第2話 巴からの誘い

 巴と健二が空き教室で初めて話してから一週間が経過した。


 最初は通う事を止めようかと思った健二だが、この空き教室以上に好条件な場所を探すのが面倒ということもあり、ここで昼食を摂り続けている。


 巴も毎日昼休みに訪れてはダーツの練習をしている。健二が把握している限り、一日たりとも休まずにだ。


「えいっ!」


 弁当を持ってきてはいるが、昼食をそっちのけにしてダーツの練習をしている巴を見て健二が抱く感想は……。


(あまり上達が見られないな)


 健二の目から見て、ただがむしゃらに投げているようにしか見えず、無駄な努力というしかない。

 パンを食べながら巴のダーツを見続けている健二は、頭に疑問を浮かべている。


(そもそも、なんでこんな空き教室で練習をしているんだ?)


 机にはダーツの道具が詰まったケースが置かれている。どうみても本格的にダーツをしているのは明らかで、それだったらこんなところで投げるよりは、誰か人と一緒に投げた方が身になるだろう。


 上級者がフォームの調整をするのとは違い、巴は明らかに初心者レベルなので、客観的に指摘する人間が必要だ。


 健二がそんな分析をしていると、ダーツを回収して戻る巴と目が合った。


「もしかして、岡崎君もやりたかったりします?」


 巴が首を傾げるとさらさらと髪が揺れる。琥珀の瞳が大きく開き、探るように健二を真っすぐ見てくる。


「……いや、俺は別にいい」


 少し考えた末、健二は手を振るとそう答えた。


「でも、ずっと見ていませんでしたか?」


 薄桃の唇に細く白い指を当て首を傾げる巴。完全にダーツに集中しているかと思っていたが、健二の視線に気付いていたようだ。


「……別に、ちょっと考え事をしていただけだ」


 指摘され、咄嗟に言い訳を口にする。


「何か悩みでも? もし、私で良ければ相談に乗りますけど」


 ところが、その言い訳が良くなかった。巴は顔を近付けると、健二の悩みを聞こうとする。

 長い睫毛と整った顔立ちが健二の視界に飛び込んでくる。ダーツを投げていたからか巴の頬は紅潮しており、瞳が潤んでいる。ただでさえ美しい巴がそのように無防備に距離を詰めてきたので、直視できなかった健二は顔を逸らした。


「……ただちょっと。教室で揉めただけだ」


 きっかけは些細なことだったと思う。相手は健二と同じく口数が少ない男子で、悪意のない言葉を互いに咎めている間に険悪になってしまった。


 結局、一人のクラスメイトが間に入りことなきを得たのだが、今でも少し引きずっている。


 その時の状況を、健二は巴に説明するのだが……。


「そうですね、それは仕方ないことなのかもしれません」


 巴は誰が悪いと責めるでもなくそう言った。


「多分、岡崎君とその男子生徒は似ているのでしょう? そうなら、もっと腹を割って話してみてはいかがでしょうか?」


「あいつと?」


 近寄る者を威圧する雰囲気と、常に不機嫌なオーラをまき散らす様を見て、誰が近付くというのか?

 そんなことを考えていると、巴は口元に手を当てクスリと笑う。


「知り合った最初の岡崎君は概ねそんな感じでしたよ」


 巴にそう言われてしまってはぐうの音も出ない。


「ですが、私は岡崎君がとても優しい男の子だと知っていますから」


 巴は胸の前で両手を重ねると目を閉じ優しい笑顔を浮かべる。


「俺が? あんたに特に優しくした記憶はないんだが?」


 知り合ってからろくに会話をした記憶がない。同じ部屋で昼休憩を過ごしただけなはずなので、どこにそう判断をする要素があったのか首を傾げた。


「予鈴が鳴ったことを教えてくれたじゃないですか。お蔭で授業に遅刻せずに済みました」


 なんとも安易な評価に健二は呆れて口を開いた。


「とにかく、その揉めた男の子も悪気があったわけではないのは岡崎君もわかっているのでしょう?」


 巴に諭されると、健二も頷かざるを得ない。


「それに、仲裁してくれたクラスメイトもです。間に入るというのは非常に勇気がいることなんです」


 巴は右手の人差し指をピッと立て、健二を諭す。


 確かに、健二も揉めた相手も体格が良く目付きが鋭いことから、他のクラスメイトは遠巻きに見ているだけだった。


 それを止めたということは、そのクラスメイトも信用できるのだと、巴はそう主張する。


「……まあ、その内……話してみるか?」


 自分のぶっきらぼうな物言いが事態を招いた自覚がある健二は、巴のアドバイスに従って話してみるのも悪くはないと考えた。


 そんなやり取りをしている間に予鈴が鳴る。巴はダーツを片付け始めた。


「何か、練習の邪魔したみたいで悪かったな」


 いつも巴が真面目に練習をしているのを知っているだけに、健二は申し訳なく思い、頭を掻くと謝った。


「いいえ。岡崎君とこうして話せたのですから、全然構いませんよ」


 元々人が良いのか、相談に乗るのに慣れているからか、巴は気にした様子なくそう答えた。


 先に教室に戻る気が起きず、巴が道具を片付けるのを待つ健二。二人揃って教室を出たところで巴がふと話し掛けてきた。


「そうだ! 良かったら、部活の見学に来てみませんか?」


「部活?」


 巴の提案に、健二は一体何部なのかと首を傾げる。


「私ダーツ部員なんです」


 幕乃倉高校にはダーツ部が存在している。部員数も多く、大会でもそれなりの実績を挙げている。巴はそんなダーツ部に所属している。


「いや、俺は……」


 ダーツに興味などない。そう言おうとする健二だが、なぜか言葉が上手く出てこない。


「それじゃあ、今日の放課後、部室にきてください」


 もたつている間に授業の時間が迫り、巴はそう告げると足早に立ち去って行った。


 結局、断ることができず途方に暮れた健二は……。


「……よりにもよってダーツかよ」


 健二は左手で右腕を掴むと、苦い表情を浮かべるのだった。

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