第7話 秘密特訓

 家のリビングでダーツの練習をしていた誠一は、スマホに着信があったので通話ボタンを押す。


「なんだよ、静香?」


 誠一は右耳と肩でスマホを挟むと、ダーツのチップを交換しながら電話の主に話し掛けた。


『あら、何だとは冷たいわね』


 電話の先から機嫌良さそうな声が聞こえてくる。誠一はいつもより声が弾んでいることを気にしながら続きを待った。


『例の件なんだけど、岡崎君にお願いしたわ』


 誠一は眉をピクリと動かす。例の件というのは巴にダーツを教えるという話だ。


「前にも言ったが、過保護すぎないか?」


 静香は巴にレギュラーを取って欲しいと願ってはいるが、自分は部長なので公私混同でメンバーに選ぶわけにはいかないと考えている。


『可愛い妹のためだからね。浜野君も妹ができればわかるわよ』


 だけど完全に突き放すこともできず、誠一にコーチをして欲しいと頼んでいた。


「……あいにく、妹ができる予定はないけどな」


 もし自分が静香と結婚すれば、と言葉にして聞かせたらどんな反応があるのか気になった誠一だが、勝算が高くないので言葉を噤んだ。


「おい、静香?」


 電話口で静香が黙りこんだので、通話が繋がっているか確認をする。


『今回は……岡崎君の方も心配だったのよ』


 すると静香は先程までとは打って変わった複雑な声を出す。


 静香は過去に健二に起きた事件について知っている。だからこそ、このまま放っておくわけにはいかないと考えた。


『あの子なら、岡崎君の心の傷を癒すことができるかもしれないしね』


 自分とは違い、打算もなく純粋な巴ならば彼の心を開くことができるのではないかと静香は思っている。


「まあ、元々断るつもりだったからいいけど、用件はそれだけか?」


 そんな静香の内心を聞き、誠一は突き放すように冷めた声を出す。


『うん、それじゃ、おやすみなさい』


 静香が通話を切った後も誠一はダーツを投げることなく考える。


(事情はよくわからないが、静香こそ少し入れ込みすぎじゃないか?)


 健二がいくら強い選手だとしても、そこまで世話を焼くのは普通ではない。

 誠一はダーツを投げるとそんな思考を振り払った。





「すみません、岡崎君」


 放課後になり、空き教室を訪れた健二は、出会い頭に巴から謝罪を受けていた。


「お姉ちゃんが強引に頼んだって聞いて。岡崎君も迷惑ですよね?」


 姉から聞かされたのか、巴は仕切りに申し訳なさそうな顔をすると健二に頭を下げていた。


「別に、御堂先輩のためじゃない。ちょっとした取引をしただけだ」


 このまま放っておけばテストで赤点を取ってしまう。連休に休むための措置として静香の提案を受け入れただけだ。


 静香からの依頼は、巴にダーツの稽古をつけて欲しいという内容だった。


 現在の彼女の実力では奇跡でも起きない限り、部内のトーナメントを勝ち抜いてレギュラーになるのは不可能。

 いくら健二が有名な選手でもそこまで引き上げるのは無理なのだが、それでも真剣にダーツに取り組み空回りをしていた巴のことは勿体ないと思っていたのだ。


 健二が理由を告げると巴は首を横に振った。


「それでも、私は嬉しかったです。岡崎君ともう話せないのかと思っていましたから」


 巴は胸元で右手の拳をギュッと握ると嬉しそうに呟く。

 柔らかい表情を浮かべ優しい目で健二を見る。


 健二にとっても巴の顔を見るのはひさしぶりで、至近距離からこのような表情を向けられてしまうと、どうにも気まずく感じる。


「とりあえず、時間がもったいないから投げてみてくれ」


 健二は巴から視線を外すと指示を出す。自分は頼られたからここにいる。成果を出さなければならない。


「はいっ!」


 巴は返事をするとダーツを持ち、真剣な顔でダーツボードに向かい投げ始めた。


 ラインに右足を乗せ、距離を稼ごうと前傾姿勢になっているのか、左足が浮いていてふらついている。


 投げたダーツはてんでバラバラの場所に突き刺さった。

 健二は溜息を吐くと巴の横に立つと、彼女と目線の高さをあわせた。


 巴はそんな健二の顔を至近距離から眺める。


「まず、視線を狙いたい場所に向ける。そこに投げられるかは重要ではなく、意識しているかが大事になるんだ」


 真剣な表情でアドバイスをされ、巴は頷く。健二はとりあえず目についたところから指摘していくことにした。


「はいっ!」


 巴は健二の言う通り、狙いたい場所を意識して投げる。右腕を引く位置と速度が毎回違っており、腕だけでコントロールを付けようとしているのだとわかる。


「テイクバックは常に同じリズム同じ引き方。リリースもすべて同じタイミングでできるようにする」


 次第に指導にも熱が入り、健二は巴の一動を見逃さずに観察し続ける。


「……はい」


 健二の修正指示により、腕の振りが小さくなり、タイミングを意識したからかダーツを手から放すのが早く、ダーツがボードの下に落ちた。


「腕の力が弱いみたいだから腕の振りを大きくする」


「…………はい」


 自分がやろうとした逆を言われ、泣きそうになりながらも返事をすると、巴は腕の振りを大きくしたことでダーツはボードに届くようになったが、制御はできていない。


 そんな巴のダーツを観察した健二は、


「鍛える必要がありそうだから、筋トレも追加するか?」


「………………はい」


 そこで初めて巴の表情が変化していることに気付いた健二は、初っ端から少し言い過ぎてしまったことを察する。

 混乱の極致にある巴は、涙目になり顔を赤くしながらダーツを投げていたからだ。


「あっ、悪い。ちょっと言い過ぎだったな……」


 あの、楽しそうに投げていた巴の表情が歪んでしまっている。


 自分なら足りない部分をどう補うかについてばかり考えていたが、巴は女の子。スパルタ過ぎてはついてこられないだろう。


「いえ、岡崎君が真剣に教えて下さってるんです。私は大丈夫です」


 ところが巴は、そんな健二を見て表情を引き締めるとやる気を見せた。


 ダーツが上手くなるコツは正しい練習方法と向上心。巴に向上心があることは、これまで散々見てきた。


 健二は巴に気付かれないように少し表情を緩めると、


「今日のところは徹底したフォームの改善だ。間違ったフォームでいくら投げても途中で行き詰まるからな。手は抜かないぞ」


「はい! お願いします!」


 二人の熱い声が空き教室に響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る