第6話 持ち掛けられた取引

「うーん、どれにしようかしら?」 


 静香が健二を伴い入ったのはラ・パティスリーというカフェだった。

 珈琲とケーキが美味しい人気の店で、夕方に差し掛かった現在も多くの客がいて混み合っている。


 静香はメニューを凝視すると、何を注文するのかで悩んでいた。

 チョコレートケーキも捨てがたければ、シフォンケーキも捨てがたい。はたまたパンケーキという選択肢も外したくない。


 無数にある組み合わせの中からベストを選択する。それはダーツで培った勝負勘のように全身に沁みついており、自分が納得できる結果を残さなければ負けとばかりに静香は考えている節があった。


 健二はというと、とっくに注文を決め待っているのだが、そんな静香に声を掛けることがはばかられ、今では周囲の客を観察して暇を潰すことに徹している。


 近くにある聖条女学院の制服を着た女子の集団が見え、生徒たちはケーキやお茶を楽しんでいた。


 そんな中、幕乃倉高校の制服を着た静香と健二は目立っており、周囲の客もチラチラ視線を向けては二人の関係を邪推している。


「よし、この季節のケーキセットにするわ」


 しばらくすると、頼みたい物が決まったらしく、静香は手を上げウエイトレスを呼び注文する。


 静香は季節果物をふんだんに使っていると書かれていたケーキセットを選び、健二はティラミスを注文した。


 しばらく無言で向かい合い注文した物が運ばれてくると、静香はそれを早速食べ始めた。

 ケーキを小さくフォークで切ると食べる。艶やかな唇が動き、生クリームと果物の酸味が口いっぱいに広がった。


「んんー」


 静香は頬に手を当てると幸せそうな表情を浮かべており、そんな彼女の顔を健二はじっと見つめていた。


 健二に見られていたことに気付くと、静香は口の中のケーキを紅茶で流すとカップを置き、コホンと咳ばらいをしてからようやく要件を切り出した。


「先日はうちの部員が失礼したわね」


 静香は申し訳なさそうな声を出すと、友華の行動について健二に謝った。


「……別にまったく気にしてない」


 健二は表情を変えずそう返事をする。まるで先日のことなどなかったような態度に、静香は胸がざわつくのを感じた。


(本気で言ってる? それとも……無理をしている?)


 健二が放った「ダーツを辞めた」という言葉は静香も気になっていた。

 全中ダーツ選手権以降、健二の姿をダーツ界で見た者がいなかったので事実ではあるのだろうと……。


「……貴方のことは噂で聞いたことがあったの」


 静香は自分も健二の内情を知っていると仄めかす。事実、彼女は他の人間が知らないようなことも把握していたりする。


「っ!? それは……」


 健二の顔が強張る。もしかすると巴もあの事件を知っているのではないかと考えたからだ。


「先日、岡崎君が投げるダーツを見て、フォームが綺麗な割に技量がちぐはぐだと思ったわ。それは、あの事件が関係していたのね……」


 静香は紅茶を口に含むと、健二を見る。

 右腕をギュッと握る健二。そんな健二をみた静香は、まだ健二にダーツに対する想いが残っているのだと感じた。


(本当にダーツに未練がなければ巴の誘いに応じなければ良かっただけ)


 ダーツにかかわる時、健二はどこか及び腰で怯えているように見えた。

 もし本当にダーツに未練がなければ近付くことさえしないだろう。


 友華から勝負を持ち掛けられた健二からはあの瞬間、戦いを望む気配のようなものを感じていた。


 そのことを指摘したとしても、健二がダーツに戻ることはないだろう。

 なにせ、あれだけハッキリと皆の前で宣言してるのだ。


 健二ほどの存在が黙ってダーツ界から去って行く。それは静香のエゴではあるが勿体ないと思ってしまった。

 居心地が悪そうにティラミスを食べる健二を見て、静香は自然と言葉が漏れていた。


「今度、レギュラーを決める部内トーナメントがあるの」


「えっ?」


 唐突に話が切り替わり、健二は顔を上げると静香を見る。


「ああ、だからか……」


 そして、なぜ巴が昼休みに熱心ダーツの練習をしていたのか理解する。


「うちのダーツ部は実力主義。今年は有望な一年も入部したし、ここで頑張らなければあの子は永遠にレギュラーになれないわ」


 幕乃倉高校のダーツ部には強い選手が多数いる。静香や誠一は全国レベルの実力者だし、一年には友華の他にも全中ダーツ選手権に出場した新入生が他に一人存在している。


 そんな中、実力で劣る巴がレギュラーを取るのはとてもではないが不可能だ。


「実力勝負なら仕方ないんじゃないか?」


 勝負の世界は厳しい。あと一歩の力がないばかりに負けてしまうこともある。

 巴がレギュラーになれないのは単純に実力が足りないだけなのだから……。


 至極当然の回答に静香は笑みを浮かべると話題を変えた。


「ところで、うちの学校ゴールデンウイーク直前にテストがあるの知ってる?」


「急に……何のことだ?」


 静香の思惑が読めない健二は、警戒して彼女を見る。


「そのテストで赤点を取ってしまった場合、ゴールデンウイークは補習授業を受けなきゃいけないのよ」


 ところが静香が口にした内容に、健二は固まってしまった。


「岡崎君、勉強は得意かしら?」


 静香は答えがわかっているにもかかわらず笑みを浮かべ健二に確認する。


「……あまり」


 自慢ではないが、これまでの人生をダーツにつぎ込んできて、勉強は二の次だった。ハッキリ言って、健二が幕乃倉高校に合格したのは奇跡と言ってもよい。


「ちなみに、入試の時より問題は難しいわよ?」


 静香の追い打ちに健二はげんなりとした表情を浮かべる。

 受験から解放されてまだ二ヶ月も経っていないのに、あの時以上の難題が降りかかるのだと突き付けられたからだ。


「問題の傾向は毎年同じだから、過去問があれば合格点を取るのは簡単なのよね」


 静香はそう言うと顔を近付け健二の目を覗き込んだ。


 形の良い唇が開く。


「欲しい?」

「欲しい!」


 至近距離で見つめ合う。


 目の前にぶら下がった餌を無視できるわけもなく、健二は静香の思惑に関係なく即答していた。


「だったら、一つ頼み事を聞いて欲しいのだけど」


 静香は誰もが見惚れてしまうような笑みを浮かべると健二にその内容を告げる。


「OK。それじゃ、詳細に関しては後日連絡するわ」


 互いの連絡先を交換し立ち去る静香を、健二は溜息を吐きながら見送るのだった。

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