第5話
◇◇◇
「どうして私がァァァ───」
血反吐を吐くかのように兄が叫び声を上げ続けた。
『どうして私が……』だって?
それは
予想外の展開に私はただ……声もあげることも出来ず、渦中の者である兄リュドや、彼女を護るべく大勢の前に立ちはだかったライノのようにはなれず、ただ一人の傍観者としていることを強いられたのだった───
◇◇◇
陛下や王妃様の指示によって早急に王宮内の騒ぎが収められた。
そして、先程までの夜会の続きが始まり、はじめはざわついていたものの、次第に何事もなかったかのように、その場は沈静化したのでした。陛下達にとっても口に戸は立てられないことは織り込み済みでしょう。
そして夜会が終わると、私は陛下や王妃様に別室へと呼ばれました。
「フランよ、この度はご苦労であった」
陛下が私へと告げられました。
「フラン、ごめんね。愚息が迷惑掛けたわね」
さらに王妃様が頭を下げられました。
私は慌てて、「そのようなことは」や「頭を上げてください」と言い募り、ようやく彼らは謝罪をやめてくださいました。
それを見て、ライノ様はくっくと笑い、第二王子のエドガー様は無表情を貫かれておりました。そして、両腕を背側で拘束され、猿轡まで噛まされたリュド様が目を剥きました。
「外してやれ」
陛下の命に従い、騎士の一人がリュド様の猿轡を外されました。
「どうしてですか父上!! どうして私にこのような仕打ちを───」
「黙りなさい」
王妃様がぴしゃりと仰った。
それを見て陛下が長い溜息をつかれました。
そこには疲れや落胆の色が見えました。
「フランよ、謝ったばかりで何だが、もう一度先に謝っておく。
私達は、【王家の影】を通して全ての状況を把握しておった」
陛下の言われた【王家の影】というのは、まことしやかに囁かれていた実在するかも怪しい、国の諜報組織のようなものだ。
まさか本当に存在していたとは───
「私達は見ておった。そなたがどのように対処するか、リュドをはじめとする三人の息子がどのように動くかを」
「私達は、今回の件を試金石にすることに決めていたの」
試金石……? なら私は───
「フランには一切の瑕疵はない。むしろ、リュドの無思慮不誠実な対応を受けても、常に上位貴族としての誇りと優雅さを持ち、周囲のことを考えて動いていたそなたの優秀さは、我が国の誇りですらある」
陛下が私の首筋───ペンダントを見てにやりと笑った。
「そして、そなたは万が一のときに打って出る大胆さも持ち得ているな。我々の目から見て、そなたは満点であった」
陛下が子どものように手を叩き私を褒め称えた。
その様子は多少はしたないものでしたが、常日頃から威厳をまとっている彼にはどこかマッチしておりました。
「だというのに───それに比べてお前は」
陛下と王妃様の目がすっと厳しいものとなりました。
「リュド。ずっとお前を監視しておった。当たり前だろう。バカな女に簡単に籠絡されおってからに。そなたには、周囲を通じて何度も考え直すようにも諌めさせたが、それも無駄だったようだ」
彼の側仕えや、古くから使える執事長達、それだけでなく親しい上位貴族の当主達からも、彼は苦言を呈されていた。
しかしその度にリュド様は「私が王座に就いたあかつきには彼らにはそれ相応の報いを与える」と仰ってました。
「アナタには本当に失望しました。いつか気づいてくれると願っておりましたが、全ては徒労だったようですね」
王妃様はリュド様を第一に可愛がっておいででした。
その彼女が厳しいことを言っていることに、リュド様が驚いたようで口をパクパクとさせました。
「アナタは、最も信じなければいけない婚約者を蔑ろにし、彼女の努力や能力や性格すらも把握できていませんでしたね。将来のことを考えてみなさい。敬愛すべきパートナーを信じずに誰を信じられると言うのですか? 答えなさい」
リュド様は答えられない。
「周囲の厳しい意見に一つたりとも耳を貸すことなく、それどころか彼らを敵対視する始末でした。王太子である今ですらこうなのですから、アナタが国の上に立ったときどのようになるかは火を見るよりも明らかです」
リュド様は、王妃様を直視出来ず俯かれました。
「挙句の果てに、アナタは、バカで愚かな女に騙され大勢の前で醜態を晒し、それに婚約者を巻き込み、あまつさえ彼女に冤罪を被せようとした。私は本当に情けない。情けない。けれどこれは───」
リュドの教育に失敗した私達の失態でもあるのでしょう。
疲れた声で王妃様がそう仰ったのでした。
◇◇◇
「それに比べてライノ、そなたはまあよくやった」
「いえ、そのようなことは」
「【王家の影】が全てを把握していると察していたことも、【王家の影】の存在を大勢の前で明らかにしなかったこともそうだが、あの土壇場での立ち回りときたら大したものであった」
どこか粗野でワイルドなライノ様が、照れたようにガシガシと頭をかかれました。
「もし、そなたの思惑がハズレ、【王家の影】がこれら一連の出来事を把握しておらなんだらどうするつもりだったんだ?」
「いえ、それはないでしょう。王太子である兄さんと、兄さんに纏わりつくグランジェ令嬢のことも、将来の王妃であるフランチェスカ嬢のことも【王家の影】たる者達が知ってないはずがない」
「なるほど、な。ならもし今回の件でリュドが正しく、フランの方が嘘をついていた場合どうしたんだ?」
「どうもこうもないでしょう。そもそも、日頃からあれだけ周囲に慕われ、自分の時間さえ削って頑張っている彼女が、兄さん達が言ったようなバカをするわけがないでしょう」
「違いない」
ライノ様の返答に陛下と王妃様のお二方が気分良さそうに笑われました。
「なんですか? 二人で俺の何がおかしいって言うんですか……俺はただ、兄さんのフランチェスカ嬢に対する仕打ちがあまりにも許せないものだったから……」
「なるほどのう……」と陛下はにやにやとした笑みを浮かべると、今後のことはしばらく協議したあとで各家に告げると仰り、その場は解散となったのでした。
◇◇◇
部屋を出てライノ様が一人になったところで、声を掛けました。
「ライノ様、助けていただいてありがとうございました」
「いや、全ては兄さんが悪い。気にしないでくれ」
頭を下げた私に、ライノ様がわたわたと手を振りました。
リュド王子の婚約者であった私は、彼とはほとんど交流を持つことがなく彼のワイルドな風貌と剣技がお好きという話から、『彼は粗暴なのか?』というどこか偏見のようなものを持っていました。
しかし、たった一時の時間ではありましたが、彼が思慮に富み、思い遣りのある人物だと分かりました。
「それに、フランチェスカ嬢は」
はて、私がどうしたのでしょうか?
「俺が前に出なくとも、自分一人の力で何とかできたのだろう?」
彼の視線が私のペンダントへと向かいました。
「けど、そうだな。フランチェスカ嬢が大勢の前で、自らの手を汚すようなことがなくて良かった。それだけでも、俺が前へと出た甲斐があったというものだ」
彼がはにかんだ。不意打ちだった。
「一つ、訂正を」
「ん?」
私の言葉に彼は怪訝な声を出した。
「自分で何とか出来るからといって、誰の助けもいらないわけではありません。一人は心細く、辛いものです。ライノ様はそんな状況から私を助けてくれたのです。感謝してもし切れません」
その私の本心だけは、どうか彼に伝わりますように。
私は願うように彼へと、感謝の言葉を述べたのでした。
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