バレンタインの意義

がららん坊

第1話

2月14日、僕はこの日が苦手である。いや正確に言えば年越しをしてからこの日までが苦手だ。というのは僕という人間がチョコレートが嫌いだからだ。あの甘ったるい香りが苦手なのである。そのお陰でチョコレートを祭り上げるバレンタイン、2月14日が嫌いだ。


「チョコレートあげる! 」


小学校、中学校、高校、好きな人に渡す為にわざわざクラスメイト全員に配る女子のお陰で貰うチョコレート。それは時には母の胃袋、父の胃袋、兄の胃袋、最悪な時はゴミ箱の口に放り投げられることさえあった。

申し訳ないと思うが、ゴミ箱の中にいる甘ったるい怪物ともう一度戦う勇気も気力も僕には無いし、どうせ本命でもないので許されるだろうという気持ちが大きく罪悪感を消していた。


今、20歳。大学ではチョコを全員に配るという業者レベルの女の子は流石に居ないわけで、僕は去年の経験から今年のバレンタインも気楽に構えていた。

しかし聖人バレンチヌスもびっくりするような出来事が年末に起きてしまった。

彼女が出来たのである。

特別美人でも無い、平々凡々な僕の鏡合わせのような素朴な後輩彼女。内情を深くまで未だ知れていない仲である。付き合う過程として色々ありはしたのだがここでは割愛して彼女が僕に告白してくれたという事だけ報告しておこう。


僕は案の定悩んでいた。恐らく彼氏としてチョコレートなるものを彼女から貰い受けるのだと思う。しかし僕はチョコレートは苦手だし、彼女は僕に味の感想を求めるであろう。そして僕は彼氏として良い味の感想を彼女に言うべきだ。そう、どうあがいてもチョコレートを食べなければならない。

今日は2月13日、そして先程彼女から明日の学校終わりに会いに行くね、とのメッセージ。


僕には選択肢がある。

①正直にチョコが苦手なことを言う

②体調不良を装い会わないようにする

③無理して食べる


①の選択肢が最良なことなど僕は分かっているのだが、いかんせん今日はバレンタインの前日。彼女はきっとチョコを作っている、伝えるタイミングとしては最悪だ。嫌なことを先延ばしにした自分が悪いのは重々承知の上だ。

となると②、③のどちらかを選ぶことになる。

ただ②は人としてどうだろうか。仮病を使ったとしても99%はバレないだろうが1%の可能性があるならば、もしそれが起こってしまえば破局待ったなしである。確かに僕と彼女は10年来の恋人でもなんでもないし、アツアツほやほやでもない仲ではあるけど、彼女は誠実な人という事は接している中でよく分かっていた。そんな人に仮病。クズの極まりだ。僕にはそんなゴミクズ同然の行為は出来ない。

つまり必然的に③しかない。そう、日本男児覚悟を決めることが大切。腹を切るわけでもないのだから、口に放り込んで素早く飲み込めばいいだけなのだから。日本男児、やるべき時にやらねばどうする。


僕は眉間に皺を寄せ覚悟を決めた。



____________________


二月十四日


男はいつもと少し違う面持ちで、少し違う心持ちで今日という日を過ごしていた。バカな友達には

「おま、今日キマッてんなぁ。まさかっ…クスリじゃないよな」

と、小声で周りをちらちら見ながら疑われ、またある友達には

「お前に限ってチョコレート貰おうってこたぁないよな。ヤッたん笑?」

とセクハラを受け、しかしそれをものともせず男はただただチョコレートを食べた時のシュミレーションを頭の中で行っていた。


箱を開ける(丁寧に)、嬉しそうな顔をする、1つつまむ(右端から親指、人差し指、中指で、赤子を触るかのようにそっと)、口に入れる(鼻で息をしない)、咀嚼(最低3回)、飲み込む(向日葵のような笑顔で)、感想を言う(向日葵のような笑顔で)。


完璧だ。


講義も終わり、男は門の前で彼女を待っていた時、新着メッセージに気づいた。


『ごめんなさい、教授に呼ばれたので遅くなります。家行くから家で待ってて』


困り顔をしたスタンプと共に来たそれに男は少しばかり緊張を解き、帰路についた。暗くなり始めた空の下で、彼女が自分に作ってくれたチョコレートはどんなものなんだろう、と男は考えた。ミルク、いちご、ビターなもの。トリュフとか、クッキーだったりするのかもしれない。男はその時に、意外と楽しみにしている自分に気づいた。チョコは嫌いだけれど、彼女が自分に作ってくれるチョコレート。それは甘美な響きを持っていた。


すっかり空が真っ暗になった頃、インターホンが鳴った。


『ごめんください。ちょこの配達に来ました』


機会から女の優しい声が聞こえた。


『今開けます』


少し早足で玄関に行きドアを開けると、鼻を赤くした彼女がお酒を持って立っていた。


「失礼します。先輩、日本酒持ってきました!」


ニカッと笑って彼女はそう言った。


「え、まだ君19だよね。…とりあえず部屋の中入りな。寒いし」

「失礼します…もちろん、私は飲みません。飲むのは先輩だけです」


男はとりあえず炬燵に彼女を入らせ、詳しい話を聞くことにした。


「炬燵ってやっぱ良いですね…」

「そうだね…でその日本酒どうしたの」

「先輩に飲んでもらおうと思って…あ、日本酒は苦手でした?」

「いや、全然好きだけど」

「なら良かったです。えっと…私が日本酒を持ってきた理由としてはこれです!」


彼女はカバンから小さな器を取り出した。


「それは…? 」

「ちょこです」

「え、」

「お猪口です。洒落ですよ先輩」


男はどう反応すれば良いか分からなかった。地味だと思っていた彼女は意外と駄洒落が好きだったらしい。


「…そんな困った顔しないで下さい。…先輩、チョコレートが世界で1番苦手だと聞きました」


彼女は恥ずかしそうに、しょもしょもしながら言葉を発した。ここで漸く男は合点がいった。つまり、彼女はチョコレートを男が苦手ということを何処からか聞いて代替案を考えてくれたのだ。


「あ、ありがとう…ほんとにチョコレート苦手だったから、あ、いや、僕のことを考えて用意してくれて嬉しい。ありがとう」


男がそう言うと、彼女はポカンとした後嬉しそうに笑いだした。


「ふふ…喜んでくれて嬉しいです」

「ところで…何処で手に入れたのこれ」

「企業秘密です。ささ、先輩。どうぞ」


無理やり彼女に猪口を持たされ、日本酒をつがれる。詳しく聞こうとおもったけれど、彼女の横顔がハッとする程綺麗だった為きちんと誤魔化されてしまった。彼女の長い髪がさらさらと流れる。伏し目がこんなに綺麗とか、まつ毛が意外と長いだとか、そんなことを考えていたらお猪口がいっぱいになっていた。


「おっとっと」


わざとらしく彼女はそう言ったので、男がじっと顔を見つめると


「様式美ですよ」


と微笑まれた。男は手元の猪口を口につけ、グイッと飲む。彼女にあてられてるのを隠す為だった。くふくふと笑う彼女が、恋人としての彼女がどうしようもなく愛しく思えてしょうがなかった。人として尊重されるというのは嬉しいことなんだと改めて男は感じた。どうも本日付けで彼女にベタ惚れになってしまった、惚れた方が負けなんて言葉がよく分からなかったけれど今の男は彼女に何を返したら喜んでくれるかという考えで頭がいっぱいで、幸せなら負けでもいいか…なんてことさえ思っていた。





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バレンタインの意義 がららん坊 @beruugun

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