黒の黙示録 ダーク・クロニクル

@itsuki999

第1話  漆黒の襲撃者

                  

   

 ――それは、脳裏に焼き付けられた鮮明なる記憶。

 赤い炎が、千年の都と謳われた美しい街を焼き尽くしていく。

 積み上げられた死体が赤い川を作り、少年の足元を濡らしている。

 聞こえてくるのは悲鳴と叫び声だけ。

 見渡す限りで殺戮の宴が繰り広げられる。

 そこは、この世の地獄だった。

 少年は、血の涙を流した。

 弱い自分を呪いながら――。

 そして、誓った。必ずや、復讐をすると。

 お前らを――全員殺してやる。



 

 辺境の街。

 曇天のどこかうす暗い空。湿った空気が街全体を覆っている。

 人通りは少なく、道端にはゴミが散乱している。

 街にはどこか陰気な気配が漂っており、行き交う人々の顔もどこか冷めきっている。

 そこに、一人の青年が現れた。

 青年は着古した旅装束を身にまとい、頭から顔をすっぽりとフードで隠している。

 わずかにのぞくその目は、底冷えする程に昏い。

 青年は、埃のまう通りを一人で歩いている。

 その歩みに合わせるように、腰に差した剣が荷物にこすれ、わずかな音を立てる。

 闇の如き漆黒の色をしたそれは、反りの入った珍しい形状をしている。地方により呼び方は様々だが、一般的には刀と呼ばれるものだ。

 見識があるものがそれを見れば、ひと目で業物であると見抜くだろう。そして、これまで多くの血を吸ってきたであろうことも。

 そのよどんだ空気にふらりと溶け込むように現れた青年――彼の名は、セイといった。

 


 セイは通りの途中で、ふいにその足を止めた。

 その視線の先には寂れた街並みと、それにそぐわない豪奢な屋敷。

「あそこに……奴が……」

 その小さな呟きは風に乗って消える。

 屋敷は広大な敷地の中にあり、その入り口の門の前には数人の兵士が立っているのが見える。

 セイはその場に立ち止まったまま、入り口と、その周囲をじっと見ている。

「おい、そこの小僧! 邪魔だ、どけ!」

 ふいに、怒鳴り声が聞こえた。

 見ると、一台の馬車が目の前で止まっていた。怒鳴っているのはこの街の兵士のようだ。

 セイは昏い目で兵士を一瞥すると、無言で通りの端によける。

 兵士は舌打ちしながら馬車を進ませていった。

 通りすがり、馬車の荷台が見えた。

 そこには何体もの死体が乱雑に積まれていた。

 死体は激しく損傷しており、その全てがこの街にはいない黒髪だった。

「……あんた、旅人かい。この街の兵士には逆らわないほうが身のためだぜ」

 商人の男が、セイに声をかけた。男は露天商をやっており、粗末な干し肉を並べていた。

「見たろ、さっきの死体。イストリム人てだけであのザマだ。ああなりたくなかったら下手に逆らわないほうがいい」

「……どういうことだ」

 セイは男に聞いた。

「兵士たちがな、とにかく殺気立っているんだ。何でも、近くでイストリム人が騒ぎを起こしたらしい。さっきの死体は、しばらく前にここにやってきた流れ者だろうな。この通りで物乞いをしていたらあっという間に兵士に連れていかれちまった。連中、とにかくピリピリしてるんだ。下手なことをするとイストリム人でなくったて酷い目にあわされるぜ」

 男はため息交じりに過ぎ去る馬車を見ている。

「まったく、バカな話だよ。ザシャ様のお膝元で騒ぎを起こすなんてな。奴隷民族なんだから大人しく媚びていればいいものを、俺らにしちゃいい迷惑だよ」

「……あんたは、イストリム人を奴隷民族と呼ぶのか」

 セイの声が、少し低くなった。だが男はその変化に気づかない。

「実際そうだろう。この国じゃマナが使えないあいつらは奴隷にするくらいしか利用価値がないからな。まあ、国を滅ぼされたことに関しては少し同情するがね」

 男はそういって、そばにあった薪に手をかざした。すると手から小さな炎が生まれ、薪に火が付いた。

 男は「寒い、寒い」と言いながら暖をとった。

 この国の人間は程度の差はあるが、生まれながらにして魔法――マナが使える。

 等しく、誰もが。

「うちも前にイストリム人の奴隷を買ったことがあるんだが、てんで使い物にならなかったな。あまりにも役立たずだったもんでザシャ様に引き取ってもらったんだけど、今頃どうしてるかな。だいぶ弱ってたから、とっくにおっ死んでるだろうな」

 男は軽く笑い、また干し肉を並べ始めた。

「……なあ、あんた。せっかくだから何か買っていかないか。最近はとくに売上が悪くてよ――」

 男は、何の気なしにセイの目を見た。そして思わず、びくりと体を震わせた。

 セイは何も言わず、そのまま去っていった。

 男はセイの後ろ姿を見ながら、思わず呟いてた。

「……あいつ、何て目をしてんだ。殺されるかと思ったぜ」



 日が暮れると、セイは街の中心部から少し外れた場所にいた。

 目の前には小さな酒場があり、中の明かりが人気のない通りにわずかに漏れている。

 セイは入り口を軽く見上げると、そのまま中へと入っていった。

 酒場の中は、比較的すいていた。

 数人のグループがいくつかの席で談笑をしながら酒をのんでいた。

 セイはそれらを尻目に奥の席に一人で座る。

 太った女の店員が、すぐに注文を取りに来た。セイはそれを済ませると、おもむろに被っていたフードを取った。

 すぐに、周囲の無遠慮な視線がセイに集まった。

 みなセイの漆黒の髪を見て、ボソボソとしゃべり始めた。

「……おい、あれイストリム人じゃないか」

「……流れ者か。何だってこんな時に」

 セイはそれらの声を無視する。気にする素ぶりはない。

 しばらくすると、太った女の店員が食事を運んできた。そしてセイの前に雑に置かれる。

「あんた、イストリム人だったのかい。悪いけど、それを食べたらさっさと出て行っておくれ。面倒ごとはごめんだよ」

 何とも冷たい言い方だった。女はセイの髪ばかりを見ていた。

 兵士たちがズカズカと入ってきたのは、セイが食事を半分ばかり食べた時だった。

「……ここか。イストリム人が現れたってのは」

 リーダー格の男は、金髪の髪を短く刈りあげた粗暴そうな大男だった。

 男の名は、ガンツといった。

 ガンツは奥の席にいたセイをすぐに見つけた。

「小僧、お前だな。ちょっと来てもらおうか」

 セイはガンツを一瞥だけして、すぐに視線を食事に戻した。

「断る。俺はあんたらに用はない」

「お前はそうでも、こっちはあるんだよ。イストリム人を見つけたら狩れといわれているからな」

 セイはその言葉を無視した。聞く耳など持たない。

 ガンツはそんなセイを見て鼻で笑うと、テーブルに置かれていた食事の皿を取り上げた。

「奴隷民族のくせしやがって、なに普通に食ってやがる。違うだろ、お前らはよ」

 ガンツは皿の中身をボトボトと床に落とした。そしてそれを汚れた靴で踏みにじる。

「メシを食いてえならよ、這いつくばって食えや。お前らはいつもそうしてんだろ」

 ガンツはセイを見下ろし笑っていた。

 セイは立ち上がり、その昏い目をガンツへと向けた。

「……謝れ」

「あ?」

「謝れといっているんだ。食事をだしてくれた店に」

「……へへ、聞いたかよ、こいつ。俺に説教してやがるぜ」

 ガンツは仲間の顔を見て笑った。次の瞬間、セイの腹部にこぶしがめり込んだ。セイの顔が歪み、体がくの字に折れる。

 ガンツはセイの髪をつかむと、テーブルに思いきり叩きつけた。

「舐めてんのか、ウジ虫がよ。てめえらはヘーコラしてればいいんだよ。俺たち兵士様を見たらよ」

 セイの頭から血がつたった。店内がざわめく。だが誰も助けようとしない。ただ遠巻きに見ているだけだ。

「おい、こいつを連れていけ。てめえらも見てんじゃねえ。見世物じゃねえぞ!」

 ガンツの怒鳴り声が響く。

 そしてセイは店の外へと連れ出された。



 冷えた空気がただよう夜道。

 セイは逃げられないよう両側を兵士に固められ、無理やり歩かされていた。

「……俺をどこに連れていくつもりだ」

 セイは少し前を歩くガンツに低い声で聞いた。

「屋敷だよ。せいぜいザシャ様にかわいがってもらえや。恨むなら、騒ぎを起こしたどこかのイストリム人を恨むんだな」

「……俺を拷問するのか」

 あの通りで見たイストリム人たちのように。

「だろうな。だがてめえはまだ運がいいほうだ。女だったら――」

 その時、ガンツがふいに足を止めた。

 見ると、路地の先に小柄な人影が現れていた。暗くてその姿はよく見えない。

 人影が、こちらに向かって何かを放り投げた。

 火花が飛び散る小さな物体だ。

 ガンツがとっさに叫んだ。

「爆薬だ! 気をつけろ!」

 その瞬間、パンッという乾いた音と共に物体が破裂した。

 路地に煙が充満し、兵士たちがうろたえる。

 人影が叫んだ。

「こっちだ。逃げろ!」

 セイは瞬時に判断した。つかんでいた兵士の手を振りほどき、煙を突っ切り人影のほうへと走り抜ける。

「バカやろう! ただのこけおどしじゃねえか。追え、追え!」

 ガンツがわめているが、もう遅い。

 セイとその小柄な人影は細い路地の奥へと入り込み、行方をくらませていた。

「……あんた、何者だ」

 路地を走りながら、セイは前を走る人影に聞いた。

「しゃべるな。あいつらにバレる。それと頭を隠せ。この街で髪を見せるなんて、あんた頭がおかしいんじゃないか」

 人影はすっぽりとフードをかぶっている。そのためその顔はよく見えない。

 セイも言われた通り、フードで髪を隠した。

 奥まった路地を走り続けると、街のはずれに出た。

 人影はようやくそこで走りをゆるめた。

「……どうやら、撒けたみたいだ。まったく……つかれちまったよ」

 人影は肩で大きく息をしている。一方でセイの息はまるであがっていない。

 人影は大きく深呼吸をして息を整えると、いった。

「来なよ。安全なところに案内してやるよ」



 街のはずれは岩肌が目立つ殺風景な場所となっていた。

 二人は月明りだけを頼りに歩く。

 人影は、声から察するに子供のように思えた。道をよく知っているのだろう。暗闇にも関わらずどんどん先へと進んでいく。

 しばらく歩くと、鉱山らしき場所にたどり着いた。

「……こっちだ」

 人影は軽く手招きすると、臆することなく中へと入っていく。

「ここは廃坑なんだ。足元に気をつけろよ」

 人影は入り口に隠すように置かれていた松明を手に取ると、器用に火打石で火をつけた。

 周囲がぼんやりと明るくなる。

 ここは使われなくなってしばらく経っているのだろう。足元には打ち捨てられた道具などが散らばっていた。

 廃坑の中は洞窟となっており、狭い道が続いていた。

 セイは人影の後を追い、慎重に進んでいく。

 しばらくすると、明かりが見えたきた。

 洞窟の奥は、開けた場所になっていた。

「タニヤ! どこに行っていた。まさかまた街に行っていたのか!」

 そこには、人が暮らしていた。

 十数人はいるだろう。その中の初老の男が血相を変えてかけよってきた。

「へへ、そういうなよ。ほら、お仲間を連れてきたぜ」

 人影――タニヤが軽く笑ってフードを取った。

 セイも、自然とフードを外していた。

 ここなら、イストリム人である黒髪を見せても大丈夫だと思ったのだ。

 タニヤも、そしてその廃坑で暮らす者たちも、誰もがセイと同じ漆黒の髪をしていた。

 そこは、イストリム人たちの隠れ家だった。


   


 街の中心部にある屋敷には、ガンツとその部下がいた。

 その部屋は広く、どこか寒々としており、ところどころに置かれた蝋燭の小さな灯りがよく磨かれた大理石の床に反射して、部屋の中をぼんやりと照らしていた。

 ガンツとその部下は、ひれ伏している。

 二人の前にはその屋敷の主――ザシャ男爵がいた。

 ザシャは椅子に座り、その二人を見下ろしていた。

「……私はいったはずだ。この街に入り込んだイストリム人は、残らず私の前に連れて来いと。それを取り逃がしたというのか」

 ザシャの声には抑揚がない。そのため、感情がひどく読みにくい。

「……その通りです。突然の邪魔が入りまして」

 ガンツの声は、震えている。

 ガンツは顔を上げることができない。

 恐ろしいのだ。

 ザシャは小ぎれいな身なりをした男だった。体は瘦せぎすで、後ろになでつけられた髪には白いものが混じっている。

 一見すると怜悧で落ち着きのある男のようだが、異様なのはその目だ。眼窩は深く落ち窪み、極度なまでに黒目が大きい。ザシャの常日頃の所業もあいまって、ガンツには悪魔のように見えていた。

「……つまり、仲間がいたということか。その男は、一人ではなかったのか。その仲間は何者だ。その者もイストリム人なのか」

「それは……その……」

 ガンツは返答に窮する。

 迂闊なことをいうとまずいということを、ガンツはよく分かっていた。

「……ザシャ様。恐れ多くも申し上げます」

 となりにいた部下がいった。

「その男はザシャ様が恐れるような者ではありません。捕らえる時も大人しいものでしたし、例の赤いアザもその男にはありませんでした。とても我が領に忍び込み兵士たちを惨殺するような危険人物とは思えませんでした」

「……私が、恐れているだと」

 ザシャの細い眉がぴくりと動く。

(バカが、余計なことをいうんじゃねえ)

 ガンツは舌打ちしたくなった。

 そもそも、なぜこの街でイストリム人狩りがはじまったか。

 それはここ最近立て続けに発生したある事件が原因だった。

 先日、ここからほど近いメビアという小さな街で、イストリム人の奴隷を扱う商人の屋敷が何者かに襲撃された。商人とその護衛は殺され、屋敷にいた奴隷たちは忽然と姿を消した。

 これだけなら、大した問題ではなかった。

 その数日後、今度はメビアの街の少し先にあるアッバースの砦が襲われた。知らせを受けたガンツは部下たちを連れすぐに砦へと向かった。

 そこには、凄惨な光景が広がっていた。

 累々たる兵士たちの死体。砦のあちこちには兵士たちの腕や首が転がり、中には体を両断されている者までいた。襲撃者は兵士たちを殺したあと、火を放ったのだろう。砦は原形をとどめないほどに焼き尽くされていた。

 ガンツは、かろうじて息があった者に何かあったかを聞いた。その者の話では、闇夜に紛れるように一人のイストリム人が現れ、またたく間に兵士たちを斬り殺していったそうだ。

 ガンツはその襲撃者の特徴を聞いた。

 兵士は絶え絶えの息でいった。その者は凍りつくような冷たい目をしたイストリム人の若い男で、全身に螺旋状の赤いアザがあったと。

 ガンツから報告を受けたザシャは、すぐにイストリム人狩りを命じた。

 街にいる者、街に入り込んだ者、その全てを捕らえよと。

 メビアの街、アッバースの砦、その先にあるのはこの街――リーディアである。その襲撃者は次にこの街に現れるとザシャは読んでいた。

 ザシャがゆっくりと椅子から立ち上がり、その黒く塗りつぶされたような目で部下を見る。

「……そなた、名は何と申す」

「ピルドと申します」

「ピルドか……そなたは、何もわかっていないようだな」

 ザシャが左手をピルドに向けかざした。その瞬間、すさまじい電流がほとばしり、ピルドの体を貫いた。ピルドは叫び声をあげ床をのたうちまわる。だがザシャはその攻撃をやめない。

「私は何も恐れてなどいない。ただそのイストリム人に教えてやりたいだけだ。本当の強者が、いかなるものかを。そして思い出させてやりたいのだ。あの戦争を……虐殺の記憶をな」

 ガンツは、ザシャを止めることができないでいた。逆らえばガンツであっても命はないからだ。

殺戮者カルネージ

 イストリムとの戦争で、ザシャはそう呼ばれていた。人間を、殺しすぎたのだ。

 ザシャは、怪物だった。そしてそれは今でも変わっていない。

 その時、ザシャの攻撃がぴたりと止んだ。

 ピルドは黒焦げになり、すでに死んでいた。

「……ふむ、少し教えてやるつもりが死んでしまったか。まあ、仕方なかろう」

 ザシャは無表情にピルドを見下ろしていた。

「その者を片付けておけ。この部屋に不快なものは置きたくない。それと逃げた男と手助けした者だが、明日中に探しておけ。もう失敗は許さんぞ」

 ザシャはそれきり背を向けてしまった。

 話は終わりということだ。

 ガンツに拒否権はなかった。

(クソが……あいつら、許さねえ)

 ガンツは、はらわたが煮えくり返っていた。

 ザシャに対してではない。

 逃げた者――セイとタニヤに対して。


  

 

 廃坑にて。

 セイは地面に座らせられ、傷の手当てを受けていた。

「――つっ……」

 タニヤに頭を触られ、セイが顔をしかめる。

「こら、動くなよ。ちゃんと診れないだろ」

 タニヤは前かがみになり応急処置をしている。とはいってもできることは傷の具合を見て、その血を拭き取ってやることくらいだが。

「……血はもう止まっているし、傷は浅いみたいだな」

 タニヤは真剣な表情をしている。長いまつげに愛嬌のある顔立ち。

 セイはタニヤを間近で見て、ふいに気づいた。

「……お前、もしかして女か?」

 にじりよるセイ。タニヤは顔を赤くして離れた。

「な、なんだよ。当たり前だろ。どこから見てもそうじゃないか」

 小柄で肉付きのない貧相な体。その顔をしっかりと見なければ気づかなかった。

 セイの考えていることに、タニヤが気づく。

「……まさか、あたしを男だと思っていたのか」

「いや、まあ……」

 セイが言葉をにごしていると、近くにいた男たちが笑った。

「仕方ねえよ、タニヤ。その体じゃな。顔だけは母ちゃんや姉ちゃんに似てべっぴんなのにな」

「うるせえよ。あたしはこれから成長するんだよ」

 タニヤは怒っているが、男たちはまだ笑っている。

「……まったく、どいつもこいつも。ほら、治療は終わりだよ。たいした傷じゃないから安心しな」

 タニヤがセイの肩をパンと叩いた。思いのほか強く叩かれたため、セイが体をよろめかせる。

「それにしても、あんたも情けないなあ。あんな奴らにボコボコにされちゃってさ。そのごたいそうな剣は飾りかよ」

 タニヤがセイの腰に差してある刀を見る。

「これは……まあ、護身用みたいなものだ」

「護身用ねえ。剣なんて持ってても使えなきゃ意味ないぜ。あーあ、あたしが男だったらあんな奴らやっつけてやるのに。そしたら母ちゃんや姉ちゃんも……」

 タニヤの顔が曇る。自然と、男たちからも笑みが消えた。なごやかな空気が一転し、しんみりとしてしまった。

 セイは、聞いた。

「……あんたたちのことを、教えてくれないか。なぜこんなところで暮らしているんだ」

 するとタニヤは、ポツリポツリと話してくれた。



「あたしたちは五年前に、奴隷としてこの街に連れてこられたんだ――」

 五年前、それはイストリムとこの国――アルカディア帝国の戦争があった年だ。

 戦争に敗れ、イストリムという国は滅亡した。

 その際、多くのイストリム人が奴隷としてこの国に連れてこられた。

 タニヤもその中の一人だ。

 タニヤたちはこの街の鉱山に押し込められ、昼夜問わず働かされ続けた。

 あまりの過酷さに一人、また一人と倒れ、多くのイストリム人が命を落としていった。

 それでもタニヤたちは、いつかは解放されると信じて働き続けた。

 転機があったのは、つい最近のことだ。

 この周辺で、イストリム人による襲撃事件が発生した。

 奴隷商人が殺され、砦が壊滅させられたのだ。

 この地の支配者であるザシャ男爵は、イストリム人狩りを始めた。

 無論、タニヤたち鉱山にいた奴隷はその犯人ではない。

 だがある時、不穏な噂が流れてきた。

 見せしめのために、鉱山にいる奴隷たちを処刑するというのだ。

 タニヤたちは、そこで逃げ出す決心をした。

 それはどんなにつらい境遇でも耐え続けていた彼らの、初めての反抗だった。

 タニヤたちは見張りの目を盗んで鉱山を抜け出すと、すでに閉鎖されていたこの廃坑へと忍び込んだ。

 廃坑の中を、タニヤたちは熟知していたのだ。

 そして、今に至るというわけだ。



「……一つ、聞いてもいいだろうか」

 話を聞き終えたセイがいった。タニヤがこくりとうなずく。

「なぜあんたたちは、この街にとどまり続けているんだ。この街が危険なことはよくわかっているだろう。なぜ、逃げないんだ。どこに行っても俺たちは迫害されるが、ここほど酷くはない」

「それは……」

 タニヤは口ごもる。かわりに答えたのは初老の男だった。

「……女たちが、ザシャの屋敷にいるんだ。あんた、不思議に思わなかったかい。ここにいる女がタニヤ一人だけってことを。それは、女たちがみんなザシャの屋敷に連れていかれちまったからなんだ。タニヤの母親もそうだし、姉も二年前にな。タニヤはまだ子供だったから許されていたんだ」

 ――女たちが屋敷に囚われている以上、俺たちはここを離れられない。たとえどんなに危険でも。

 そういうことかと、セイは納得した。彼らは、女たちを見捨てられなかったのだ。

「あたしたちは、どうにかしてあの屋敷に忍び込もうと思っている。母ちゃんたちを助け出すんだ。あんたを見つけたのは、潜入する手段がないかを探っていたときだ。あんた、運がよかったんだぜ。あたしがたまたま街に入っていたから助けられたんだ」

 感謝しろよ、とタニヤが薄い胸を張った。

「……そうだな。よく俺を見つけてくれた」

 セイは素直に礼をいった。

 それは本心だ。

 タニヤがあのとき現れなかったら、セイはこの者たちがこの危険な街に居続けていることに気づけなかった。

「……それで、屋敷に潜入する手段は何か見つかっているのか」

 セイがそう聞くと、タニヤは困ったように首を振った。

「まだ何も。あそこはとにかく警備が厳重でさ、どこもかしもこ見張りがいるんだ。爆薬を使えないかと思ったんだけど、あんなのマナが使えるあいつらからすれば子供騙しだし、むずかしいよ」

 あの爆薬に殺傷能力がないとこはセイも分かっていた。セイのときは上手くいったが、次は通用しないだろう。

「……くそ、俺たちにもマナが使えたらな」

 初老の男が悔しそうに言った。

「イストリムにいた頃はなんとも思わなかったけど、この国に来て痛感したよ。マナが使えるあいつらには、俺たちは何をやっても勝てないんだ」

 あの戦争は負けるべくして負けた。男はそういっているようにも聞こえた。

「……あいつらが使うマナなんて、そんなたいしたものじゃないさ」

 セイは荷物袋から火打石を取り出した。

「火を生み出せるから何だっていうんだ。そんなもの、この石ころで十分だ。風や雷だって、生きていく上で必要か。何の役にも立たないだろう」

「そりゃ、まあ、そうだろうが……」

「それとイストリム人はマナを使えないと誰もがいうが、そんなことはない。一人だけ使える者がいた」

「え……そうなのか。イストリム人なのにか」

 タニヤが驚いたようにいう。だが初老の男は苦笑いをした。

「そりゃ、あんた、アレだろ。俺たちの国の王様の話だろ。あれをマナといっていいものかねえ……」

「何の話だよ。あたし知らないぞ」

「まあタニヤは小さかったから覚えていないだろうが、村で日照りなんかが続くとよ、わざわざ王様が来てくれたんだ。大勢の兵隊さんたちを連れてよ。そんで村の広場にみんなを集めてよ、こう……何ていうのかな、天に向かってお祈りをささげてくれたんだ」

 男は、ちょっとした仕草をする。

「すると不思議なことに、どこからともなく雨雲がわきでてきてよ、雨をばーっと降らせてくれたんだ。よく分からないが、確か大地に眠るマナを呼び起こしたって、王様は言っていた気がするな。それで国中が助けられていたのは確かだし、あの時は俺たちもすげえと思ったけど、この国の連中が使うのマナを見ちまった後だと、どうもなあ。ごたいそうな呼び名だけはあったみたいだけど、何ていったかな。カマイだか、カモイだか……」

「"神威の力"だ。王の一族に伝わる神羅万象を操る力をそう呼ぶ」

 セイがそういうと、男はそうそうと頷いた。

「あんた、よく覚えているな。俺なんか年だからよ、すっかり忘れちまっていたよ。まあそんなわけで王様だけは一応マナを使えたみたいだけど、この国の連中のとは雲泥の差だわな。戦争じゃまるで役に立たなかっただろうし」

 男は乾いた笑みを見せた。自分たちの弱さを自覚しているような、そんな弱々しい笑みだった。

「……そういや王様の話で思い出したけどよ、当時、俺の家に王子様を泊めてやったこともあったんだぜ。王子様はとにかく体が弱くてよ、王様がお祈りしている間もずっと俺の家で寝てたっけな。生きていればあんたくらいの年になっているだろうが、あの感じじゃとっくにおっ死んでるだろうな。まあ生きていたところで、呼んでくれるのは雨雲ぐらいなんだけどな」

「……いいじゃん。雨雲でもさ」

 タニヤはそういうと、小さな桶から水を汲みセイに手渡した。

 のどの渇きを覚えていたセイはそれをぐいと飲みほした。泥の混じった水だった。

「雨を降らせてくれるだけでも、こんな泥水じゃなくてちゃんとした水が飲めるんだぜ」

「……そりゃ、違いねえ。使えないよりかは、使えたほうがマシだな。たとえ雨雲でもよ」

 男はそういって、また苦笑いをした。



「それで……次はあんたのことを教えてくれよ。あんた、見たところ流れ者だよな。何だってこの街に来たんだ」

 タニヤがセイに聞いた。

「まあ、人探し……みたいなものだ」

「へえ……見つかったのかい」

「いちおうは。来た甲斐があったのは確かだ」

「そっか……」

 よかったじゃん、とタニヤは小さく笑った。そして、ふいに真面目な顔になった。

「……あんたさ、悪いことは言わないから、早くこの街を出たほうがいいよ。あたしたちのことは気にしなくていいからさ」

 そういうタニヤの顔は、どこか寂しげでもあった。

「……そうだな。俺は、俺の好きにさせてもらうよ」

 セイは独り言のようにいった。

 その言葉の意味を、タニヤたちはまだわかっていなかった。



 夜が明けると、言葉の通り、セイは礼をいって廃坑を後にした。

 タニヤはやはり寂しそうに見えたが、引き留めるようなことはしなかった。

 昨晩通った道を、今度は一人で歩く。

 途中、分かれ道があった。

 まっすぐ進むと街へ入ることができる。右手に行けば、街から離れ安全なところへ行くことができる。

 セイは迷うことなくまっすぐの道を選んだ。

 無意識に、左手が鞘に触れていた。

 重厚な造りの刀が、カチャリと小さな音を立てた。

「……俺は、俺の好きにさせてもらうさ」

 セイはフードをかぶり、そのまま街へと消えていった。


  


 タニヤは廃坑の中を、落ち着きなく歩き回っていた。

 セイが出て行ってからというもの、ずっとそうしている。

 初老の男は、その理由を何となく察していた。

「……タニヤ。彼についていってもよかったんだぞ」

 男がそういうと、タニヤの顔が一瞬で赤くなった。

「な、何いってんだよ。何であたしがあいつについていくんだよ」

「別に恥ずかしがることはない。彼はいい男だったし、年も近かったろう。お前が好意を寄せてもおかしくない。お前がついていきたいといえば、彼はつれて行ってくれたんじゃないか。今から追いかけたっていいんだぞ」

 タニヤは今年で13になる。セイは見たところ成人したての15か16といったところだろう。

「ああ、もう、やめてくれよ。そういうのじゃないんだ。ただあいつが頼りなさそうだったから、道に迷っていないかとか、そういう心配をしていただけだよ」

 そういいながらも、タニヤは耳まで赤くしていた。

 その時、ふと、入り口のほうから物音がした。

 誰かがこちらへ近づいているようだ。

 タニヤの顔が、とたんに明るくなった。

「あいつ、戻ってきたのかな」

 タニヤは小走りにかけていく。

 しばらくすると、暗がりから男の顔がぬっと現れた。

 タニヤの顔が、一瞬でこわばった。

 ――あいつじゃない。

 そこに現れたのはガンツだった。ガンツはタニヤを見て、にやりと笑った。

「……見つけた」

 ガンツはすかさず笛を鳴らした。すると暗がりから次々と兵士たちがなだれ込んでくる。

 ――やばい、逃げないと。

 だが、もう遅かった。タニヤも、他の者たちも、あっという間に兵士たちの手でねじ伏せられてしまった。

「おうおう、汚ねえウジ虫どもがウジャウジャいるぜ。まったくこんなところに隠れてやがったとはな」

 ガンツはタニヤたちを見下ろし笑っていた。その手には、昨晩タニヤが使った爆薬の欠片があった。

 タニヤの顔が、一気に青ざめた。なぜここがバレたのか気づいたのだ。

 爆薬――あれを使ってしまったことで、この鉱山一帯を調べられたのだ。

「……見つけたのか」

 身なりの良い痩せぎすの男が、最後に入ってきた。

 ガンツたちがすぐに直立不動になる。

「ザシャ様。鉱山から逃げた奴隷たちです」

「ふむ……」

 ザシャは組み伏せられた奴隷たちをつまらなそうに見た。

「……それで、昨晩取り逃がしたという男は?」

 ガンツたちはセイを探した。だがどこにもいない。

 タニヤがはっと笑った。

「残念だったな。あいつはもう出ていった後だ。とっくに街を離れちまってるよ」

「このクソガキが。ザシャ様に舐めた口をきくんじゃねえ――」

 ガンツはタニヤを蹴りつけようとした。

 だがそれをしなかった。

 ザシャが、そのギョロリとした目でタニヤを見ていたからだ。

「……女。イストリム人の女……まだ残っていたのか」

 ザシャはタニヤの髪を無造作につかみあげると、そのまま引きずっていこうとする。

「い、痛い。やめろよ、はなせ」

 タニヤの顔が苦痛にゆがむ。男たちがタニヤを助けようともがいた。だが兵士たちに押さえつけられ身動きがとれない。

「……その者たちは処刑し、晒しものとせよ。逃げた男は……もういい。興味を失った」

 ザシャの目は、タニヤだけに注がれていた。

 ガンツは聞いた。

「ザシャ様。その娘はどうするので」

「……イストリム人の女を見つけたのだ。久しぶりに……楽しませてもらうことにする」

 感情の薄いザシャだが、この時だけは、愉悦からその唇が歪に吊り上がっていた。



 その夜のこと。

 ガンツは酒場で軽く飲み、ほろ酔いのまま一人で人気のない通りを歩いていた。

 空には半月が浮かび、うすく霧がかかった街を照らしていた。

 多少酔っているが、ガンツの足取りはしっかりしている。

 その口元はどこかにやけていて、機嫌がよさそうだ。

 奴隷たちの処分は、ガンツに一任された。

 どのように殺してやろうか。それを考えるだけで、今夜はうまい酒が飲めた。

 ガンツは大通りから裏路地へと入った。

 そこは、霧がいっそうに立ちこめていた。

 ガンツはそこで、ふと、足を止めた。

 霧の中に、まるでガンツを待ち伏せするように、一人の男が立っていたのだ。

「……女たちのことを、教えてもらおうか」

 男がいった。どこかで聞いた声だった。

(何いってやがんだ)

 ガンツは顔をしかめた。

 風が吹き、霧がゆっくりと消えていく。

 そこにいたのは黒髪のイストリム人――セイだった。

「屋敷の中にいるんだろう。詳しく話してもらおう」

 セイがゆっくりと近づいてくる。

 ガンツは鼻で笑った。

「誰かと思ったら、てめえかよ。奴隷どもを囮にしてうまく逃げたと思ったら、バカだねえ。まだこんなところにいたのかよ」

「……何の話だ」

 セイが低い声でいう。

「あのウジ虫どもだよ。てめえが逃げた後、全員捕まったぜ。男どもは明日まとめて処刑だ。女のほうは……くくく、今ごろザシャ様に可愛がってもらっていることだろうぜ」

 ガンツはせせら笑っていた。

 ガンツの位置からは、セイの表情が影になって見えない。だがそんなことはどうでもよかった。

 ガンツは剣を抜いた。

「バカな野郎だよ、てめえは。あのままトンズラしてれば良かったのに、わざわざ俺の前に現れたんだからよ。せっかくだから、一足早く処刑してやるよ」

 ガンツは剣を手に駆け出した。

(体中なます切りにしてやる。たっぷり痛めつけてから殺してやる)

 セイは、動こうとしなかった。その顔をずっとうつむかせていた。

 ガンツの剣の間合いに、セイが入る。

 セイの口元がわずかに動いた。

「……馬鹿は、お前のほうだ」

 黒い影が、ガンツの視界をよぎった。

 何かが宙を舞っていた。

 それは切り飛ばされたガンツの両腕だった。

「あ……あああ、俺の腕があ!」

 ガンツは膝をつき叫び声をあげた。何がどうなってやがる。状況がまるで理解できない。

 セイの手には、いつの間にか漆黒の刀が握られていた。

「……あの時お前を殺すことなどたやすかった。だが殺さなかった。なぜだか分かるか。我が民の行方が分からなかったからだ」

 セイは、ガンツを見下ろしていた。

 ガンツは、そこでようやく気付いた。

 セイの全身に、赤い螺旋状のアザがはっきりと浮かび上がっていることに。

「まさか……そんな……てめえが……」

 ガンツは、判断を誤った。逃げるべきだったのだ。セイを見た瞬間、脱兎の如く。

 そこにいたのは、人の姿をした修羅だった。

 セイは、ゆっくりと刀を振り上げた。

 刃が、研ぎ澄まされた月に反射する。

「もうお前を生かしておく理由はない」

 刀が振り下ろされた。

 ガンツが最後に見たのは、芯まで凍りつくような冷たい目をした男の姿だった。


  


 ――ザシャの屋敷。

 そのうす暗い寒々とした部屋にザシャとタニヤがいた。

 タニヤの周囲には無残に引き裂かれた衣類が散らばっていた。

 裸にされたタニヤを、ザシャはワインを片手に眺めていた。

「……イストリム人は下等な民族だが、やはり女だけは美しい。そなたのような奴隷がまだ生き残っていたとは知らなかったぞ」

 ザシャは冷たい笑みを浮かべながらワインを口に含み、ゆっくりと舌で転がす。

 タニヤは耐えがたい羞恥心を覚えながらも、何とか気丈にふるまおうとしていた。

「……あたしをどうするつもりだよ」

 まだ子供のタニヤは、裸にされることの意味を分かっていない。だが激しい嫌悪感だけがあった。

「勇ましい物言いだ。まるで少年ではないか」

「ふざけんなよ、こんなことしやがって。いいからあたしの母ちゃんと姉ちゃんに会わせろよ。知ってるんだぞ、この屋敷にいることは」

「ほう……母と姉とな」

 ザシャの眉がぴくりと動く。そして、タニヤをじっと見た。

 タニヤは思わず身をすくませた。

 その異常な目で見つめられ、にわかに恐怖を抱いたのだ。

 何かを思い出したのか、ザシャの口角が吊り上がった。

「……知っておるぞ、そなたの顔。もうしばらく前になるが、そなたに似た娘がここに連れられてきた。その娘も私にいった。母に会わせてほしいと。私は、その願いを聞き入れてやった。私は慈悲深いのだ。二人は、今も共にいる。並んで、仲良くな」

 それを聞いて、タニヤの中で希望が芽生えた。

 母たちはやはりここにいるのだ。

「……会ってきてよいぞ。二人はこの部屋にいる」

「え……?」

 タニヤは眉をひそめた。

 薄暗く広々としたその部屋にいるのは、ザシャとタニヤの二人だけだった。

 ほかに人の気配はない。

 ザシャが含み笑いをした。

「……分からぬか。では、明かりを灯してやろう」

 ザシャが片手をあげた。

 その瞬間、壁際の蝋燭に次々と火が灯っていった。

 暗がりで見なかったが、タニヤの目に飛び込んできた。

「あ……」

 タニヤは、言葉を失っていた。

 その目は驚愕に見開き、顎がガクガクと震えた。

 壁一面には、イストリム人の女たちがところせましと並んでいた。

 串刺しにされ、剥製となった姿で。

 苦悶。そして絶望。その表情が、生前の苦しみを物語っていた。

「あ……あ……母ちゃん、姉ちゃん……」

 タニヤは悲痛な叫び声をあげた。

「……どうだ、美しい花々であろう。そなたもこれからそこに並ぶのだ。母と、姉のとなりにな」

 ザシャの目は狂気に染まっていた。

「この娘に合う杭を持ってまいれ!」

 入り口のそばに控えていた兵士が走っていった。

 タニヤは、逃げる気力を失っていた。

 ずっと会いたいと思っていた母と姉は、とっくに殺されていたのだ。

 タニヤの目から涙がつたった。

 幼いころに奴隷にされ、この国に連れてこられた。母を殺され、姉を殺され、そして自分も死ぬ。辛いだけの人生だった。

 その時、入り口のほうから足音が聞こえてきた。

 ザシャは振り返った。

「持ってきたか」

 そこには、兵士がいた。

 だが彼は何も持っていなかった。

 ただひどく怯えた様子で、口をパクパクと動かした。

「ば、化け物――」

 その瞬間、兵士の首がはね飛ばされた。

 暗闇から人影が現れる。

 そこには黒髪の昏い目をした男――セイが立っていた。

「……お前が、ザシャだな」

 セイはその目でザシャを見すえ、いった。

「その命、もらいにきた」



 セイが、ゆっくりと部屋に入ってくる。

 部屋には裸にされたタニヤと、無数の女たちの剥製があった。

 セイの中で、静かなる怒りがこみあげる。

 ザシャが抑揚のない声でいった。

「……イストリム人。そうか、もしや貴様だな。ガンツが取り逃がした男というのは」

「……その通りだ」

 セイは短く答える。

「そして、お前が探していた男だ」

 それは、これまでの襲撃事件の犯人がセイであったことを意味する。

 セイが、ゆっくりとした動作で刀を構えた。

「……覚悟するがいい。お前の命はここで終わる」

「私を殺す……だと」

 ザシャがくっくと笑った。

「何がおかしい」

「いや……あまりにも貴様が哀れでな」

 ザシャは鷹揚と両手をひろげた。その瞬間、それぞれの手から炎と電流が発生した。

「無知とは罪なものよ。かの戦争で『殺戮者カルネージ』と恐れられたこの大魔導士を相手にそのような口をきけるのだからな」

 ザシャがセイに向け右手をかざした。炎が燃えさかる槍へと変化する。

『ファイア・ランス』

 優れた資質を持つ者だけが作り出せる炎。

「心臓まで焼けただれるがよい」

 炎の槍が猛烈な勢いでセイに襲いかかった。セイは身をひるがえしそれをかわした。だがザシャはまるで予期していたかのように今度は左手を振るった。激しい電流が床を削りながら駆け抜ける。セイは舌打ちをするとそこから飛びのいた。

「くく、よけるのが精一杯か。その程度で私に挑もうなど片腹痛いわ」

 ザシャの右手が動き、刹那の溜めをつくる。

 次の瞬間、巨大な炎が生み出された。

 セイの体を飲み込むほどの大きさ――先ほどとは明らかに威力が違っていた。

「死ぬがよい」

 炎が、セイに向かって放たれる。直撃すれば間違いなく死ぬ。だがセイは、そこから動かなかった。

「よけられぬなら――切り裂くまで」

 刃が閃光のような速さで振りぬかれた。

 巨大な炎が一瞬で両断され、霧散する。

 立ちこめる煙の中、セイの体に変化が起きていた。

 まるで刻印のように、その全身に赤く輝く螺旋状のアザが浮かび上がっていた。

 セイは再びザシャに向け、刀を構えた。

「お前のマナは俺には通用しない。いくぞ――」



 タニヤは茫然と、二人の戦いを見ていた。

 あの炎を切り裂く瞬間、セイの体に赤いアザが浮かびあがっていた。

 それが何を意味するのか、タニヤには分からない。

 イストリム人でも、そのような者は見たことがなかったからだ。

「なんと奇怪なアザだ。だが……それがどうしたというのだ」

 ザシャは再び周囲に無数の炎の槍を生み出すと、セイに向け一斉に放った。

 だがセイはそこから微動だにしない。もはやよけるまでもないというように、次々と燃えさかる槍を切り裂いていく。

「ならば、これならどうだ」

 ザシャが左手をかざした。強烈な電流がほとばしり、一直線にセイへと駆け抜ける。

 だが結果は同じだった。

 当たると思った瞬間、空気をも切り裂くような一太刀が電流をなぎ払っていた。

「すごい……あいつ、あんなに強かったんだ……」

 タニヤは思わず呟いていた。

 タニヤから見たセイは、どこか頼りない印象だった。

 だが、それは違っていた。

 すさまじい勢いで放たれ続けるザシャの攻撃を難なく切り裂いていくセイは、タニヤがこれまで見てきた者たちと比べても明らかにレベルが違っていた。

 セイは、ザシャの懐に飛び込む隙をうかがっていた。

 その攻撃がひとたび止めば、セイは一瞬の内にザシャの首を狩りとるだろう。

 だが――タニヤは名状しがたい不安を覚えていた。

 ザシャが、まるで動じていないのだ。

 その顔には、不敵な笑みのようなものが張りついていた。

「なるほど……イストリムに伝わる『魔切りの刀』か。まさかその剣の使い手がまだ生き残っていたとはな。雑兵ごときでは相手にならなかったわけよ」

「お前も奴らと同じ運命をたどる。もうすぐな」

 セイは冷たく言い放った。だがそれを聞いてザシャは笑った。

「くく……その言葉、そっくり貴様に返してやろう」

 ザシャの右手が、不気味な輝きを発した。その体内に宿るマナが、右手に集中しているのだ。

「では……見せてやろう。『殺戮者カルネージ』の本当の力をな」

 ザシャが、右手をひろげた。輝きは赤い炎と化し、セイの周囲を円を描くように取り囲んだ。

「あがいて見せよ……『無限炎壁』」

 ザシャが右手を握りつぶす。それが合図であるかのように、セイの周囲に燃えさかる炎の壁が出現した。

 セイは、それらをぐるりと見る。その表情に変化はない。

 セイは刀を握りしめると、これまでと同様、難なく目の前の炎の壁を切り裂いた。

 炎は霧散したかのように思えた。

 だが次の瞬間、新しい炎がセイの前に吹き上がった。

「無駄なことよ。その炎は私のマナが枯乾しない限り燃え続ける。貴様らウジ虫どもを幾度となく焼き殺してきた私の大魔法だ」

 炎の壁は、セイを焼き尽くそうとしていた。

 タニヤのところまでも、その熱が伝わってくる。中は地獄のようになっているはずだった。

(ああ……駄目だ。あいつ……殺されちまう)

 セイは、強かった。ザシャを相手に一歩も引かなかった。

 だがザシャは、それよりも一枚上手だった。

 ザシャはイストリム人との戦い方を知り尽くしていたのだ。

 炎の中で、セイが膝をついた。

 何かを呟いている。

 だがよく聞こえない。

 ザシャは、ただ笑っていた。

 戦いは、もう終わった。あとは愚か者が焼け死ぬのをワインを飲みながらゆっくりと眺めてやろう。それが済んだら、次は小娘の番だ。いたぶり尽くしたうえで殺してやる。

 周囲に異変が起こり始めたのは、その時だった。

 どこからともなく不協和音が響き始め、大気がゴゴゴと音を立てて振動をはじめた。

 ――何事だ?

 ザシャは眉をひそめ、周囲を見た。

 ふいに――炎の中から声がした。

「……やはりお前らの使うマナなんて、こんなものか」

 ザシャは、ようやくそこで気が付いた。

 異変が、セイを中心に起こっていることに。

「"神威の力"よ。この炎を喰らい尽くせ」

 その瞬間、セイから発せられた青い炎が、ザシャの作り出した炎の壁を飲み込んだ。

 ザシャの炎は、一瞬にして消滅した。文字通り、まるでセイの炎に貪り喰われるかのように。

「私の炎が……な、何だ、その力は。貴様……いったい何をしたのだ」

 感じるのは、おぞましいほどのマナの波動。

 セイの体からは、目に見えるほどのマナがあふれだしていた。

 それは、畏怖すべき力。

 立ち昇る陽炎の中、セイがゆっくりと歩き出した。

「"神威の力"だよ……この地に眠るマナを呼び起こさせてもらった」

 それを聞いて、タニヤははっとなった。

 ――"神威の力"。王の一族に伝わる神羅万象を操る力をそう呼ぶ。

(あいつ……まさか……)

 だがその力は、タニヤが想像していたものとはまったく違った。

 目の前のそれは、凶悪な力そのものだった。

「神威……だと。何だ、それは。何者なのだ……貴様は」

 底知れぬ圧力を前に、ザシャはうろたえることしかできなかった。

 セイは、冷たく笑った。

「……俺を、覚えていないか。俺は、お前を知っている。お前が我が祖国にしたこともすべてな。ずっと探していた。あの時の誓いを、ここで果たしてやろう」

「な、何を……」

その時ザシャは何かを思い出した。

「ま、まさか、あの時の……信じられん。生きていたのか」

「お前の敗因は、あの時俺を殺し損ねたことだ。お前は、手始めにすぎない。お前も、『八剣聖』の奴らも、皇帝ヴェネディクトも、すべてこのマナで喰らい尽くしてやる」

 セイはザシャの正面に立つと、その手をかざした。

 獰猛なる力が、その手に集中していく。

 ザシャは、金縛りにあったかのように動けない。

 そしてセイは、滅びの言葉を言った。

『灼熱』

 その瞬間、青い炎が一気に解き放たれた。

 数千度におよぶ業火が渦を巻きザシャに襲い掛かる。

 ザシャはなすすべなく飲み込まれた。炎は轟音と共に火柱となり天井を突き破った。

 炎の中、ザシャの断末魔の叫びが聞こえた。

 だがそれも束の間、ザシャの体はあっという間に焼き尽くされた。

 灼熱の炎は、ザシャからすべてを奪い去った。

 この世にいた痕跡すらも、すべて。


  


 夜が、あけようとしていた。

 セイはイストリム人の奴隷たちと共に、街のはずれにいた。

 遠くには、わずかに炎が上がっているのが見える。ザシャの屋敷はまだ燃え続けているようだ。

 やがて、跡形もなくなることだろう。

 奴隷たちは、茫然としていた。

 セイに助け出されたことは分かっていたが、まだ状況を理解できていないようでもあった。

 セイは小さな皮袋を取り出すと、初老の男にそっと握らせた。

「ここよりはるか南、人を寄せつけぬ霧深い峡谷の先に、我らイストリム人だけが暮らす名もなき村がある。そこに行けば、そなたたちを温かく迎えてくれるだろう」

 皮袋の中には、わずかばかりの金が入っていた。

 セイはそれだけをいうと、背を向け、いずこかへと去っていこうとする。

 男は茫然と皮袋とセイの背中を見ていることしかできない。

「あ、あのさ――」

 タニヤが、たまらず声をかけた。

 タニヤは、ついていきたかった。連れていってほしかった。だが、続く言葉が見つからなかった。

 ザシャの前で見せたセイの素顔、それは修羅の道を歩む者の貌だった。

 戦う力のない自分は足手まといでしかない。タニヤは分かっていた。それでも――タニヤはついていきたかった。

 セイが、立ち止まる。タニヤは勇気を出して踏み出そうとした。

 だがその前に、セイがいった。

「幸せになれ、タニヤ。これからは静かに、平穏に暮らしていくんだ。そのほうがいい」

 それが、セイの答えだった。

 セイはタニヤがついてこようとしていることに気づいていた。

 だから、その前にいったのだ。

 タニヤの足が、止まった。そこから動けなくなってしまった。

 何となく、心のどこかで分かっていた。ついていくことはできないのだと。

「あのさ――」

 タニヤは顔をあげた。泣きたい気持ちだったが、それでも何とか笑顔を作ろうとしていた。

「……あんたの名前を、教えてくれよ」

 考えてみれば、タニヤはセイのことを何一つ知らなかった。その素性はおろか、名前すらも。

 セイは、一瞬の逡巡のあと、いった。

「……セイリッド。俺は名はセイリッド・ザナドゥだ」

 やはり、とタニヤは思った。

 それはイストリム人であれば誰もが知っている名であった。

 だが他の者たちはその名に驚き、慌てて地面に膝をついた。

「……セ、セイリッド王子。そんな……まさか生きておられたとは」

 セイは、どこか寂しげな顔をした。

「……国は、もう滅んでいるのだ。今の俺は王子でも何でもない……」

 セイはフードをかぶると、そのまま何処かへと旅立っていった。

 タニヤたちは、その姿が見えなくなるまで見送り続けた。

 その戦いがいつか終わることを祈りながら――。

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