第11話 二人の距離
春も半ばに差し掛かり、大分気候も良くなってきた。
陽気が差し込み、室内も暖かく、昼食後ともなると眠気を覚え、午後の授業まで午睡を楽しむ生徒もいる。
「やっ!」
そんな中、いつもの空き教室では今日も巴の綺麗な声が聞こえていた。
「はぁはぁはぁ、もう少しタイミングを合わせないと……」
巴はボードを見ると刺さっているダーツの位置を確認する。以前より刺さる場所が纏まっているのだが、彼女はそれに納得していない様子だった。
そんな巴を、健二は一言も発することなく見守り続けている。
付きっ切りで練習を見るようになってから、巴のフォームもそれなりに修正されてきた。
投げる時の姿勢も綺麗になり、動作も滑らかになった。
健二に言われた通り、毎日動画を観て自分のフォームを修正し続けた成果だろう。
苦手だったテイクバックとリリースのタイミングも安定してきて、これまであまり届かなかったダーツボードの上の数字にも安定してダーツを刺すことができるようになった。
少し前の巴のダーツを知っている人間が見たら、どのような魔法を掛けたのかと驚くことだろう。
そんな、飛躍的なレベルアップを果たしているにもかかわらず健二の表情は険しかった。
カレンダーの日付を見ると、今日が学校で練習をできる最後の日だ。
レギュラーを決定するためのトーナメントはゴールデンウイークをまたいだ翌週に行われると静香から聞いている。
幕乃倉高校ダーツ部は全国に名を轟かせる強豪校。このまま成長していったとしても、レギュラーの座を射止めるにはまだまだ巴には足りないものが多すぎる。
「岡崎君、どうでしたか?」
そんな健二の内心を知らず、巴は健二の横に座ると笑顔を向けてきた。
光を帯びた髪がさらりと落ち、巴の顔が視界に飛び込んでくる。
あの日、勉強会をして以来、健二に接する時の巴の距離が近くなった。
健二が彼女を見ると、その優れた容姿が嫌でも視界に入ってしまう。
睫毛が長く、琥珀の瞳は澄んでおり、薄桃の唇が艶かしい。
健二は、これまでの人生で、ここまで綺麗な女性に会ったことがなく、そんな彼女が無垢な表情を向けてくることに、若干気まずさを感じた。
「まあまあだと思うぞ」
普段からのぶっきらぼうな様子が幸いして表情に出すことなく言ってのける。
巴は「まあまあかぁ」と呟くとソファーに背を投げ出した。
そのせいで、巴の身体の一部が強調される。
セーターの上からでもはっきりわかる膨らむ部分。それはとても柔らかそうな質感をしており、視界にいれておくのは危険と判断した健二は咄嗟に目を逸らした。
これまで以上に隙だらけの巴に、先程までとは違う悩みを健二は覚える。
自分が巴に気を許している自覚はあったが、それ以上に巴の様子がおかしい。
まるで家族に接しているかのような……。
そんなことを考えていると、巴が話し掛けてきた。
「もしかして、テストの結果悪かったとかですか?」
巴は眉根を歪ませると、健二が黙っている理由に見当をつける。
元々は、健二の赤点を回避するために勉強を教えるという取引だったからだ。
「いや」
そちらに関しては問題ない。
連休前の実力テストは週の始めにあったのだが、健二はこれまでの学校生活の中で最高得点を叩き出した。
これもすべては、巴が付きっきりで勉強を教えてくれたお蔭だ。その甲斐あってかゴールデンウイークに補習を受けずに済む。
「テストはバッチリだった」
健二はきっぱりと巴の懸念が外れていると告げる。
「だったら、何にそんな風に悩んでいるんですか? 私で良ければ相談に乗りますけど?」
健二の悩みは自分の悩みとばかりに食いついてくる。
これまでは、ダーツの師弟という間柄で適切な関係を維持していたのだが、勉強会の後から巴はやたらと健二の世話をしたがるようになった。
食事に関しても「私が作ってきていいですか?」というようになったし、寝不足気味なら様子を受かってくるし、肌の色から健康状態まで気にするようになった。
巴の世話好きは本人の性格という点もあるのだが、健二に対しては明らかに踏み込みすぎている。
健二としても、巴の優しさに裏がなく、その気遣いが心地よいのでついつい甘えたくなるのが困りものだった。
そんな彼女に、健二は自分の抱えている悩みを告げることができない。どれもが巴にかんする悩みだから……。
「……こればかりはな」
巴のダーツのことが最重要なのだが、正直に告げて本人のやる気を削ぐわけにもいかないので、今は何も言わないことにした。
「そうですか?」
悩みを打ち明けてもらえずやや眉根がつり上がる巴だったが、直ぐに気を取り直す。
「では、そろそろ昼食にしましょうか」
手を伸ばしテーブル袖に置いてある鞄を引き寄せると弁当箱を取り出した。
二人はソファーに並んで座り食事を摂っている。
巴のバラエティ豊かな弁当には視線をやらず健二は黙々とパンを食べていた。
「このまま、同じ練習をしていて大丈夫なんですかね?」
ふと巴は箸を止めると俯きポツリと漏らす。
連休が明けて少し経てば、部内のレギュラー決定トーナメントがある。
静香と健二の指示で、巴は他の選手との対戦を禁じられているので自分が今どのくらいの腕前になっているのか一切知らなかったりする。
その不安から今の行動が正しいのか判断がつかないのだ。
「基本は身についてきたし、腕も上がっている」
健二からの褒め言葉に、巴は一瞬顔をほころばせるが、健二は続きがあると手で制する。
「だけど、このままじゃ部内トーナメントには勝てないだろう」
質問されたからにははぐらかすわけにもいかない。
静香や誠一、それに昨年から控えに回っていた生徒もいる上、一年にも友華がいる。
巴も成長しているが、それは相手だって同じ。今のままでは追い付けないだろう。
「それはどうしてですか?」
健二がそこまでハッキリ断言するからには理由があるはず。
巴はじっと彼を見つめると勝てない理由を問いただした。
「御堂先輩には圧倒的に実戦経験が足りないんだよ」
ダーツというのはただ相手より上手く投げられれば勝てるわけではない。
自分の力量を示すものに、レーティングというものがあるのだが、これはゼロワンとクリケットというゲームを通した平均値から産出される。
このレーティングが高い程強い選手ということになるのだが、レーティングが高いからと言って勝ち抜ける程真剣勝負は甘くない。
「メンタルが影響を及ぼす競技だからな、練習では上手く投げられてもトーナメントだと、まったくダーツが思い通りのところに行かなくなることがあるんだ」
相手との相性であったり、その場の空気、緊張感であったり……。
こればかりは口でいくら言っても伝えることができない。
「どうすればいいですか?」
健二の言葉を聞き、巴はことの深刻さを認識したようで、克服するための質問をした。
既に学校でのダーツ練習が終わり、連休は自主練をしようと巴は考えていた。今からでもやり方を聞いておかなければ、レギュラーになれない。
健二は先程まで考えていたことを巴に提案する。
「そのことについて、もし、御堂先輩さえよければ……」
健二は巴に前々から考えていたある提案をするのだった。
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