第8話 不調

         ★


「はぁはぁはぁはぁ、私の勝ちだね」


 巴が健二と空き教室でダーツの練習をしているころ、ダーツ部では普段通り部活が行われていた。


 2人の部員による練習試合が行われており、ダーツマシンには対戦結果が表示されている。


 勝ったのは友華と同じ一年生で、全中ダーツ選手権を二回戦で敗退している望月もちづき 舞依まい


「友華ちゃん、今日は調子よくないよね?」


 現状では友華の方が実力が上で、いつも負け越しているというのに、今日は勝つことができた。その原因は友華のダーツが普段より荒れているからなのだが……。


「別に……たまたまダーツが上手く飛ばなかっただけよ」


 先日、もう二度と会えないと思っていた岡崎健二と遭遇した友華は、対戦の悲願がかなうと思い喜んだ。


 かつて、全中ダーツ選手権で相まみえた時、彼は友華と凌ぎを削る戦いをした。


 ギリギリの勝負で健二が勝利したが、あの時、ダーツを通じてお互いの思考が伝わった感覚を忘れられない。


 健二とともに高みに登りたいと思った友華は、彼の三連覇がかかった大会を楽しみにしていた。


(だというのに……)


 当日、健二は大会に顔を出さなかった。


 健二不在の不戦勝で決勝に進んだ友華は、ショックを受けた状態でダーツを投げ、不本意な負けを喫する。


 あの日から、自分のダーツが伸び悩んでおり、まるで健二の消失とともに自分のダーツが熱を失ったかのようだった。


「そう言えば、今日は巴先輩見てないね?」


 舞依は話題を変えると、巴の姿が見えないことを気にする。

 確かに、普段であればだれよりも早く部室を訪れて練習を開始している。そんな彼女がいないことを友華もおかしいと思っていた。


「風邪でも引いたんじゃない? どうでもいいわよ」



 ダーツの腕もなく、いつも負けても笑っている巴は、友華にとって煩わしい存在だった。


 彼女が楽しそうにダーツを投げているのを見ると、心の中がざわつくのだ。


「友華ちゃん……」


 刺々しい言葉を聞き、舞依は自然と責める目で彼女を見る。


 思っているよりも心がささくれており、今のは完全な八つ当たりだったと自覚する。


「ちょっと顔を洗ってくる」


 友華は意識を切り替えようとその場を離れるのだった。





「はぁ、このままじゃまずいわね」


 友華は蛇口から流れる水を見つめながら先日、健二との再会を思い出していた。


 健二から「ダーツを辞めた」と言われたことにショックを受けているのに気付いている。あれだけの才能がありながらダーツを捨てたということにどうしようもない怒りが湧き上がってきた。


 部室から出て行くときの健二の瞳が、いつまでも友華の頭の中から消えない。


 そのせいで自分のダーツが荒れているのがわかる。友華はどうにか意識を切り替えなければならないと考え、健二の幻影を追い出そうと頭を振った。


「おい、静香。本気なのか?」

「ええ、巴にはしばらく部室に来なくていいと伝えたから」


 そんな時、少し離れた場所に誠一と静香の会話が聞こえてきた。向こうは友華に気付くことなく、何やら深刻な顔をしている。聞こえてくる内容からして、どうやら巴のことのようだ。


「このまま部室で他の子と練習しても差を埋めるのは無理だから……」


 静香の口から洩れる言葉に、友華は巴が部室にこないのは実力の足りなさから姉に引導を渡されたのだと判断し、胸のうちにモヤモヤしたものが生まれる。


 巴が真剣に練習をしているのは知っていた。そんな彼女から練習の場を奪うというのはあまりにも酷い話だったからだ。


「レギュラー決定トーナメントまでは岡崎君に任せることにしたわ。浜野君もそのつもりでいてちょうだい」


 ところが、意外な人物の名前を聞いた友華は驚くとギュッと拳を握る。


(何よ……それ……)


 先程までの同情とは違う感情が友華を支配する。


 自分との戦いは避けたくせに巴にダーツを教えている。その事実を聞かされた友華は唇を震わせる。


 友華の中で複雑な思いが溢れ、2人が去るまで立ち尽くすのだった。


         ★


「今日はここまでだな?」


「はぁはぁはぁ……」


 壁に掛けられた時計を見ると6時を回っていた。


 スピーカーからは下校を促すアナウンスが流れたので、これ以上校舎に留まることはできない。

 巴がダーツを片付ける間、健二はスマホで本日の練習で撮った動画を見直している。


「……岡崎君」


「ん?」


 健二が顔を上げると、巴が不安そうな瞳で見つめていた。


「私、少しは上達できているのでしょうか?」


 動画を見る限り、指導する前よりフォームは綺麗になっているのだが、たった数時間で完璧になるようなものではない。


「……まあ、少しは?」


 それでも、それを正直に伝えてしまえば巴のモチベーションが下がると予測できたのか、健二は言葉を濁した。


「……岡崎君って嘘をつけない人ですよね」


 ところが、そんな健二の気遣いも、巴に表情を読まれてしまい失敗に終わる。

 巴は溜息を吐くと、


「どうすればできるようになるんでしょうかね?」


 ポツリと弱音を吐いた。


「それは、地道な反復練習しかないんだが……」


 ダーツの上達に近道はない。1本でも多く投げた者がより上に行ける。健二は自分がダーツをやっていたころからそう考えていた。


「でも、それだと時間が足りないです」


 反復練習はこれまでもしてきた。だが、それでも上達したとは言いがたいので、巴は不安に思っている。


 そんな巴を見た健二は、鞄からダーツを取り出しダーツボードの前に立つ。


「岡崎君?」


「今から投げるから、動画を撮ってくれ」


 巴は言われるままにスマホを取り出すと録画モードを起動した。


 健二はそれを確認するとダーツを投げ始める。

 あまりにも綺麗なフォームからダーツが繰り出される。


 立ち方、視線、手首の返し。今日、健二が巴に指摘した言葉を完璧に再現した動きに、彼女は見惚れる。


 数分、投げ続けた健二はダーツをしまい、左手で右腕を抑えると顔を歪める。


「時間がある時にこの動画を見て、自分が投げるイメージをするんだ」


 プロのフォームを見て真似することで、理想的な投げ方に近付ける。健二が子供のころからやってきた練習方法だが、手元に動画がないので手本を見せた。


「う、うん。ありがとうね……」


 巴はそういうと、余韻が残りぼーっと健二を見つめスマホをギュッと胸元に抱きかかえた。


 少し経ち、下校しなければならないということを思い出し、二人そろって校舎を出る。


 校門を出ると健二が前を歩き、巴はその後ろについて歩いている。


 空を夕日が赤く染め上げ、見上げていた巴は今日は充実した一日だったと考えていた。


 左手を後ろに回し鞄を持つ健二を巴はじっと観察する。聞いてみたいことは山程あるのだが、軽々しく踏み込むべきではない事情があることくらいわかっている。


 もっと健二のことを知りたいと思いつつそれができず、巴は溜息を吐いた。


「そう言えば、岡崎君」


「うん?」


 ふと、巴は健二に確認しておかなければならないことを思い出す。


 振り向いた健二は、夕日を背に立つ巴の姿を見る。

 背後から夕陽を浴び髪をキラキラと輝かせた彼女はとても美しかった。


「勉強の件、土日でもいいですか?」


 そんな巴は、唐突に健二の予定について確認をした。


「一体、何のことだ?」


 何の話をしているのか、見当がつかなかった健二は首を傾げる。


「お姉ちゃんから聞いてます。私が岡崎君からダーツを教わる代わりに、私が岡崎君に勉強を教える約束だって」


「は、はぁっ!?」


 驚きの声を上げる健二。静香との取引は過去問を譲渡してもらうことだった。わざわざ巴から勉強を教わるなど聞いていない。


「テストで良い点を取りたいんですよね? 過去問をそのまま解いても身にならないし、勉強なら私でも教えられますから……」


 巴はそう言うとふわりと柔らかい笑みを浮かべ健二を見る。


「あの人は……まったく」


 本来と違う条件を出され、巴にも迷惑を掛けてしまった。健二は頭を掻くと静香に悪態をついた。


「反復練習が必要なのは何もダーツに限った話じゃないと思います」


 巴は指をピッと立てると健二をそう諭す。


 先程、自分がいったセリフを返されては健二も反論することができない。


 諦めの表情を浮かべたのがわかったのか、巴はニコニコと笑うと健二との勉強の約束を取り付ける。


「赤点回避のために頑張って一杯勉強しましょうね」


 想像以上の面倒見の良さを発揮する巴に、健二は首を縦に振ると彼女について帰路につくのだった。

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