第2話  森の中


 ――セイが去った数日後。

 ザシャの屋敷の前。

 セイが放った炎は丸一日かけて屋敷とその周辺を焼き尽くした。

 焼け跡となった場所には、不気味な姿をした男たちがたたずんでいた。

 深紅のローブに身を包んだその男たちの表情を窺い知ることはできない。

 全員が鴉を型取った奇妙なマスクをつけているからだ。

「……臭いますねえ」

 中心に立つ男が、そういって鼻を鳴らした。

「ぷんぷん漂ってきますよ。反逆者の臭いが……」

 その街の者たちは、男たちをただ遠巻きに見ていた。

 誰も近づこうとする者はいない。

 その男たちには、決して関わってはいけない。

 誰もがそのことを知っていたからだ。

「では、狩りを始めるとしますか――」

 中心の男が言った。

 その声は、笑っているようでもあった。


  


 鬱蒼とした森の中を、一台の馬車が進んでいる。

 周囲は高い木々に囲まれ、昼間だというのにどこか薄暗い。

 馬車は、この広い森林地帯を抜けた先にあるベルクという街を目指していた。

 ベルクは古い時代から続く街で、辺境ともいえるこの辺りでは比較的大きな街であった。

 馬車には、数人の若者が乗り合わせていた。

 二人の青年と、一人の少女、そしてセイだった。

 セイは誰とも関わろうとせず、馬車の片隅に一人でいた。

 馬車の中では、二人の青年の会話だけが聞こえていた。




「そういやさ、お前、聞いたか。ザシャ様の話」

 青年の内の一人、リックが隣に座るディーンに聞いた。

 リックは近くの寒村出身の若者で、出稼ぎのためにベルクを目指していた。

「殺されて屋敷まで焼かれたって話だろ。リーディアではその話で持ちきりだったな」

 ディーンがいった。

 リーディアとはザシャが治めていたあの街の名である。

 ディーンもリックと同じく、仕事を探すためにベルクへ行こうとする若者だった。

 二人はたまたま同じ馬車に乗り合わせただけの関係だったが、年が近いこともあり、短い時間の中ですっかり意気投合していた。

「恐ろしい話だよ。ザシャ様っていったらイストリム戦争で活躍した大英雄だろ。何だってそんな人が殺されるのかね」

「おおかた、恨まれていたんだろ」

 ディーンがどこか冷めた口調でいった。

「リーディアではザシャ様の評判はすこぶる悪かったからな。税金は酷いし、街のことには無関心。それでいて兵士たちには好き放題させていて、連中が街で暴れているのを何度も見たぜ。それに加えて、あの気味の悪い噂だろ」

「何だよ、噂って」

「何でもよ、夜な夜な女を殺しては剥製にしてるって言われてたんだ。本当かどうかは知らんぜ。ただ街ではそういう噂が流れてた」

「うわぁ……それは何とも……」

 世間知らずのリックと比べると、ディーンはこのあたりのことをよく知っていた。

「俺がいたときなんかも酷かったんだぜ。イストリム人狩りとかいうのを始めてさ、街にいたイストリム人たちを片っ端から捕まえて処刑してたんだ。街の外にはイストリム人たちの死体が山のように積み上げられててさ、臭いは酷いしウジもわくし、大変だったんだよ。世間では戦争の英雄とか呼ばれていたけどさ、まあ、ヤバイ人だったよな」

 ディーンはザシャが殺される少し前からリーディアに滞在していた。

 だが今回のようなこともあり、安全な場所を求めて街を出ることにした。

 その行先として決めたのが、この馬車の向かう先――ベルクだった。

「住むにしても、やっぱりちゃんとした人が治めているところがいいよ。リーディアには何年か前にも一時期住んでいたことがあったんだけど、その時は平和そのものだった。あの時はまだベルメール家が治めていたからな」

「あれ……その名前って……」

 リックはベルメールという名に聞き覚えがあった。

「ベルクを治めている領主様だよ。ザシャ様が来る前はリーディアもベルメール家の土地だったんだ。その頃にいろいろあって領地を大分減らしたみたいだけど、それでもこの辺じゃ一番の名家だよな」

 それでか、とリックは納得した。

 寂れた寒村でも名門ベルメール家の噂は聞こえていた。

「その家のことなら俺も知ってる。確かクルス様という方が今の当主で、なんでも若くして帝都で正騎士にまでなった人なんだろう」

「いや、ちょっと違う。クルス様が当主なのは間違いないんだけど、帝都で正騎士になったのは確か弟のほうだ。ベルメール家には二人の兄弟がいるんだよ。名前は……何だったかな」

 ディーンはこめかみをたたく。名前が出てこない。ベルメール家の名声は兄で当主のクルスよりも、むしろその弟のほうにあったはずだ。

「……エリアス様ですね。"ベルクの光"とも呼ばれている方です」

 ふいに、向かいに座っていた少女がいった。

「そうそう、エリアス様だよ。そうだそうだ」

 ディーンがうなづく。その名前は聞いたことがある、とリックは思った。確か……村の女たちが度々口にしていたはずだ。

 金髪碧眼の美麗の騎士で、年もリックとそう変わらないらしい。

「エリアス様は誠実な人柄で民からも慕われており、今はベルクの兵団長をしております」

 少女が笑顔でいった。

「あんた、詳しいんだな。もしかしてベルクに住んでいるのかい」

 ディーンがそう聞くと、少女は「はい」とうなずいた。

 ディーンは少女と話せて嬉しそうだった。

 それもそうだろう。

 少女は、何とも愛らしい顔立ちをしていた。

 ふわふわした栗色の髪に大きな瞳。年は、二人よりも少し下だろうか。着ているものもまた上品で、リックが住んでいた寒村などではまずお目にかかれない美少女だった。

 二人とも口にはしなかったが、同じ馬車に乗り合わせた時からずっと少女のことが気になっていた。

 少女は、ミーナと名乗った。

「何を隠そう俺はな、ベルクに着いたらエリアス様の兵団に入ろうと思っているんだ」

 ディーンはそういうと、唐突にかたわらにある自分の剣を見せた。

「……すごいな。お前、剣を使えるのか」

 リックは驚きに目を丸くした。

 市井に生きる者で、剣を扱えるものはそうはいない。

 リックの村で剣を握ったことがあるのは駐在人の老人だけだった。だがその剣もすでに錆びていて、まともに切れる代物ではなかった。

 ディーンは白銀に輝く自慢の剣を見せびらかす。

「まあな、これでも結構ならしてたんだぜ。実をいうとな、俺はエリアス様にもお会いしたことがある」

 ディーン曰く、以前にエリアスと対面したとき、その剣の腕を見込まれたのだという。

 ディーンはその他にも様々な武勇伝を語ってみせた。

 その口ぶりは自信たっぷりで、リックというよりもミーナに聞かせようとしているように見えた。

(こいつ……すごいやつだったんだ)

 リックは何だかディーンが遠い人のように思えてきた。

 うらやましさと、少しの嫉妬。

 リックにそのようなエピソードは一つもない。

 リックがこれまでしてきたことといえば、家の手伝いや家畜の世話など、退屈な村人のそれでしかなかった。

「――なあ、あんたももしかして俺と同じ目的かい。あんたが持ってるの、それも剣だろう」

 気を良くしたディーンは、馬車の片隅にいたフードをかぶった男――セイに声をかけた。

 その場にいた誰もが異様な雰囲気のセイを怖がって話しかけられないでいたが、ディーンはまるで物怖じしなかった。

 セイは、反応しない。

 腕を組んだまま、身じろぎ一つしなかった。

「おい、聞こえないのか」

「俺にかまうな」

 セイがぴしゃりといった。

 低く、冷めた声だった。

「なっ――お前、何だその態度は」

 ディーンが思わずいきり立つ。

 会話に参加できない暗い男にわざわざ声をかけてやったのに――。

「おい、やめろって、相手にするな」

 リックが慌てて止めに入る。

 こんな狭い馬車の中でケンカでもされたらたまったもんじゃない。

「だけど、あいつが――」

 ディーンは苛立ちを隠さない。そんなディーンの脇腹を、リックが肘でつついた。

 ディーンもそこで気づいた。

 ミーナが怯えた表情で、体を縮こませていたのだ。

「チッ……まあ、いいや。うす気味悪いやろうめ……」

 ディーンはしぶしぶ引き下がった。

 とりあえずケンカは回避できた。

 だが馬車の中の空気は最悪なものになっていた。

「……まあ、ほら、みんな同じ場所に行くんだからさ、楽しくやろうよ」

 リックは無理に明るくいったが、先ほどまでの和やかな空気はもう戻ってこなかった。

(最悪だよ。せっかく美少女と知り合いになれたのに……)

 リックは静かにため息をついた。


         


 馬車は、森の中をゆっくりと進んでいた。

 馬車の中は、あいかわらずの沈黙が続いていた。

 依然として空気はよくないままだ。

 ディーンはしきりに剣をいじり、セイはうつむいたまま微動だにしない。

 ミーナは時おりそれらの顔を気づかうように見るものの、声をかけるようなことはしない。

(到着までずっとこんな感じなのかな……)

 ベルクまでの道のりは、まだ遠い。

 この鬱蒼とした森を抜けるだけでも、あと小一時間以上はかかる。

 だからこの街道を抜けるときは、誰もが馬車を利用するのだ。

 リックは外の景色に目を移す。

 左右から覆いかぶさるように木々が伸びていて、何とも圧迫感がある。

 もし歩いてこの森を抜けるようであれば、心細さと、少しの怖さを感じるだろう。

 隙間からのぞく空もどんよりと曇っていて、何とも嫌な感じだ。

 その時ふいに、馬車が、音を立てて止まった。

 何事かと、ディーンが御者に声をかけた。

「おい、どうかしたのか」

「あれが邪魔で前に進めないんでさあ」

 御者が前方を指さす。見ると、道の先で一台の馬車が立ち往生し、狭い道をふさいでしまっていた。

「何だよ……仕方ねえな。俺が言ってきてやるよ」

 ディーンが剣を手に馬車を降りた。

「お、俺も行くよ」

 リックも馬車を降りた。

 ディーンを一人で行かせてしまったら、また先ほどのように揉め事を起こすと思ったのだ。

 二人は、立ち往生する馬車に近づいていく。

 ディーンが声をかけた。

「おーい、そこの馬車。誰かいないのか」

 馬車からの反応はない。

 静まり返ったままだ。

「……無視かよ。どいつもこいつもなってねえな」

 ディーンは舌打ちすると、苛立たしげに馬車に近づき、その荷台を覗きこんだ。

「あのさあ、そこにいられると――」

 ディーンの動きが、唐突に止まった。

 荷台を覗きこんだまま硬直している。

 何かあったのかと、リックも後ろから覗きこんだ。

 そして――思わず呼吸を止めた。

 馬車の中は、血の海だった。

 荷台の四方八方には、ミンチのようにグチャグチャにされた人間の死体が転がっていた。

 そんな凄惨な光景の中、うごめく影があった。

 は死体の腹に顔をつっこみ、ぐちゅぐちゅと音を立て中身を貪っていた。

「い、異獣いじゅうだ……」

 ディーンが、震える声でいった。

 は、人によく似た姿をしていた。

 だが人では無かった。

 人間の生皮をすべて剥いだようなグロテスクな外見に、鋭い爪と牙。

 に知性はない。

 あるのは底知れない食欲だけである。

 異獣が放つヘドロのような臭いが、つんと鼻をついた。

「ひっ……」

 リックの口から、思わず悲鳴が漏れた。

 異獣が、顔をあげた。

 その空洞のような黒い目が、二人をとらえた。

「う……がああ――」

 異獣がうなり声をあげた。

 二人は叫びながらその場を飛び出した。

「お、お前腕に自信があるんだろ。あいつをやっつけてくれよ」

「バ、バカいうな。異獣相手に戦えるわけがねえだろ」

 二人は転がるように馬車から逃げた。

 すぐに異獣が飛び出してくる。そして獣のような前傾姿勢で一気に二人へと距離を詰めてくる。

 逃げられないと、リックはすぐに悟った。

「頼むよ、何とかしてくれ。お前強いんだろ」

「う、嘘なんだよ。剣なんてまともに握ったこともねえ。かっこつけるために持ってただけだよ」

「はあ――何だって?」

 リックは絶望した。

 ディーンの武勇伝はすべてデタラメだったのだ。

 異獣が飛び上がり、リックにのしかかった。

「た、助けてくれ!」

 リックは叫んだ。

「ち、ちくしょうめ」

 ディーンがようやく剣を抜いた。

 だがその瞬間、馬車の陰からもう一体の異獣が飛び出してきた。

「二体……悪い、俺には無理だ」

 ディーンはリックを置いて逃げ出してしまった。

「待ってくれよ!」

 リックはその場にひとり取り残された。

 逃げようともがくも、異獣にのしかかられ身動きが取れない。

 異獣のよだれがボタボタとリックの顔に落ちた。

(う、嘘だろ。俺はこんなところで死ぬのか。こんな化け物に喰われて)

 リックの脳裏に走馬灯がよぎる。

 異獣が爪を振り上げた。

 リックはぎゅっと目を閉じた。

 風が――吹いた。

 異獣の爪は、なかなか振り下ろされなかった。

 なんだ。どうしたんだ。

 リックはおそるおそる目を開けた。

 一人の男が、そこに立っていた。

 異獣は体をのけぞらせ、叫び声をあげていた。

 ボトリと音がして、何かが地面に落ちた。

 それは切り飛ばされた異獣の腕だった。

「……邪魔だ。下がっていろ」

 その男――セイがいった。

 その手には、漆黒の刃が握られていた。


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