感触

@kibun3

第1話 ショートショート版

 ああ、くすぐったい、止めてくれ……。

 ある日曜日の朝、私は何かが頬に触れるくすぐったい感触で思わず目を覚ました。慌てて頬に手をやるが、おかしなことは何も起きていない。

「おい、俺の顔に触ったろ?」と、隣のベッドで寝ている妻に聞いてみる。

「何? 知らないわよ。寝ぼけてんじゃないの? うるさいわねえ、もう……」

妻は面倒くさそうに答えると、寝返りを打って反対側を向き、直ぐに鼾をかき始めた。妻の悪戯でないとすると一体何なのか? 気のせいか? まだ、その時はさほど気に留めなかった。

 だが、その感触はその後も何度か私の寝起きにやってきた。その度に目を覚まして確認してみるが、何も起きていない。そして、何度か頬に触れられているうちに、触っている物の具体的な特徴がだんだん判ってきた。柔らかいヒンヤリした物とフワフワした物、そして鋭く尖った物の先端だ。それらが同時に私の頬に触れて来るのだ。

 ある朝、また触られて目を覚ました私は、それがとんでもない物だと言うことにハタと気付いてゾッとした。肉球と毛と爪である。それは紛れもなく猫の手ではないか! でも、その考えは馬鹿げていて私の理性は到底受け入れられないものだった。何故なら我が家の飼猫アンジーは、去年逝ってしまったのだから……。


 朝、起き抜けにベッドの上で妻にその馬鹿げた話をすると意外な言葉が返ってきた。

「アンジーは、どうして可愛がってた私の所には来てくれないのかしら?」

不満そうだった。妻はベッドから立ち上がると、タンスの上のアンジーの写真に手を合わせ、遺骨を納めた袋に掛けてある赤い首輪を愛おしそうに撫でた。

「あなたはまだ天国に行ってないの? どうしてなの?」

妻は振り返り、私を問い詰めるように見た。

「俺に聞かれても判らないよ」

私はおずおずと答えた。

 すると妻はスマホを手に取り、サクサクと検索し出し、暫くして何かを見つけた。

「じゃあ、ここでオンライン鑑定を受けてみましょうか」

「おんらいんかんてい?」

私はおうむ返しに妻に聞いた。

「そうよ」

 妻はそう言うと、リビングに移動してパソコンに切り替えた。画面に砂時計マークが出て、アクセスにかなりの時間が掛かっている。やっと画面が切り替わり、でっぷり太った女性のアイコンが映った。どうやら霊能者の闇サイトのようだった。金の耳飾りと大きな宝石の付いた指輪がキラキラと派手に光っている。入室ボタンを押す。

「いらっしゃい。マンゴー・ヘブンの部屋へようこそ」

声は良く響くバリトンだった。

「そちら、ご夫婦のようね?」

私は妻の顔色を窺った。

「は、はい……」

私はゆっくり返事をした。妻は無言で頷いた。霊能者はニンマリ微笑みながら話を切り出した。

「言わなくても判るからね。ちょっと、お部屋を見せて下さる?」

霊能者は私たちに退くように手で合図した。

私と妻は、パソコンの前から離れた。

「なるほど、見えましたよ。お宅に居るのは動物霊ね。あなたたちには子供が無くて、猫が子供代わりだったようね。でしょう?」

パソコンの前に戻ると、私は妻と一緒に頷いた。霊能者は暫く目を閉じてブツブツと何かを唱えていたが、かっと目を開くと得意げな笑みを浮かべた。。

「心配要らないわ。その子、自分が死んだことを理解できなくて遊んでいるだけよ」

「えっ?」

妻は口をポカンと開けていた。たぶん、私も同じだったろう。私は恐る恐る聞いてみた。

「朝、私の顔を触るんです。どうして、妻にではなく私に来るのでしょうか?」

「あはは。猫は気まぐれだからねえ。でも、たぶん、あなたが好きだからじゃれているだけよ。決して恨んだりはしてないから心配しなくていいわよ。死んだことに気がつけば、その子はそのうち消えてくれるわよ」

私と妻は半信半疑のまま、ゆっくり頷いた。

「じゃあ、鑑定料はこちらに宜しく。」

霊能者はニンマリ笑うと、決済コードを画面に見せ、妻がスマホで支払った。


 その後も朝の猫の手の感触は続いていた。いつも決まった時間に触るので、目覚まし時計替わりになっていて便利だった。時折、私が起きないでいると瞼の上に触って、無理矢理目をこじ開けられることもある。この感触がいつか無くなる日が来るのだろうかと何となく寂しい気もしていた。

 そんなある日、私が仕事から帰宅すると、寝室のタンスの上に立てかけてあったアンジーの写真が無くなっていることに気付いた。どういうことだ? 私は困惑した。

すると、妻が鼻歌を歌いながら上機嫌で寝室に入って来た。見ると掌に乗りそうなくらい小さなフサフサの仔猫を抱えていた。

「ふふふ、可愛いでしょ? 男の子よ。名前を考えてね、パパ」

私は呆気に取られながら「ああ」と頷き、アンジーの写真のことは妻に尋ねなかった。


 その夜、妻は仔猫を自分の腕枕で寝かせながら、幸せそうに眠りについた。私は仔猫の名前を考えながら眠りについた。

 だが、暫くすると私はただならぬ気配に気付き、目を覚ました。布団の上で何かがドタバタ激しく駆け回っている。何が起きているのか暫く判らなかったが、飛び起きて咄嗟に明かりを付けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。驚いたことに布団の足元のあたりに仔猫が陣取り、背中の毛を逆立てて空中の何かに向かってフーッと唸り声を上げていたのだ。あれまあ、仔猫とアンジーが喧嘩をしているではないか。

 私は何だか嬉しくなった。【終】

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