかったよ、パパ」

大柄な男、ランの父親のようだ。

いかにも家主といった風情で少し横柄な印象を受ける。

大股で肩で風を切る歩き方が壮年の男性にありがちな自信過剰を物語っていた。

「庭へ行こうエリス」

ランはわたしの手をとって駆けだした。

まだぎこちない歩行。わたしは足がからまりそうになりながらなんとか外に出た。

春の陽を浴びたガーデンはとても眩しかった。

芝生は几帳面に刈りこまれ青々としている。

色とりどりの花が自然さを損なうことなく配置されていた。

目立つところに高価なSUVとピックアップトラック、番犬にしては頼りなさそうなゴールデンレトリバーが二匹。

この国では富裕層に属する家庭の、優雅な昼さがりだった。

「こっちはオスのマグナ、こっちはメスのカルタだよ」

「よろしくマグナとカルタ。わたしはエリス。今日からこの家にやってきました」

自己紹介がおわると同時にわたしを舐めまわすマグナとカルタ。

どうやら、わたしを受け入れてくれたようだった。

「二人とも、お昼ごはんできたわよ」

ランの母親がわたしたちを呼んだ。

二人とも、というのはランとわたしのことだろう。

なんとなく、すでに家族の一員になっているような気がして少し照れくさかった。

「お皿を並べるの手伝って」

ランとわたしは手際よく食器を並べた。

テーブルの真ん中には鍋が置かれ、食欲をそそる匂いがした。

「ねえ、パパは?」

「さあ、知らないわ。また、どこかへ行ってしまったんでしょう」

室内の空気が微妙に変わった。

父親に、何か問題があるのだろうか。

「パパ、今日も遅いのかなあ」

ランは、うつむきながらつぶやいた。

庭のマグナとカルタに餌を与えた母親は、鍋から具だくさんのシチューをランとわたしによそってくれた。

「わあ、美味しそう!」

シチューから立ちのぼる湯気が、ランに元気を取り戻させたようだった。

人間は、その時々の些細な出来事で幸せを感じられる生きものらしかった。

「エリス、シチューとか食べられる?」

「だいじょうぶです。人間が食べられるものはすべて消化できます。人間が食べられないものも、だいたい消化できます」

スプーンを持ったランは満面の笑みでわたしを見つめた。

「じゃあ、せーのでいただきますだよ。せーの」

「「いただきます!」」

シチューを一口。

「んん!? お、美味しい」

わたしはむさぼるようにシチューを食べた。

こんなに美味しいものを食べたのは生まれてはじめてだった。

だがしかし、よく考えてもみれば、わたしは今日はじめて起動してこれがはじめての食事なのだから美味しいものを食べるのがはじめてなのは当たり前のことだった。

でも、生まれてはじめての食事で美味しいと思えるものに出会えたことは幸運と言ってよかった。

「まだたくさんあるからおかわりしてね。遠慮しないで」

「では、遠慮なく」

十分と経たない内に鍋のシチューは空になった。

「うわあ〜、エリスすごいね。一人でぜんぶ食べちゃった」

「ふふふ、これからはもっとたくさん作らないとね」

満腹になったわたしはランに質問をした。

「食事をし終えたら何と言うのですか?」

ニッコリと笑ったランはこう答えた。

「せーのでごちそうさまでした、だよ。せーの」

「「ごちそうさまでした!」」

ここでは、何もかもが平和で満たされていた。

温暖な気候に大きな家、豊富な食料に潤沢な資産。

そして幸せそうな家族。

たびたび、自身の巡り合わせをカプセルトイに喩えてガチャと言うけれど、わたしは明らかに当たりを引いたと確信した。

ここなら、きっと末永くわたしを使ってくれるにちがいない。

ときおり吹く、カーテンを揺らす春の風が、わたしの確信をよりいっそう強固なものにした。

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