32


 その声はゆっくりと、俺たちの脳を恐怖に支配していく。

 それは見ていた。

 初めから俺たちの目の前にあったのだ。


 ドビラの先からは、巨大な目がこちらを覗いていた。

 眼前の岩肌は、上下に開閉したそれは、瞼だった。

 大きな振動音と共に、この円盤の足場を囲んでいた岩肌が動き出し、それはやがて俺たちの視界にも分かりやすい形になって現れる。


 一匹の、黒い鱗を持った黒龍(ドラゴン)の姿となって――――


 俺達の周りを囲んでいたドラゴンは大きく翼を広げると、新しく露出した、壁も、床も天井ですら、全てがクリスタルで出来たこの洞窟の中の、一際大きなクリスタルを留まり木に変えると、その威厳のある全身を誇るように魅せつける。


「ドラ…ゴン……」


 自分で発した言葉でようやく状況を把握する。

 目の前にいるのは、間違いなくドラゴン、黒龍。色とりどりのクリスタルに照らされて輝く鱗に、俺は神々しさすら感じていた。


 だが、俺はドラゴンよりも考えなければならないことがあった。もっと注意深く思考しなければいけなかった。

 …そいつは言う。


「「「力が欲しくば、捧げよ、供物を捧げ、我にその器を示せ――」」」


 俺は後悔した、俺が、ここへ来た意味、俺が、俺なんかがここに立っている意味。


「「「…共にこの日まで歩み、数々の敵を、無数の試練を打ち破り、共に泣き、共に笑い、そして友情を誓い合った命よりも大切な、その――」」」


「「「仲間を捧げよ」」」

 

 今更、理解したのだった。


『仰せのままに…』


 一歩、後ずさる――。




「うわあああああああああああああああああああ!! わあああああああああああぁぁぁああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」




 バビルスが俺の行く手を阻んでいた。

 その怪力であっという間に地面へ叩きつけられ、腕を後ろ手に締めあげられる。


「これで分かったろ、オメーみてーな荷物をわざわざココまで運んだ理由」

「なっ、なんで!! ベルさん!! ベルさん!!!! 嘘ですよねっ! そんな、そんなことないですよね!!」

『……。』

「ベル…さん…、ほんと…に」


 向こうを向いて黙っていたベルさんは、俺の前でしゃがむ。

 そこにはいつものにこにことした笑顔はなかった。かわりに申し訳なさそうな、憐れむような目で俺を見下ろしていた。


『こんなことになって本当にすまない少年……、でも分かってくれると信じてる、この世界の異変を止める為に、これは必要な事なんだ、みんなを救うためなんだ……だから、――私のために死んでくれ、少年』

「う…嘘です、よね…?」


 声が言う。


「「「真の器であれば、共に歩んだ理由があるのならば、攻略者たちよ、必ず叶えなければならない目的があるのならば、器を示し、仲間自ら、我にその命を捧げよ」」」


 …………嘘だ。ダメだ。そんな…、いやだ――――。

 なんで…………。

 なんでこんな目に…、ベルさん…、ベルさんだけは、そんな……。


 あ˝あ˝。


 やめて、止めてくれよ、辛い、苦しい。

 痛い、いダい。

 なんだ、なんだよコレッ!!

 なんで俺が。


 俺は、ベルさんに、騙された……?


「騙された。なんて思うなよ、オメーは取るに足らない冒険者にすらなれない雑魚、目の前を見ろ、裏ルートの力を手に入れる資格があるのは、この世で一人だけ、他のやつらがこの力を手に入れる前に、手に入れなきゃなんねー、違うか?」


 …………。

 だ、だからってッ! なんで俺が、俺が選ばれた、なんで俺なんだ!! 俺はまだやるべきことが残ってるんだ、ベルさん、命の恩人、そんな人が、俺にやさしく声をかけてくれた、いつも笑って助けてくれたそんな人が、俺をだましてこんなところに…! うそだ、嘘だ!!


「ベ、ベル…さん? 俺を助けてくれたじゃないですか…? いつも冒険者になろうと挑む俺を勇気づけてくれたじゃないですか…、いつから騙して。…………助けて、ください、こ、コレ、解いてくださいよ…約束があるんですよ、ベルさん、しってますよね? たすけて、助けてください!!」

『……』


 たすけて…くれない……?


「いいか、断ればお前をココから生きて返すわけには行かなくなる。どうせ死ぬんだったら、最後には、人類の役に立って、ずっと役に立たない人生の最後くらいは、役に立ってから――死ね」


 罰……なのか?

 助けられた命、拾った命を今日まで無為に過ごしてきたことへの報いなのか…?


 役に立つ。

 役に立つ…か。

 俺には無縁の言葉だ。

 自分のことで必死で、人の迷惑なんて考えず。そうだ。

 本当は、ずっとこの日を待ってたのかもしれない。

 どんなに頑張っても、どんなに耐えても、どんなに覚悟を決めたって、俺に出来たことなんて一つもなかった。


 ずっと、重荷だった。

 何で俺がこんな目に合わなきゃならないんだって。何で俺には才能がないんだって。

 いつも、鬱屈とした心の中を吐き出せなかった。

 吐き出してしまったら、本当に終わりだと思ってたから、もう、一生立てなくなってしまいそうで、ずっと見えないふりをして来た。


 俺の人生はいつも、辛く苦しい現実でいっぱいだ、ココを耐えたら、今日を耐えたら、明日が来れば、何か変わるかもしれない。明日じゃなくても、何処か、一年後か、二年後か、未来ではこんな日も忘れるくらいになれるかもしれない、そう、今日を生き抜くためには夢が必要だった。

 今日を偽っていた俺に明日なんか来るはずもないのに。

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