よく泣く君が死んだ

芝川愀

よく泣く君が死んだ

よく泣く君が死んだ。春だった。死ぬと思っていた。君はたしかに死にたがっていた。君が死にたがっていることなんて知っていたけれど、僕が一番知っていたけれど、でも僕は君に死んでほしくなかった。君は僕を許さないだろうか。君は僕を許してくれなかったから死んだのだろうか。君は僕をどれだけ想っていたのだろう。僕は君を、僕は君をこれっぽっちのちっとも想っていなかった。だから君が死んだことも来月には記憶の端っこに追いやって忘れてしまうだろう。なんだってたって夏が来る。その前に梅雨が来る。雨は君の記憶なんて洗い流してしまう。そしてまたきっと思い出して泣くのだろう。夏なんて来なければいいのに。


「カゲロウとウスバカゲロウはまったくの別種なんだ。カゲロウは幼虫が水生なのに対し、ウスバカゲロウの幼虫は陸生のアリジゴクだ。カゲロウの成虫は数時間しか生きれない。ウスバカゲロウは一ヶ月ほど生きる。カゲロウの成虫は口が退化してしまっていて摂食することができないんだよ」


「ウスバカゲロウが陸生?水生じゃなかったか?交尾のあと、水辺に大量の死骸を浮かべるのは……」


「カゲロウだよ。カゲロウは本当に儚いんだ」


「じゃあ、梶井基次郎が誤りか。あの頃は特に区別もなかったのかな」


「そうじゃない?」


「桜の樹の下には。ねえ、桜の樹の下にはなにが埋まっていると思う?」


「からかわないでよ。そのくらい知ってるよ」


「そっか、それは……」


「ねえ、私はどんな花を咲かすのかな?」


僕は言葉に詰まる。君の目を見る。君は桜に向けてシャッターを切る。


「きっと綺麗なやつだよ」と僕は言う。


カゲロウ。英名-Mayfly。冥府来。五月の飛び降り自殺。陽炎。君の温度。夏。


河川敷。両手いっぱいの花火は文字通り花束みたいで、踊る君は揺れる火のそのもののように見えた。花火を終えた君と僕は、シャボン玉を吹きながら暗い水面を眺めていた。


「この時間が永遠に続けばいいのにな」


「永遠。永遠が欲しいの?」


「たぶん。たぶん僕は永遠が欲しい」


「そっか。私は永遠なんてほしくない」


君はライターで火をつけ、バッグから取り出したものを燃やし始めた。それは本だった。僕は瞬時に理解する。ああ、間違えたのだ、と思う。風が吹き、水面が揺れる。君の横顔が、見れない。


金閣寺。吃音症。世界で二頭だけの52ヘルツの鯨。生きようと思った。焚書。火。火。火。夏。


ずっと早く大人になった。まだ皆は蛹のぐじゅぐじゅで、私はちょっと優越感。背中には大きな翅、早く乾かないかなあってパタパタしてみた。私はこれでどこまでだって行けるんだ。空は青いよ。自由って、世界って、本当に素晴らしい。


 蛹から皆が出てきた。大げさに再会を喜んで、ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた。うるさいなあって思うけど、お姉ちゃんだし、我慢我慢。ぐるっと辺りを見渡して、またちょっとだけ優越感。私より小さい子ばっかりだ。


 一匹目が飛び立つと、二匹目が飛び立つ。二匹目が飛び立つと、三匹目が飛び立つ。三匹目が飛び立って、私の翅は動かなかった。あれれ、私の翅って真っ白だ。湿って身体から離れない。ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱたり。私はなんだかおかしくなって、ああそっかあって笑ってみせた。


 私は、恋とか友情とか、そういうありふれたものが欲しい。


廃ビルを眺めている。焼き直しの物語ももう何度目だろう。物語の体を成していないものを、それでも物語だと言い張って、あるいはエッセイだとかポエムだとかそうやって逃げて、それになんの意味があるのだろう。電光掲示板とかポルノ映画とか桜の樹の下とか雪とか、飲むヨーグルトとかコンビニスイーツとか廃ビルとか紙飛行機とか花火とか、核戦争とか、Shelterとか、いったいなんの意味があるのだろう。


懐古。蚕。飛べない翅。


五月の夕、僕はベンチに腰掛ける。児童公園には吸い殻と抜け殻が落ちている。屍体を吸い尽くした桜が儚げに咲いている。誰かの夢の跡みたいな、塩辛い味が舌を触る。解体工事中の廃ビルを見つめて、きっと僕は、人並みに彼女の死を悲しんでいるのだと思う。 イルミネーションの中で彼女とナイフを振り回したかった。ボニーとクライドになりたかった。でもそれは叶わなくて、世界は続いたままだった。僕らはお互いに羽化不全個体だった。翅の透き通らないまま、殻をつけたまま大人になった。蛹をこじ開けて、ぐじゅぐじゅなまま逃げてきたんだよ。飛び立てない。何処にも行けない。生殖能力もない。欠けたまま。ずっと欠けたまま。でもそれは比翼の鳥のようでもあって、彼女となら、と思えた。人が死なないと進められない物語が憎かった。 僕はもう、生きようとは思えなかった。 ふらふらの足で歩いた。わざと酔ったふりをした。空を睨んだ。僕の背中は明るく光る。それはそれは綺麗な景色だった。


とか。(笑)


もうやめにしようと思います。ごめんなさい。わざとぐちゃぐちゃにしてごめんなさい。僕には、もう、なにもできません。本当になにもできないので、本当にごめんなさい。本当に、ごめんなさい。ちょっと、もう本当に、本当に限界みたいです。ごめんなさい。


「終わらせるために書くの?」「そうだよ。終わらせるために書くんだよ」


ごめんなさい

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