チョコ嫌いな伯爵令嬢と恋してる王子

ルーシャオ

反乱! 食糧庫占領! 何とかする!

 二月十四日。バレンタインデー、恋人や親しい友人、伴侶などにチョコを贈る行事の日だ。


 とある異世界の王国でも、偶然同じ行事が、同じ日にあった。





 バレンタインデーの前日、ナヴィリア王国の宮廷広報官は、こんな王命を発表した。


「国王陛下より、食糧庫の占領を中止せよとのご命令である。速やかに従うべし!」


 宮廷広報官は緊張感を持って、声を張りあげる。


「レオン王子、それからヴィヴィシア公爵オルソー! 両名は速やかに兵を退くように!」


 ——これは、ある残念イケメンの恋の物語である。





 ナヴィリア王国王都には、東西にそれぞれ食糧庫があった。


 それを管理するのは代々東がリトス男爵家、西がイルネーズ子爵家であり、どちらも弱小貴族ながら王都に必要な食糧を管理する重要な職務を任されていた。


 ところが、第二王子レオンが突如近衛兵たちをまとめあげて、リトス男爵家が管理する東の食糧庫を襲った。続いてヴィヴィシア公爵オルソーも、イルネーズ子爵家が管理する西の食糧庫を急襲。それぞれ、占領したのである。


 そして、レオン王子はこう宣言したのだ。


「栄光あるナヴィリア王国諸侯に告ぐ! 我が国はバレンタインデーなどという無益な行事は、即刻中止しなくてはならない。だが、長年の習慣を変えられない連中もいるだろう、ならば! そもそもチョコレートや原料のカカオ、砂糖を奪えば行事は成立すまい! 我が友オルソーもこれに共感し、ともに兵を挙げてくれた! それらの食材のほか、王都の食糧庫にあるすべての食糧は我らの手にある! 燃やされたくなければ、大人しく行事の中止を宣誓するのだ!」


 ここまで来れば、普通に反乱である。


 宮廷では、玉座でため息を吐く国王を家臣たちが突き上げる。


「陛下、またレオン王子が馬鹿なことを!」

「もう王位継承権は取り上げましょう! 兄王子殿下も頭を抱えて、いえ、大笑いしすぎて医務室に運ばれました!」

「王妃陛下からも「早く馬鹿息子を何とかしろ」とのお怒りの催促が!」

「どうしましょう、陛下!」


 そんなことを言われても、国王だって困っている。眉目秀麗、頭脳明晰、人望も厚い第二王子とその盟友である公爵が、揃ってこんな馬鹿なことを真面目にやってしまうのだ。咎めようにも、その二人は将来のナヴィリア王国を担う名臣となる可能性が高い。こんなところで失うにはあまりにも惜しい人材だったし、国王も目に入れても痛くないほど可愛がっている。


 となれば、国王自らが鎮圧の策を考え、第二王子と公爵を嫌う連中の手を出させないようにしなければならない。


 先日白髪が発見された薄い黒髪の頭髪をかき上げて、王冠を被り直してから、国王はこう言い渡した。


「やむを得まい。あの娘を呼べ! あの二人を無傷で制圧できるのは、彼女だけだ!」


 それを聞き、玉座に迫っていた家臣たちは、ざわついた。


 そして、王都アカデミアから一人の女生徒を呼び出し、宮廷に来させたのである。


 やってきたのは、こんがり焼きあがったクロワッサンのようなお下げを二つ垂らした、白衣の令嬢だ。


「アンドミア伯爵令嬢ロクサーナ、御前に。王命に従い、参上いたしました」


 玉座の前で、しっかりと白衣のカーテシーを決めるロクサーナへ、国王は深刻な表情を見せる。


「ロクサーナ、頼めるか」


 顔を上げたロクサーナは、大きく頷いてみせた。


「ええ、もちろん。あの二人はそろそろ鶏のように締め上げなければと思っていましたわ」

「息を止めないよう注意してくれ」

「努力はしましょう」


 そう言って、ロクサーナはヒールを鳴らして事態の鎮圧へ向かう。


 アンドミア伯爵家次女ロクサーナ、通称——『暴走王子レオンのストッパー』、『王国きっての才女』。


 またの名を、『科学都市アンドミアの申し子』だった。







 王都東の食糧庫の中に立てこもったレオン王子率いる近衛兵隊は、リトス男爵家の兵隊を追い出して、食糧庫の出入り口を封鎖していた。


 時刻は午後二時。そろそろ、王国側から何らかのアクションがあってもいいはずである。


 軍用コートを羽織り、黒の短髪を山高帽子に仕舞おうとするレオン王子はそう見ていたが、案の定、見張りの近衛兵が外から食糧庫内へ叫ぶ。


「敵襲! 敵襲だ!」


 その一言で近衛兵たちに緊張が走る。


 レオン王子は山高帽子を放り、椅子にしていた小麦粉袋から跳ね起き、出入り口へと走る。興奮気味に、通用口から入ってきた見張りの近衛兵へ問うた。


「来たか! 数は!」

「一人です!」


 ——一人?


 その場にいた全員が、敵がたった一人、という不可解な報告に一瞬思考が止まる。


 その空白の一瞬が、次に起きた衝撃への理解を遅れさせた。


 轟音とともに鋼鉄製の通用口の扉と、周辺のレンガの壁が吹き飛んだのだ。


「壁が吹っ飛んだ!? 爆破か!?」


 常識では考えられないことを口走ってから、レオンは冷静になった。


 小麦粉袋が大量に保管されている食糧庫を爆破するなど、狂気の沙汰だ。粉塵爆発によって周辺丸ごと吹っ飛びかねない。


 なので、立ち込める土煙が収まったころ、出入り口に仁王立ちとなっている『たった一人の敵』を見て、冷静になったレオンは目を見開き、歓喜に震えた。


 正直言って、レオンは天才だ。ナヴィリア王国のアカデミアを飛び級で卒業し、すでにいくつも所領を持って良く統治している優れた領主でもあり、王族として容姿も所作も何ら誰にも恥じるところはない。高貴な生まれを殊更主張することもなく、正義を愛し、仁義と友愛を重んじ、節制を好む。それゆえに本来国王直属の近衛兵隊さえもこの王子には従う。


 その点はヴィヴィシア公爵オルソーも勝るとも劣らず、誰もが認める時代を切り拓く傑物たちなのだ。


 そう、それゆえに対抗馬となれる敵もおらず、熱心になるほど愛を傾ける相手もおらず、己の能力を持て余していた。


 ところが、そうは問屋が卸さなかった。


 レオン王子の眼前に現れたのは——アンドミア伯爵家令嬢ロクサーナだ。


 ロクサーナは、ふん、と鼻息荒く答える。


「そんなもの、ツノの一撃で何とかなりますわ、馬鹿王子」


 白衣の令嬢は、背後にそびえる機械の獣オートマトン・ビーストを指差す。


 アンドミア伯爵領で極められた錬金術の一派である、自動機械工学によって作られた、四つの頑強な足に二本の鋼鉄の角を構えたヘラジカ型機械の獣オートマトン・ビーストがいた。その角によって、食糧庫は鋼鉄製の扉もレンガの壁ももろともに吹っ飛ばされたのだ。


 巨大な食糧庫さえもヘラジカ型機械の獣オートマトン・ビーストにとっては小屋のようなものだ。このまま食糧庫を解体するくらい、わけはないだろう。


 怯む近衛兵たちを尻目に、レオン王子はロクサーナの前にやってきて立ち塞がる。


「ロクサーナか! 久しぶりだな、我が好敵手ライバル!」

「今すぐ馬鹿は止めて、家に帰るならお咎めなしですわよ」

「それはできない。我が友オルソーがかわいそうだからな!」


 そう、西の食糧庫を守るヴィヴィシア公爵オルソーがレオン王子の味方だ。


 少なくとも、さっきまでは。


 ロクサーナはあっさりと、自分の背後にふん縛っていたオルソーを連れてきて見せた。レオン王子の盟友である金髪の美青年は、雑にぐるぐる巻きにされて拘束されていたのである。


「ここにおりますけれども」

「オルソー! 生きているか!?」

「何とか……」


 弱々しく返答するオルソーの高そうな服は、小麦粉を被って真っ白だ。西の食糧庫の戦いは、あっさりとロクサーナに軍配が上がっていたのである。


「西の食糧庫はすでに私が制圧しましたわ。ヴィヴィシア公爵はこの手に、さてレオン王子はいかがいたします?」


 ロクサーナのあまりの余裕綽々の態度に、レオン王子は腰の剣に手をかける。


 この難敵に挑まなくてはならない、いや、挑みたいのだ。何不自由なく生きてきたレオン王子の前に立ち塞がる、待ち望んでいた敵に。


「お前と戦って勝ち、オルソーを取り戻すブフォあ!?」

「王子ーッ!?」


 それはやはり一瞬のことだった。レオン王子が前口上を口走る最中に、ヘラジカ型機械の獣オートマトン・ビーストが角の丸い部分でレオン王子を後方へとかっ飛ばした。背中から小麦粉袋に突っ込んでいったレオン王子を、近衛兵たちが視界も悪い中救助しに行く。


 ロクサーナはやれやれと肩をすくめた。


「まったく嘆かわしい。最初からおっしゃればいいではありませんの。美貌のヴィヴィシア公爵がチョコレートをもらいすぎて困っているから、バレンタインデーを中止させたかったと」


 白い粉末で覆われた食糧庫の奥から、やっとこさ這い出てきたレオン王子は、早速反論した。


「それだけではないぞ。我が国の国民は基本的にカフェインに弱い、だからチョコレートは媚薬も同然! 国民の健康のためにも、チョコレートを配布する祭りなど中止させるべきだ!」

「だったら、代わりにマシュマロでも配ればいいのではなくて?」


 即座に出された代案に、レオン王子は「へ?」と呆けた。


 国民がカカオに含まれるカフェインに弱い、であればカフェインの入っていないマシュマロでも代用品にすればいい。


 しばし沈黙が場を包む。ロクサーナが黙って待っていると、レオン王子は腕を組み、首を傾げた。


「……なる、ほど?」


 この王子、根は素直なのである。


 さらに、ロクサーナは追撃する。


「それから、コーヒーからカフェインを抜くディーキャフ技術も我がアンドミア大学で完成を模索しておりますけれども、目処はつきましたからあと一年もすれば実用化できますわ。同じように、カカオのカフェインを減衰させる技術も開発中ですわ。それでいかがかしら?」


 簡単に言えば、カフェインは脂溶性が高い。油によく溶ける。それを利用して、いくつかカフェインを抜き取る技術があるのだ。


 科学都市アンドミアの技術開発力があれば、それが流通するコーヒーやカカオにも適用できるし、レオン王子がその気になれば全土に普及させられる。ロクサーナはそう言っているのだ。


 それを理解できないはずもなく、かと言って頭から鵜呑みにして「私が間違っておりました」と言うこともできず、レオン王子はその場で地団駄を踏んだ。


「ぐううぅぅ! 正論すぎて腹が立つ!」

「わがままをおっしゃらないでくださいまし」

「くそ! 今日のところは撤収だ! 憶えていろ!」


 まるで演劇の悪役が尻尾を巻いて逃げるかのごとく、捨て台詞を残してレオン王子は食糧庫の空いた穴から逃げ出した。「待ってくださいよー!」と慌てて近衛兵たちもそれに続く。


 残されたのは、小麦粉まみれの半壊した食糧庫と、ロクサーナとオルソー、それにヘラジカ型機械の獣オートマトン・ビーストだけだ。


 ロクサーナはため息を堪え、オルソーの縄をほどく。


「毎回毎回、意中の相手からチョコレートがもらえないからと、あんなに拗ねなくてもいいものですけれど」

「まあ、君がチョコレート嫌いだからね……」

「分かっていますわ。他の方法を思いつけばいいだけですし、このお祭り騒ぎを王都の民が嫌っておりませんからいいものを」


 この騒ぎは、王都の民にとってはすでにいつものことなのだ。


 平和なナヴィリア王国で、レオン王子はいつも道化師のように騒ぎ立て、ロクサーナをはじめとした真面目な使者に諭され、撤収していく。今に始まったことでもなく、オルソーが協力したことも一度や二度だけではない。


 実はリトス男爵家もイルネーズ子爵家も、「古くなった食糧庫が建て直してもらえるなら」とレオン王子の占領に好意的だったのだ。


 すべてが茶番、そう分かっていてもレオン王子の本音を隠すためだと知っているのは、ロクサーナとオルソーだけだ。


「だから、技術開発に尽力しているのに」

「ははは。早くくっつけばいいのにね、君たち二人」


 オルソーの他人事のような笑いに、今度こそ、ロクサーナはため息を吐いた。


 なぜ、あの天才王子は、真正面から告白するということができないのか。


 ずっとその告白を待っているロクサーナは、レオン王子の恋心くらい、とっくの昔に知っていた。


 ただ、それを女性側から言うのは野暮だから黙っているだけだ。


 ロクサーナの背後で、ヘラジカ型機械の獣オートマトン・ビーストが満足そうにふふんと唸っていた。

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