第5話 御堂静香

 健二がダーツ部を訪れた翌日。

 巴は日課通り、空き教室を訪れるとダーツの練習をしていた。


 いつものようにノートを広げ、自分が投げたダーツを数字に残していく。

 部室にあるダーツマシンとは違い、ここにあるダーツボードは自動で集計などしてくれないので手間が掛かるのだ。


 普段なら、予鈴が鳴るまで集中してダーツを投げ続けているのだが、今日はいつも見ている健二がいないので、いまいち集中することができない。


「来ませんね……」


 巴は形の良い眉根を寄せると、いつも健二が陣取っているソファーを見た。


 普段なら、巴が練習をしている間、健二は音楽を聴きながらじっと彼女が投げるのを見ているのだが、いないことで逆に集中力が削がれてしまう。


「岡崎君が、そんなに有名な選手だなんて、知らなかったです」


 巴にとって健二は、毎日練習している空き教室に来たら何気なくいた後輩の男子生徒だった。


 表情を表に出すのが苦手なのか、いつもムッとした顔をしており、話し掛ければ最低限の返事もしてくれる男の子。


 意外に優しくて、巴が予鈴を聞き逃さないかいつも心配もしてくれている。


 気が付けばいつも、投げたダーツの行方を目で追いかけていたので、健二がダーツに興味があるのだと思い誘ってみた。


「もしかして、誘われたの嫌だったんでしょうか?」


 巴が強引に誘ったから義理でダーツ部に顔を出しただけで、本人は嫌々投げていたのだとしたらどうだろう?


 帰り際、健二は「ダーツは辞めた」と宣言し、悲しそうな顔で巴を見ていた。その言葉を信じるなら、彼はもはやダーツをするつもりがない。


「岡崎君、もうこないんでしょうか?」


 健二の顔を思い浮かべ、巴は溜息を吐くと綺麗な顔を歪め悲しそうにする。


 あれだけハッキリと告げた以上、ダーツと――巴と関わるつもりはないのだろう。


 せっかく仲良くなれたのに。そう考えた巴は普段健二が座っていたソファーに座るとダーツボードを眺めた。


 まるでそうすることで健二の考えを感じ取ろうとするように……。

 予鈴が鳴るまで健二がくることはなく、巴はじっとボードを見続けるのだった。





 健二が巴に誘われダーツ部を訪れてから数日が経過した。

 その間、健二は空き教室に行くことなく教室で昼食を摂っている。


 一人で食事をしているわけではなく、入学早々に揉めた相手と仲裁した生徒と仲良くなり三人で食べているのだ。


 巴から「よく話してみた方がいいですよ」と言われ、勇気を出して行動したところ、相手も自分の言葉足らずを謝り、元々似た性格をしていたこともあってか一気に仲良くなることができた。


 本来なら、その点についても巴に礼を言わなければならない健二だが、あの日以来彼女と顔を合わせるのをきまずく感じている。


 健二は知らなかったのだが、静香と巴は学校内でも美人姉妹ということで有名で、好意を寄せる男子が多数存在している。

 人前で話し掛ければ注目を集めるので、どちらにせよ空き教室以外で健二が巴に話し掛けるのは無理だっただろう。


 友人ができはしたが、心の中には穴が開いたような虚しさが残る。


 健二は友華との再会を思い出していた。全中ダーツ選手権や他のトーナメントで何度となく対戦した相手。

 攻撃的なダーツを投げる強気な性格をしていて、その分精神的に弱く、対策を立てやすい相手。もし今の自分が戦うならと考え始めると意識が深く入り込んでしまう。


「おい、健二?」


 友人から声を掛けられ我に返る健二。あの日以来、気が付けばダーツのことばかり考えてしまっていた。


 声を掛けてきた友人に「ちょっと眠くて」と返事をして誤魔化すと、その日はこれ以上、巴のこともダーツのことも思い出さずに過ごした。





 放課後になり、健二はその日の夕食を仕入れるためスーパーを訪れていた。

 健二は現在、父親との二人暮らしをしている。


 父親は仕事が忙しく帰宅が遅いので、自分の晩飯の用意すればよい。健二はカートを押しながらも目に付くレトルトを放り込んでいった。


 一人でいると、先日のダーツについて考えてしまう。


 バレルを持った時の高揚感、ダーツを構えた時の研ぎ澄まされた感覚。思い通りに刺さらなかった時の苛立ち。

 何度打ち消そうとしても頭に浮かび、指先にはいつまでもバレルの感触が残っていた。


 カートを押すのを止め、自分の右腕を見ると、


「ようやく、忘れられると思っていたのに」


 胸が痛む。ダーツを辞めようとしているのに、身体がダーツを欲してしまう。

 もっと投げていたいと感じてしまう。そんなことを考えてはいけないのに……。


「あら、岡崎君じゃない」


 突如、名前を呼ばれ振り返る。

 一瞬、巴が声を掛けてきたのかと思ったが、違ったのでホッとした。


「御堂……先輩?」


 一度、部室で話しただけの静香が何故話し掛けてきたのか?

 健二は疑問を浮かべると彼女を見た。


「私は買い物よ。部室のお菓子の補充にね」


 ここで遭遇したのは偶然だとアピールするため、静香は籠を持ち上げてみせる。

 中身は本人の言葉通り、お菓子の袋が大量に入っていた。


「岡崎君は晩御飯の買い物かしら?」


 静香がカートを覗き込むと、カップ麵やカレーやスープなどのレトルトしか入っていなかった。


「これが夕飯? 健康にはあまり良くないわよ」


 顔を歪め忠告をする静香。


 こういう世話を焼きたがる部分は巴と似ている。そんな二人の共通点に健二がわずかに口の端を動かし表情を緩めていると……。


「そうだ、ちょっとだけ時間もらえないかな?」


 静香は健二に顔を近付けると、そっと囁き店の外に連れ出した。

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