第41話 尾行

「はぁ……」


 任意とは名ばかりの事情聴取が終わり、警察署を出ると、周囲は暗闇に包まれていた。


 スマホで時間を確認すると、時刻は午前二時。深夜だった。


「まいったな」


 警察署を出て、人通りの少ない路地を歩く俺の後ろには、スーツ姿の男が二人、こちらをつけてきている。


「やっぱりまだ疑われてるのか……」


 思い巡らせるのは、つい先ほどまで続けられた事情聴取――


「ほんまはわれがやったんじゃないのか?」

「だから、俺は本当に何もやっていません」

「じゃったら名前は? なんで言えんのじゃ? マスクも外せん。名前も言えん。お前さんちいと怪しすぎやせんかぁ? 疑うてつかぁさいって言うとるようなもんじゃろ」


 たしかに、この刑事さんの言う通りだ。もし俺が刑事さんの立場でも、同じように俺が怪しいと思っただろう。


「ええ加減、外したらどうじゃ?」


 ……仕方ない。


「……笑わないと約束してくださいよ?」

「人様の顔見て笑うほど、わしゃ失礼やなか」


 このままでは埒が明かないと考えた俺は、受け入れるしかないという風を演じながら、ゆっくりとマスクを外した。


 すると、


「ぷっ、ぎゃはははははは、なんかぁ、その顔は!」


 禿げ頭で出っ歯の俺の顔を見ると、刑事さんは腹を抱えて大笑い。人の顔を見て笑わないと誓った優しい心は、一瞬でどこかへ消えてしまったようだ。


「にしても、その若さでぶち禿てるんじゃのぉ。その出っ歯もすごいのぉ。マスクを被りたがるわけじゃのぉ」


 刑事さんは、今も人の顔を見てにやけている。

 だが、この顔は、マスクの中で『擬態Ⅳ』を使って作った偽物フェイクである。


「身分証をみせてくれるか?」


 俺は刑事さんに従い、探索者ライセンスを提示した。


「名無権兵衛……こがいな名前のやつげにるんじゃろうか?」


 刑事さんは嘘くさい名前じゃのと言いながら、紙幣の透かしを確認するかのようにライセンスカードを確認していた。


「もういいですよね!」


 俺は素早く、刑事さんからライセンスを奪い返した。

 このライセンスカードは『造形技術』と『性質変化』を組み合わせて作った偽造スライムカードだ。ダンジョン協会に連絡されて、ライセンス番号の照会をすればすぐに偽物だとばれてしまう。それが露見する前に、事態を終わらせる必要があった。


「もうちいと見してもろうて――」

「それより刑事さん! 犯人は人間とは限らないんじゃないですか?」

「そりゃあ、どがいな意味じゃ」


 と、刑事さんは興味深そうに机に肘をつき、身を少し前に乗り出した。

 どうやら、うまく興味を引けたようだ。


「あれ? ギルド長から聞いていませんか?」

「何がじゃ?」

上位悪魔グレーターデーモンの話ですよ」

上位悪魔グレーターデーモン?」


 俺は、刑事さんの注意を逸らすために、わざと上位悪魔グレーターデーモンの話を持ち出した。


 刑事さんは、そがいな馬鹿な話は信じられんと鼻で笑っていたが、



「可能性としては高いと思うんだよな」


 警察官殺しが起きた日は、偶然にもメフィストフェレスがこの世界に現れた日だった。

 この二つの出来事がまったくの偶然ではあるとは、俺にはどうしても思えなかった。


 自動販売機で紅茶を買いながら、俺は微妙な距離を保ちつつ、尾行している二人をそっと確認する。


 あれをどうにかしなければ、羽川さんとエルミアが待つマンションには帰れない。

 今帰ってしまえば、俺がついた嘘もすべて露呈する。そうなれば、偽証罪に問われるだろう。


「はぁ……」


 さて、困ったなと考え込みながら、俺は公園のベンチに座り、缶のプルタブを開けた。

 マスクの口元をほんの少し開け、紅茶を啜りながらステータスを確認する。


 チェックするのは、種族別能力解放画面。選択する種族はスライム。


 スキル『スライムトンネル』……これだ。


 以前から気になっていたスキルではあったのだが、習得に必要なSPが500も必要ということから、なかなか手が出せなかった。


「ギリギリだな」


 現在、俺が保有するSPは508なので、習得は可能だ。

 ただし、これを習得してしまったら何もできなくなる。


 でも、


「このままじゃ帰れないんだよな」


 電柱に身を隠す刑事さんと、遠くからこちらを観察する刑事さん。そして、不自然に停まった黒のセダン。


「はぁ」


 頭が痛い。


 やむを得ず、スキルツリーから『スライムトンネル』を習得した俺は、習得したスキルの効果を確認する。


 スキル:『スライムトンネル』

 効果:スライムトンネルはイメージした場所にスライム状の亜空間トンネルを開通させる能力です。必要MP100〜∞

 ※移動可能な距離は消費MPによって異なります。


「――――ぷぎぇっ!?」


 MPを100も消費するの!?

 その桁違いのMP消費量に俺は驚き、変な声が漏れかけた。


 急激に上昇した心拍数を鎮めるため、残りの紅茶を一気に飲み干し、俺は席を立った。缶をゴミ箱に捨て、さりげなく手を組んで大きく伸びをした後、公衆トイレに向かう。


 その際、監視用として蚊スライムを放出した。


【墳墓の迷宮】内で剣聖に監視スライムを見破られたときから、次は決して発覚しない方法を考えていた。


 そして、閃いたのが蚊型のスライムだ。


 ブ~ン。


 試しに『探知Ⅲ』を発動すると、脳内にウインドウが開き。クリアな映像が映し出された。成功のようだ。


 小さくガッツポーズをしながら、俺は公衆トイレの個室に入っていった。

 俺がトイレに入ったことを確認すると、電柱に身を隠していた刑事が素早くトイレまで駆け寄り、壁に身を隠しながら中を確認している。


「よし」


 刑事さんがトイレの中まで入って来ないことを確認した後、俺は『スライムトンネル』を発動した。


「おおっ!」


 スキルを発動すると、どこからともなく宙に渦状のスライムが現れた。初めは野球ボールほどの大きさだったが、徐々にフラフープほどの大きさに膨らんでいく。その外見は、まるでSF映画に登場するワープゲートのようだった。


「すごっ!」


 緊張しながらもトンネル、いや穴をくぐり抜けると、そこには俺が思い描いていた通り、自宅マンションのゴミ捨て場が広がっていた。ここなら他人の目を気にする必要もなく、監視カメラに映る心配もない。


「あっ!」


『スライムトンネル』を通ってかなりの距離を移動したため、俺の放った蚊スライムが消えてしまった。『操作範囲拡大Ⅳ』で操作できる魔力は、俺の周囲400メートルまでだということを完全に忘れていた。


「ま、いっか」


 これまでは【女神のなみだ】を探すためにダンジョンに潜り続けていたが、今は異世界への行き方を見つけることが最優先だ。それが【女神のなみだ】を手に入れるための最も確実な方法なのだ。


「しばらくは、ダンジョン探索はお休みするしかないな」


 あの刑事さんに見つかってしまうと、色々とめんどくさいことになってしまう。

 幸い、【墳墓の迷宮】七層はすでに調査済みだ。


 日本の警察の捜査能力なら、犯人を捕まえるのは時間の問題だろう。

 その後、再びダンジョンに行けばいい。


 しかし、考えてみると。


 もしも犯人がメフィストフェレスだった場合、果たして警察に捕まえられるのだろうか。

 捕まえるどころか、警察はメフィストフェレスにさえ辿り着けないのかもしれない。

 なんたって相手は上位悪魔グレーターデーモンなのだ。


 もしそうなれば、消えたアンデッドマンが警官殺しの容疑者に仕立て上げられてしまうのでは?

 というか、トイレから消えた時点で、既に怪しいと疑われているはずだ。


「あれ……これヤバくない?」


 早く帰りたい気持ちが強すぎて、色々とやってしまったかもしれない。




 ◆◆◆




「遅い!」


 巡査長役所章吾やくしょしょうごは、霊園町で発生した警察官殺人事件の調査を行っており、公衆トイレの壁に張り付くようにして、すでに30分も時間を費やしていた。



「腹でも下したんですかね?」


 と、部下の男が軽はずみにつぶやくと、役所章吾の怒りが顕在化した。


「バカタレ!」

「いたっ!?」

「あいつは取り調べ中に出された水にも、口一つ付けんかったんじゃぞ。それでどうやったら腹を下せるんじゃ!」


 痺れを切らして公衆トイレに入ろうとする上司の手を、部下が必死に掴み取った。


「それはまずいですよ!」

「確かめるだけじゃ。問題ない」


 部下の手を粗暴に振り払った男は、被疑者が入った個室の前で足を止め、何度かノックをした。


 ――コンコンコン。


「……」


 内からの返答がない。

 男は部下を見て、再びノックをした。


 コンコンコン。


 再び返答がないことに苛立ちを覚えた男は、次第にドアを叩く手に力を込めていく。


 コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン――――ドンッ!!


「返事くらいしたらどうなんじゃッ!」


 怒りに身を委ね、男はドアを蹴り破った。その瞬間、目が驚きで見開かれ、同時に息をのむ。


「くそったれぇッ! 松坂、すぐに応援を呼ぶんじゃ」


 上司が鬼のような顔つきで公衆トイレから飛び出てきた。驚いた部下は、状況を把握しようと個室を覗き込んだ。そして、ようやく事態を飲み込んだ。本来そこにいるはずの被疑者の姿が、どこにも見当たらなかったのだ。


「なめたマネしくさりおって、あの禿出っ歯ッ! はよせんかぁっ、松坂!」

「は、はいっ!」


 夜に男の怒声が響いた。

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