猛獣は墜ちたツバメを飼い慣らす
譚月遊生季
Un'altra rondine
「もうここには来るな」
暖炉が赤々と燃える室内に入った途端、開口一番に放たれた言葉がそれだ。
「……は?」
生ぬるいほどに温まった室内で、見慣れた長い黒髪が窓際に佇んでいる。
俺の方に顔を向けることなく、相手は静かに窓の外を見つめていた。
なんでそう言われたのか、心当たりは悲しいことに山ほどあった。
まず、相手は男娼だ。血筋としてはかなり上等らしいが、家はこいつがガキの頃に
まあそれでも、それなりに客を選べる立場ではあるらしい。性格はアレだが、ツラがいいし身体もいい。ついでに言えば声もいい。……まあ、俺以外の客なんざ、俺が選ばせねぇんだがな。
相手が男娼である以上、最初に思い浮かぶ理由としては、身請けが
「……ビアッツィと縁を切りたくなったか?」
もしかしたら、別の
「理由はどう考えてくれても良い。もう来るな」
……この調子じゃ、そういう訳でもなさそうだ。
こいつは賢い。「来るな」って言われたところで聞かねぇことぐらいわかってるだろうし、身請けが理由ならケツモチをチラつかせるぐらいのことはやる。
あとは個人的に俺か
「ははあ、なるほどねぇ。来るなって口では言いつつ、本当は来てほしいから理由を聞いてくれってことかい」
「……君は僕のことにやけに詳しいが、言葉は言葉のまま受け取ってもらいたいものだ」
整った顔がようやくこちらを向き、藍色の瞳が俺を睨みつける。
こいつはガキの頃からそうだ。尊大でひねくれもので、本音を言えない癖をして、
思えば男娼として売られる直前の言葉も、同じく「もう来るな」だった。
俺が忘れるとでも思っているのなら、とんだ大馬鹿野郎だ。
「『来るな』ってのは、
「……どういう意味だ」
「
「……。……僕が、僕自身の意志で発したと言えば、君はどうする」
藍色の瞳が、ふっと逸らされる。
ああ、やっぱりな。何か、大事なことを隠していやがる。
「顔色が悪ぃな。身体か」
「……答える必要があるか」
「お袋さん、肺を病んだんだっけか。……お前もか?」
「……!」
はっと息を呑み、切れ長の瞳が
……なるほどね。図星らしいな。
「……どうして」
「俺が気付かねぇとでも思ったのか? 見くびられたもんだぜ」
顔も、身体も、声も。
お前のことはいつだって近くで見て来たし、お前のことなら何でも……いいや、何でも知ってるとまでは言えねぇが、いつだって知ろうとしてきた。
舐めんじゃねぇぞ。こちとらガキの時に、魂全部奪われてんだから。
「どうしたもんか。治療費は積めるが、問題は療養地か……。シチリアよか此処のが安全だしなあ……」
「勝手に話を進めるな! そういうところが自分勝手だと何度も……」
「自分勝手なのはお互い様だろ。我儘でめんどくさい
「な……っ、僕は君のことを思って忠告してやったのに、なんだその言い草は!」
「はいはい、愛の言葉が下手くそだねぇ。
「君ほど
怒る唇を塞ごうとするが、腕で
うつしたくねぇってか。
「……で、どうしたい?」
「……っ」
フェルドは唇を噛んで俯き、拳を握り締める。
ダメ押しとばかりに、囁いた。
「言ったろ。俺は、
「……ジャグアーロ……」
藍色の瞳が揺れ、頬に透明な雫が伝う。
時代に翻弄され立場を墜としても、決して涙を流さなかった野郎が、
「連れて行ってくれ。ここではない、どこかに」
「……任せな。
資金繰りはどうにかなるとしても……ウチの組織は今、大陸への移動を
俺達は
今や
俺は
「フェルド。お前と行く道を、何がなんでも正解にしてやるよ」
「……ああ……!」
大事なものは、最初から決まっている。
***
19世紀イタリアにて隆盛を始め、20世紀には世界各国にその名を轟かせ、21世紀を待たずに壊滅したマフィア、ビアッツィ・ファミリー。
その黎明期を支えた幹部の名簿には、「ジャグアーロ・ビアッツィ」という名が記されている。
首領の遠い血縁であり、その抜け目のなさで幹部にまで上り詰めた男は、ある日を
後世には「彼がビアッツィを見限ったことで、滅びが始まった」……と、評した者さえいたという。
時代は21世紀。
黄昏の路地裏にて、ある占い師は語る。
「実はねぇ、ジャグアーロがビアッツィを見限らず、ビアッツィの栄華が続く未来もあったのさ。本当だよ、アタイには
「でもねぇ。ジャグアーロの生き方は何にも変わっちゃいない。違ったのは周りの方さ」
「どういう意味かって? さあ、どういう意味だろうねぇ。ただひとつ、言えることがある」
「ジャグアーロは、
紫とも褐色ともつかない瞳が、光を受け、蒼く輝く。
……ビアッツィには、語り継がれている伝承がある。
「黒髪に蒼い瞳の者がいれば、蔑ろにしてはならない。それは幸運の証だ」と──
猛獣は墜ちたツバメを飼い慣らす 譚月遊生季 @under_moon
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