第二章 アルサードの洗礼

アルサード教会

2026年 09月27日 日曜日 9時10分

UCIA日本支部捜査基地 グラウンドベース


 ――昨夜は特に何も起こらなかった。もっとも満月は本日の夜だが、過去の例から一日から二日ほどずれ込むということもある。昨晩は何が起こっても良いように、すぐに動けるよう準備だけは入念に行っていたつもりだった。


 日付が変わり、明け方の四時まで警戒態勢を敷いていた。夕食を取った後、クリスからシステムルームへ招かれ、警戒ドローンの遠隔操縦方法を叩き込まれた。と言っても拍子抜けするほど操縦システムは簡略化されており、基本はVARISの管制下で操縦支援が行われ、墜落や激突の心配は皆無。操縦桿は握るものの、それを動かす必要はなく、頭で思うだけであらゆる複雑な軌道で飛翔出来た。正直、VRゲームをプレイしていたと言っても過言ではない程、そのシステムは完成された物だった。


 3時間ほどの仮眠を取り、朝食を食べた後、わたしと神蔵は室長室へと呼ばれた。


「おはよう二人とも。今朝アルサード教会から連絡があったわ。予定されていた貴方たち二人の霊的能力訓練やミーティング等を本日行いたいとのこと。AMGEの皆さんも今日は全員揃っているそうよ。時間は11時に千葉のアルサード教会。私も同行するわ。すぐに支度して頂戴」

 

室長からそう言われた私と神蔵は、外出用のスーツに着替え食堂で待機していた。


 座っている私に、神蔵が無言で缶コーヒーを置く。


「ありがとう。ってこれブラックじゃない」


 飲めない。と言うわけではないが、個人的には多少甘みがあるほうがいい時もある。今朝はそんな気分だ。


「文句を言うな。それを飲んで目を覚ませ。そんな顔だと女学生達に笑われるぞ」


 相変わらずの神蔵。そんなに眠そうな顔をしているだろうか。わたしは手鏡を取り出し、自分の顔をよく確かめてみる。


 クリスからもらった手鏡…… あれ以降、特にクリスからは何のメッセージも来ていない。というか使い方すらよく分からない。今は何処からどう見ても普通のコンパクトな手鏡だ。シックだが上品なデザインなので気に入っている。


「そう言えば神蔵。念動力サイコキネシスって、いつから使えるようになったの?」


 神蔵は、審判と対峙したとき、空中で銃を二丁、自在にコントロールしていた。あれは現実世界でも行えるのだろうか?


「俺がこの力を使えるようになったのは、大学時代からだ。もっともその頃はコップ一つ自在には動かせなかったが…… 今はある程度のことは出来るようになっている。俺があの部隊に引き抜かれたのは、この力があったからだろう」


 神蔵は静かにそう語る。


「――姫宮。お前がUCIAに配属された理由を俺なりに考えてみた。お前は室長や葉山のように戦闘技術が卓越している訳でもない。そしてクリスのように何かに突出した才能を持っているわけでもない」


「悪かったわね。何も取り柄がなくて」


 思わず言い返してしまう。

 

「黙って聞け。だがな、お前だけが持っている突出したものがある。分かるな?」

 

 なんとなく、だが……


「私の直感――?」

 

「そうだ。実際、俺はFBI時代に何度もお前に命を救われている。俺が驚いたのは審判ジャッジメントとの戦いの時に、お前は審判の強力な魔法攻撃をいち早く察知した。あの北條よりも先に察知したんだ。お前の言葉がなければ北條の防御結界は完全に間に合わなかった。あの攻撃で俺達は全滅していただろう」


『何か来る! 北條さん!』


 無我夢中でとっさに出たあの言葉……


 確かに…… 私の言葉の後に、北條さんがすぐさま防御結界を展開させる印を結んだ。あの時の北條さんは、まだ攻撃態勢だったように思う……


「俺はお前を褒めているわけではない。UCIAに選抜された理由を考えてみただけだ。アルサード教会のAMGEアンジェ。女学生達だが正直なところ霊的戦闘能力では凄まじい力を持っていると考える。喰らい付いていく覚悟がないと、俺もお前もあっけなく蹴散らされるぞ」


認めてくれているのだろうが、一言多い。


 神蔵はそう言うと、席を立ち上がる。室長が来たようだ。


「待たせたわね。出発するわ」


 真新しい白のパンツスーツ姿の室長。そして私達は、千葉のアルサード教会へと向かった。

 

 

2026年 09月27日 日曜日 11時00分

千葉県千葉市 聖アルサード教会 会議室


 千葉市のベイエリアに存在する聖アルサード教会。広大な埋め立て地の上に立てられたその荘厳なる姿は、見るものを圧倒させる迫力がある。教会は日本各地に支部が存在するが、ここ千葉に存在する教会が日本聖アルサード教会の本部となっていた。現在福岡にこれと同じ規模の新たな教会が建てられようとしているらしい。


 大理石調の会議室には、朝霧さんと上條を初め、教会の法衣を纏った6人の女学生達の姿があった。そして哲也も席に座っている。


「それでは、始めましょうか」


 上條がそう言うと、女学生の皆が席から立ち上がる。


「ご紹介いたします。救世主直属、正式には聖女神官直属高位退魔士、AMGEアンジェの5名、そして1名の補佐です」


 皆が深くお辞儀をする。


「北條鮎香の補佐をしております。霧峰結衣花きりみねゆいかです」


「AMGE第六位。ほうじょうあゆです」


「AMGE第五位。くろかわづるです」


「AMGE第四位。くろかわ千里ちさとです」


「AMGE第三位。まつゆきあやです」


「AMGE第二位。たちばなあおです」


 皆が挨拶をすると、着席する。室長と私、神蔵、そして哲也が立ち上がり、皆に挨拶する。その後に、朝霧さんが立ち上がる。


「聖アルサード教会、聖女神官のあさぎりです。教会での正式な立場は聖女神官ですので、こちらでお呼び頂けると。救世主メシアと言うのは、皆が勝手にそう言ってるだけです。お気になさならないで下さい」


 朝霧さんは優しい笑顔で静かにそういった。


「それでは、アルサード教会についてご説明を致します」


 上條が、教会の設立経緯や布教、そして行っている慈善活動などを一通り説明する。ここまでは表で公表されている情報だった。改めて聞くと、感心するほど様々な弱者救済活動を行っている。


「さて、前置きはこれくらいにしておくとして、本題に入りましょうか」


 テーブルに置かれた水で喉を潤す上條。


「聖アルサード教会。教団が設立されたのは2000年初頭ですが、私達は表の活動である慈善活動の他、裏では霊的次元アストラルディメンジョンからの影響を最小限に食い止めるべく、活動を行ってきました。その活動は教団が正式に設立される以前からになります。霊的次元、それは現世の向こう側にある霊体の世界。まあ死後の世界と言っても良いでしょう」


「ここからは――私が話しましょうか」


 朝霧さんが語り始める。


「この世界には、霊的磁場というものがあります。それは現世と霊的次元の間にある壁のような物。この世が平穏であればそれは乱れませんが、この世に争いや憎しみ、悲しみなどの負の精神エネルギーが強くなりすぎると、その霊的磁場が乱れ初め、霊的次元からの干渉力が強くなります。これはつまり、悪霊等の存在が現世にけんげんすることを意味します」

 

「悪霊。西洋の悪魔と似たようなものか?」


 哲也が質問する。


「そうですね。確かに悪魔と呼んでも良いのかもしれませんが、具体的に言うと雑多の負のエネルギー。その集合体と言いましょうか。悪魔払いはヴァチカン等のキリスト教が行う退魔儀式ですが、アルサード教会が行っている退魔業は、現世に危害が及ぶレベルの重大な霊的事象を対象とした物です。負のエネルギーの集合体を我々は闇の死者達ダークフォースと呼んでいます。比較的低級の物は闇の屍者達ダークコープスと呼んだりもしますが」


 わたしは朝霧さんに質問した。


「AWに関しては、教会ではどういった位置づけなのでしょうか?」


 朝霧さんは一瞬考えたようだ。


「そうですね…… 脅威度的には闇の死者達ダークフォース以上なのかもしれません。ただ、彼女達は死者の世界の存在ではない。生きながら深き霊的次元の力を自在に操っている。そういった意味では私やAMGEのみんなも同じですが、その力の根源が違うのです」


「力の根源?」


「教会に属する者は、その信仰心、魂を磨き続けることで、光の女神の加護を得られます。もちろん配下の自然を司る四神も同じくですが、その力と自然粒子マナ、己の霊的能力を掛け合わせることで、超常現象的な力を発現させているのです。根本にあるのは清く強い心。自然粒子については説明が長くなるので、後にお話し致します」


「――ということは、AWは負の精神エネルギーを力の根源としているのか?」


 神蔵が割って入る。


「はい。怒りや憎しみ、悲しみ等の負の精神エネルギー。つまり邪が力の根源と成っているのは確かです。ただAWの場合、一方で聖の側面も併せ持っています。それはおそらく、信じている何かしらの強い正義や信念があるのでしょう。ただ闇へ飲まれてしまった者達ではありません。白ではありませんが――完全な黒でも無い」


 続いて上條が口を開いた。


「AWと思われる存在と接触した事例が過去に数件ありました。救世主様やAMGEが力を尽くしたことで退ける事には成功しましたが、AWの中にはAMGEのメンバーを狙っている者も少なからずいるようです」


 審判は私だけに興味を示している訳ではなかった。今思えば北條さんも、審判は興味を示していた。あの時、私と北條さんには止めを刺さなかった。止めを刺そうとしたのは神蔵だけだ。


 上條は続ける。


「前回、UCIAの姫宮嬢が接触した審判ジャッジメントと名乗るAW。救世主様が介入したことで皆が救われましたが、私達も今まで対峙したことのない恐るべき存在であったことは間違いありません。教会もこの事は重く受け止めています。UCIAの神蔵殿は米国でAWとの交戦経験が数多くあると伺いました。お話し頂けますでしょうか?」


 神蔵が水を一口飲むと話し始めた。


「――AW。米国では対AW部隊が既に運用されています。だが、前回対峙した審判と比べるとその脅威は明らかに小さい。もっとも油断すれば死を招きますが、実弾兵器で防御結界を展開する魔力を失わせれば倒すことが出来る。数多くの特殊部隊を運用する本国だから出来る戦術かとは思います」


「なるほど。透鴇殿に伺いますが、警察や自衛隊内にそのような部隊は? お話しできるレベルで構いませんが」


「自衛隊につてがあるので探らせてはいますが、現状では何とも言えないところです。この国は自衛隊だけではありませんが、色々なところで無駄な予算が使われ、本来使われるべき場所での予算が足りていない。米国のような大規模な部隊は期待できないでしょう。只、私の方で色々と動いています。諜報的な部分では現在、日本国内に潜伏していると思われるAW関係者、及び組織を洗い出しています」


「ありがとうございます。この日本国内にも、AWと化した者が数多く潜伏しているでしょう。それらが人を殺め、世を乱すというなら我々アルサード教会はそれを止めなければなりません」


 上條の言葉が終わる。わたしは疑問に思っている事を投げかけてみた。


「朝霧さんに質問ですが、AWと化した者を、元に戻す術はあるのでしょうか? 私達UCIAは捜査機関であり軍事組織でもありますが、AMGEの皆さんは女学生です」

 

 朝霧さんが静かに口を開く。


「正直なところ、何らかの契約により力を得ている可能性もありますが、主であるAWを倒したとしても、そのAWがただの人に戻るかは分かりません…… 主であるAWはあくまでその者の潜在的な力を呼び覚ましただけ。その後の力は術者自身が獲得したものになる。ですので、説得に応じず最後まで抵抗する場合、状況次第では――その者を殺めることにもなるでしょう」

  

 その時、AMGEの一人である松雪が口を開く。

 

「姫宮様。お気遣いは感謝いたします。ですが我々AMGEは誓いを立てています。救世主メシア様を守り、教会を守り、そしてか弱き人々を守る。いかなる時でも、その覚悟は出来ています。ご心配には及びません」


 緩いソバージュがかかったロングヘアーの女学生。松雪は私の瞳をまっすぐ見つめ、そう丁寧に言い放った。


「あまり大きな声では言えないが、教会やその他、退魔業で対象が死亡する例があるが、それは罪には問われない。そういった霊的事件解決のための対象死亡は秘密裏に処理される。彼女達が罰せられる事は無い」


 哲也がそう付け加えるように説明した。そう言うことであればひとまず安心はしたが……


 そして室長が口を開く。


「とりあえず早急の課題として、うちの姫宮も、教会のAMGEの方も審判から狙われていると聞く。姫宮と神蔵の霊的戦闘訓練を改めてお願いしたい。この二人がAWに対して今以上に戦えるようになれば、今後の捜査の危険も減る」


室長の言葉に朝霧さんが小さくうなずく。

 

「お二人はきっと霊的な素質があるはず。成長すれば力強い存在となるでしょう。今日は私と北條、霧峰が霊的戦闘について手ほどきを行います」


 朝霧さんが静かにそういった。


「ところで公安の方は、よろしいのですか? 九条殿に水原嬢。あの二人も素質はおありのようでしたが……?」


 上條が哲也にそう言った。


「あの二人には指導役をこちらで見つけましてね。今頃揉まれているはずです。お気遣いありがとうございます」


 哲也は笑顔でそう言うと、席を立ち上がる。


「それでは私はこれで。今夜は事件発生の可能性が高い。国内のカルト組織等の情報が判明次第、また合同でミーティングを行いましょう。失礼致します」


 腕時計を確認しながら、哲也は少し慌ただしく会議室を出て行った。色々と忙しいのだろう。


 しかし…… 指導役と言っていたが…… 一体誰だ……?


「姫宮と神蔵の訓練。見学させてもらってよいだろうか? わたしも色々と知っておきたい」


 室長がそういうと、上條は微笑んだ。


「どうぞ。霊的素質は生まれながらのものですが、ある時を境に突如、目覚める者もいます。これを機に、UCIAの皆様も光の女神アルサードの教えに耳を傾けると良いでしょう。清く正しき心は、人として一番大切なもの。光の女神への信仰は、貴方の人生を豊かにし、助けてくれることでしょう」


 そして私達は、訓練のために教会の地下にあるという修練聖堂へと案内された。



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